第9話 不穏な平穏(後編)

(こ、こいつはまさか!)


 その姿を見た瞬間、僕の薄れかけていた記憶が弾けるように蘇った。

 正式な番組名は『超獣人ちょうじゅうじんヤタガラス』。今からだいたい10年前、僕たちが小学一年生の頃に放送していた特撮ヒーローだ。そして、普段はアニメや特撮はおろか人形劇やドラマなどもほとんど見ない円が唯一と言っていいどハマりしていた作品でもある。ヤタガラスを語る当時の円は年相応に子供っぽく、その目はキラキラと輝いていた。

 詳しいストーリーまでははっきり覚えていないが、謎の組織に改造された主人公のヤタガラスが毎週敵の怪人と死闘を繰り広げ、当たり前のように野太い断末魔がこだまし血飛沫が飛び散るグロテスク&バイオレンスアクションだったことは記憶にある。あまりの絵面の怖さに当時トラウマになり、そのせいで僕は未だにカラスが苦手だ。


「へー円ちゃんヤタガラス見てたんだ。これけっこうマイナーなのに珍しいね」

「マイナー、ですか? ヤタガラス……」

「当時私の周りでは見てた子いなかったなぁ」


 奥村先輩の何気ない一言に円は少し傷ついたようだ。だがしかしヤタガラスがマイナー扱いされるのも仕方ないと思う。何せ、一年間に5回も放送時間が変わった伝説の番組だ。理由は定かではないが、恐らくその数々の凄惨な描写のせいでPTAたちから相当な苦情が来たのだろうと今なら分かる。最終回付近で深夜枠に移動した頃には近所で見ていたのは僕と円しかいなかった。

 僕だって本当はあまり見たくはなかったが円が毎週欠かさず視聴していたので、話に合わせるためにもきちんと見ざるを得なかったのだ。内容は怖かったことしか覚えていないものの、こっそり家の固定電話で彼女とお喋りしながら夜中に見ていたのはずっと記憶に残っている。


「これ筐体ひとつだし一人プレイ用のゲームみたいだね。気になるんなら円ちゃんやってみたら?」

「えっ、その……いいんですか?」

「せっかく来たんだもの。やろうよやろうよ!」


 何故か奥村先輩と僕の顔を交互に見る円。そりゃあせっかくゲーセンに来たのだし別に了承を得なくても自分のお金で好きなゲームを遊ぶことに誰も文句は言わないだろう。


「九条くんは他のゲームとかで遊ばないの?」

「ええ。とりあえず円のプレイでも眺めてようと思います」

「そっかー、じゃあ私も見ていようかな」


 先輩は不思議そうに尋ねたが、他人がゲームをしている様子を見ているのもこれはこれでけっこう楽しいのだ。もちろん、それが好きな女の子なら尚更である。それに円は基本的に飲み込みが早くゲームも強いので単純に見ていて飽きない。


「じゃ、じゃあ……いきます」


 円は胸に手を当てて数回深呼吸をし、備え付けの椅子に座り筐体に小銭を投入した。手のぎこちない動きから相当に緊張しているのが後ろ姿からでも伝わる。


「いる……本当にヤタガラスだ……かっこいい……」


 キャラクター選択画面が映り円はうっとりしながら呟いた。ここまで嬉しそうな彼女を見たのは、生まれて初めてかもしれない。ちらっと覗いた円の横顔はほんのり赤く火照っていた。もしかしたら万が一、億が一、あまり考えたくはないがこれが恋をしてる女の子の顔なのだろうか。少なくとも、それが今まで僕の見たことのない表情なのは確かだ。


「は、始まるよ。いっちゃん、ヤタガラスだよ」

「あ、ああ……うん」


 子供のようにはしゃいで僕に実況する円。別に嫉妬しているわけではない。むしろ実在する特定の誰かに惚れているのではないと知って安心してしまった。そんなことで安心する自分が少し嫌になるが、もちろん死んでも口にはしない。

 レバーを動かしてキャラクター選択をしゆっくりとボタンを押す。選択したキャラは当然ヤタガラスだ。漆黒に包まれた全身と模様らしい模様のない鳥類の頭、雄々しく広げられた両翼と、見た目はさながら悪魔の使いで子供受けする正義のヒーローとは程遠い印象を受ける。円曰く、ヤタガラスは悲しみと孤独を背負って戦うダークヒーローなのだそうだ。


「きた……!」


 画面上に対戦相手と思しき機械の鎧を纏ったキャラクターが現れ、中心に『Ready Fight!』のテロップが映し出された。それと同時に円がレバーを動かしヤタガラスが左右に反復運動をする。どうやら攻撃を仕掛ける前に相手の出方を伺っているようだ。

 だが対戦相手は突然膝から大量のミサイルをヤタガラス目掛けて一斉発射した。とっさにボタンを押して防御姿勢をとらせるも完全に防ぐ仕様ではないのかヤタガラスは体力を大きく削られてしまった。遠距離から放たれた痛烈な一撃だ。

 その後も一定の距離を保ちながら対戦相手は銃火器による攻撃を次々と繰り出してくる。ヤタガラス側が不利なのは誰の目に見ても明らかだった。


「ヤタガラスって、飛び道具とかなかったっけ」

「ないよ。カラスの遺伝子を埋め込まれた改造人間だから」


 説明になっているような、なっていないような。だが言わんとしていることは何となく伝わる。確か、ヤタガラスの本編に登場するキャラクターは敵も味方も多くが首から上を動物に改造された人間だった。その動物の特徴を用いて戦うので人類の文明が生み出した銃や兵器などは無縁だと言いたいのだろう。

 しかしこのままでは防戦一方でヤタガラスは敗北してしまう。防御しながらじりじりと距離を詰めていく円のプレイは冷静そのものだが、その表情には少し陰りが見え始めてきた。


「ねぇ、もしかして円ちゃんそろそろ必殺技が使えるんじゃない?」


 円の背後から奥村先輩が画面の左上、HPバーの下部分を指さした。対戦相手の方は黄色いゲージが半分も溜まっていないがヤタガラスは溜まりきっており「AボタンPUSH!」と発動が促されている。これで一発逆転を狙えば円に勝機はまだある。


「だ、ダメです! 『クロウ・ディザスター・ブラスト』はヤタガラスの命を削る禁断の技で、使うと寿命が何十年ぶんも少なくなるんです! そんな酷いこと、私にはできない……!」

「あっ……そ、そうなんだ……」


 普段の言動からは考えられない剣幕で拒否反応を示す円。後ろ姿からでも伝わるその迫力に先輩は一瞬圧されてしまった。さすがにゲームなのだからそこまで徹底して作中の設定を反映させるとは思えないのだけど、中々に面倒臭い性分をしている。

 それにしても円がヤタガラスの大ファンなのは知っていたが、ここまで病的にはまりこんでいたのは予想外だった。もともと女の子らしい趣味も男の子らしい趣味も、どちらもたくさんあった彼女だったが、あの見た目が恐ろしいヒーローに入れ込んでいる理由はどうしても僕には正直分からない。


「……あっ……」


 円がぼそっと声を漏らした直後『K.O!』のコールが鳴り響いた。防戦一方のまま、どうやらヤタガラスは負けてしまったようだ。画面中央には勝者である対戦相手のキャラクターがでかでかと映し出されてポーズを決めている。

 じゃかじゃかと大音量でBGMが鳴り響くゲームセンター内の一角に、数秒の痛い沈黙が流れた。


「わ、私前から気になってたゲームあるの思い出したからちょっと行ってくるね!」


 その空気の気まずさに耐えかねたのか奥村先輩はそそくさと去っていった。それにしても交流会とはいったい何だったのか。


「ま、円」


 さっきから無言を貫いているので恐る恐る声をかけてみた。小さい頃から推しているヒーローを使って負けたのだから、かなりショックを受けているだろう。


「いっちゃん。あのね……」

「う、うん」


 僕の方に振り返った円は、完全に表情が消えていた。こういう負けた時は泣いたり悔しがったり、感情的になって発散するようなら分かりやすいのだが、彼女はそこまで素直に吐き出す性格でないことは僕は知っていた。その代わりに声色から意気消沈してしまっているのがひしひしと感じられる。


「ヤタガラスは、強いんだよ……」

「わ、分かってるよ」

「ヤタガラスは不死身で、何度負けても立ち上がって、最後には勝つんだよ」

「だ、だから分かってるってば」


 どうやら円は自分の不甲斐ないプレイのせいでヤタガラスの顔に泥を塗ってしまったと思っているようだが、普通の人はゲームの勝ち負けひとつでそこまで引きずったりはしない。もしかしたら彼女は普段からゲームは進んでしないものの自分の腕にはそこそこ自信があったのかもしれなかった。

 


「でも、今日修行休みにして遊んで良かったって、思うかな。その、僕としては」

「えっ?」


 僕の何の気無しに呟いた言葉に円は驚いたように訊き返した。


「ほら、円ってイレイズとの戦いとか色々あって昔と変わったと思っていたから……でも、小さい頃から好きだったものを忘れてなかったみたいでちょっと安心した」


 昔と変わらなければいけなかったのは事実だろう。一年前に母親を亡くしてから戦いに身を投じるようになってから彼女の原動力となっていたのは、恐らくイレイズに対しての憎しみだ。

 それにこの間石上から聞かされた円の変貌ぶりのこともあって不安にはなっていた。彼女の心が戦い憎むことでしか満たされないのであったら、それは間違いなく不幸だと思う。

 だが円はヤタガラスを目にした時、キラキラとした目をして子供の頃のようにはしゃいでいた。僕にはヤタガラスの魅力は分からないが、一時でも円が憎しみを忘れることができたのなら今日のこの時間はとても有意義である。


「そう……だよね。好きなものって、好きなままでもいいんだよね……」


 さっきまで負けた悔しさで沈んでいた円の表情が、少しだけ綻んだ。ような気がした。自分で言うのもなんだが、けっこう良いことを言えたような気がする。とにかく、彼女が元気を取り戻してくれたのならなによりだ。


「ユミ先輩に、後でありがとうって言わなきゃね」

「う、うん。そうだね」


 当の先輩本人は知らない男性と奥のフロアでガンアクションゲームの対戦をしていた。普段から通い詰めているのか、素人離れした無駄のない動きを見せている。きっと僕たちが誘いに乗らなくても一人で来ていたのかもしれない。


「ねっ、せっかくだから私たちももっと色々遊ぼうよ。ほら、あれとか面白そうじゃない?」


 円が椅子から立ち上がり僕の手首を引く。その視線の先には流行りものらしい落ち物パズルゲームの筐体。またしても僕が苦手で彼女が強そうなジャンルである。


(円と遊べるならなんだっていいけど)


 少しだけ心の荷が降りたのか、円の声はここに来た時よりも明るかった。


(というか、もしかしてこのシチュエーション……)


 もしかしなくても、デート……か、それに近いものかもしれない。地味ではあるが、普段は街中を走ってばかりだったのでそれと比較したらかなり前進した方ではないかと思える。

 幸い、と言うのも変だけど奥村先輩は別のゲームに夢中なので今僕と円は実質二人きりで遊んでいることになる。

 困った。抑えようにも表情筋が緩んでしまう。意識すれば余計にドキドキが止まらない。


「いっちゃん、顔赤いよ?」

「な、なんでもない。ちょっと暑いかなって」

「そうだね。このゲーセン、暖房効きすぎてるかも」


 僕の顔を心配そうに円が覗き込む。犬飼からは僕は昔から顔に出やすいと言われていたけど、彼女はそれ以上に鈍感なのか僕の言葉をそのままの意味で捉えるフシがある。

 果たして幸か不幸か、その状況に甘んじている自分もいて少し情けない。


(まぁ、いい……のかな。今は)


 少なくとも、今はこの付かず離れずな距離でいい。一緒に修行して、一緒に話したり遊んだりして、一緒に戦い強くなる。

 きっといつか、この関係よりもさらに先に行く時に円の心の奥底と向き合う日が来るだろう。その日までに、僕がするべき事は力をつけて彼女と釣り合う男に成長する。それだけだ。

 

 しかし、そう時間のかからないうちに、僕はその認識を後悔することになる。

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