Bishop《ビショップ》
炫
【第1部】 1章
第1話 君は未確認(前編)
かつて、僕にはヒーローがいた。
ヒーローとは言っても、アニメや特撮番組の主人公とか、プロ野球選手とか、そういった大層なものではない。近所に住む一人の幼馴染の女の子のことだ。
その子は楽しく、優しく、そして強かった。明るく人当たりのよい性格で、好奇心旺盛な子どもで、喧嘩も負けなしであった。
弱虫で内気な僕にはないものを、全て彼女は持っていた。
彼女は幼い僕にとって紛れもないヒーローであったが、その憧れが恋心であることを知るのに時間はそうかからなかった。
朝の時間、帰りの時間、休みの日……僕は四六時中彼女と一緒にいたかった。もちろんそれが叶わないこともあったが、彼女との時間は最高に楽しかったし、自分の持っている時間を全て捧げてもいいと当時の僕は本気でそう思っていた。
だが時の流れというのは残酷で、中学に上がる頃になると勉強、部活、人間関係、次々と新しい環境が押し寄せた。僕が彼女と一緒にいる機会はめっきり減り、朝の待ち合わせもしなくなった。
いわゆる、疎遠というやつだ。
その事実を受け入れるまで、僕は相当な時間がかかった。少しでも彼女の目に入り、気に入られようと手を尽くした。「スポーツができる男はモテる」という話を聞けば、ルールもろくに知らないのにサッカー部に入り、「楽器ができる男はモテる」という話を聞けば、お年玉をはたいて高いベースを買った。
しかし当然、不純な目的で始めた僕にはセンスも根性もなく、サッカー部では補欠にすら入らず一年経たずに辞め、ベースも楽譜を読むことすら出来ず数週間で物置行きとなった。
何かが間違っているかもしれないが、それでも当時の僕は本当に、なんとか彼女の気を引こうと必死であった。それでクラスからは「歩く黒歴史」なる不名誉な仇名をつけられたりしたものだから、笑えない話だ。
前置きが長くなったが、そんな僕「九条一徹(くじょう いってつ)」はついに高校生になった。憧れの幼馴染の名は「沢灘円(さわなだ まどか)」という。
中学三年生の秋、僕は意を決して疎遠だった円に志望先の高校を訊ねた。円は笑いも泣きも驚きもしない表情で「室星(むろほし)学園高校」と答えた。彼女との接し方を完全に忘れた僕は「そ、そうか」と頷き、逃げるようにその場を立ち去ってしまった。まさかそれが彼女との最後の会話になろうとは、当時の僕には知る由もない。
だがそのおかげで、僕はなんとか円と同じ高校に通うことができた。私立高校の室星は偏差値が高く僕の学力では厳しかったため、数ヶ月の猛勉強で入ることが出来たのはまさに奇跡だった。
対し円は頭脳明晰スポーツ万能、容姿端麗で交友関係も広く中学時代から絵に描いたような優等生だった。テストの上位者には常に名前があったし、スポーツ大会の成績で表彰された回数も一度や二度ではない。当然ながら受験も余裕しゃくしゃくだ。認めたくはないが、彼女の人生は僕の一歩も二歩も先を進んでいる。幼い僕にはそう解釈することしかできなかった。
僕にとってみれば、この高校生活はいわばラスト・チャンスである。三年間で何とか想いを形にできなかったら、その時はすっぱり諦めるしかない。人生で最も、悲しいほど後ろ向きの新生活スタートだ。
それはさておき、そんな僕の幼馴染の沢灘円は、
「……はぁーーーーッ!」
僕の目の前で、見たこともない異形の怪物を殴り飛ばしていた。
時は、1時間ほど前に遡る。
◆
『なぁ、九条。ここの問題わかる? このでかい3番の最初のやつ』
「えっどこ? どのへん?」
『ほら、18ページの一番上のやつ』
「あー、分かんないから飛ばした。後で適当になんか書く予定」
『えー、俺なんも思いつかねえ。明日当てられたらどうしよ』
新学期も始まり二週間が過ぎたある日曜の夕暮れ時、僕は自宅で机に向かい友人の犬飼とスマホで通話しながら山盛りの宿題を相手に格闘していた。
この高校に入学してすぐ、僕は二つの困難に直面した。一つは、僕の学力は学年内ですこぶる悪い方でクラスでも下から数えて2番目だということ。もう一つは、クラスで唯一とも言える友達が僕よりさらに成績の悪い学年最下位級の犬飼誠(いぬかい まこと)であるということだ。こうして宿題の提出日前日の夜に協力プレイで片付けようと目論んでいたのだが、進捗は当然よろしくない。
『あーあ、円ちゃんなら頭も良いしこういう問題も楽勝なんだろうな。おっ、そうだ九条。今から電話して聞いてみないか? ダメ元でもいいから』
「ダメ。そもそも僕、番号知らないし」
『は? お前円ちゃんの番号知らないの!? 幼馴染なのに!?』
「スマホ買ってもらったの、疎遠になってからだもん……」
『あっ、そ、そう……なんか悪い』
バツの悪そうに謝罪する犬飼。僕も何だか自分で言ってて悲しくなってきた。
犬飼とは小学校5年生の頃に同じクラスになって以来、中学、高校と進学先も同じの見知った仲だ。なので当然円とも面識はある。ちなみに僕が円に恋心を抱いているのも随分前から知っていたらしい。曰く、「お前は顔に出過ぎる」と。
『でもさぁ、今時高校生にもなって番号すら知らないとか、恋愛のスタートラインにすら立ってないだろ。どうすんだよ〜うちの学校けっこう頭いい奴とか顔いい奴多いんだぜ? 2組にすんげえ可愛い子いるって、円ちゃん噂になってることお前も知ってんだろ』
「う、うるさいなぁ。分かってるよ……だから余計に話しかけに行きづらいんだって。中学の時だって『お前円ちゃんのなんなんだ』って違うクラスの男子に絡まれたことあるんだし」
『何なんだって、「幼馴染みだ」くらい言えよ』
「そ、そうだけどさ……学校じゃ滅多に話しかけられなかったし次の日から絶対馬鹿にされると思ったし……その……」
交友関係の広い円は中学の頃から同級生やら先輩後輩やらに関わらずモテた。聞いた話だと同性からラブレターを貰ったこともあったとか。ただ、その割に当時から浮いた話は一切聞かないのが不思議と言えば不思議だ。そのおかげでこんな僕にでも1%くらいの希望は保たれているのだけども。
『はァ、本当お前って奴は奥手通り越してヘタレすぎるし、おまけにチキン……』
犬飼の呆れたようなため息が電話越しにでも伝わる。始めのうちは応援してやるぜと言っていた彼だったが、ここ数ヶ月の僕の体たらくっぷりには流石に言葉もないようだ。
『まーぶっちゃけ円ちゃんここ最近で何となく昔と変わったし話しかけにくいってのは確かにあるかもな』
「犬飼もそう思う?」
『そりゃあ、小学校の頃は昼休みに男子と混ざってドッジボールしたり自由研究でオオクワガタ自力で捕まえて観察日記書いてくるような子だぞ。あの頃に比べたらなんというか、大人しくなったよな。廊下ですれ違っても最近じゃ目も合わせてこないし』
思えば中学の頃も疎遠になったとは言え友人と仲良く談笑したり文化祭の実行委員をやっている姿を何度も見かけた。高校に入って久々に見た円の印象は、犬飼の言う通り確かに変わったような気がする。廊下から見た教室の彼女は、友達とじゃれあっているでもなくただ窓の外を眺めていた。思えば最後に話した半年前も、どことなく冷めた雰囲気だった記憶がある。
『……っと、こんな無駄な話してる場合じゃないぞ。明日の一限までに全部終わってなかったら宿題2倍に増えるって話らしいからな』
「2倍? 誰から聞いたの?」
『バスケ部の先輩だよ。数Aの金子は宿題の提出遅れたり不正解ばかりだったら一時間ごとに元々の量の一割を増やして再提出させるんだってよ。一限目で再提出食らったら、放課後には軽く倍に増えてるって計算だ』
「なにそれ怖、ヤミ金じゃん」
そんな話を聞いてはモタモタしていられない、と僕はシャーペンをさっきより1.5倍早く動かした。しかしいくら早く動かそうが問題の答えが分からなくて適当に走らせているだけなので実際意味はない。
『この学校じゃ俺ら頭は最低ランクだから、留年とかマジで他人事じゃないからな。這ってでも進級できる点数は取らねえと』
犬飼は一般受験の僕とは違いバスケ部のスポーツ推薦で室星に入学した。筋骨隆々な体つきと180cmという恵まれた身長のお陰で、入部早々若手のエースとして期待されているようだ。だからこそ、試合の出場権利を失う「留年」の烙印は何としても避けたいのだろう。お互いそれなりに必死になる理由があるのだ。
「んー、さっぱり分からない。今日は徹夜するしかないかなぁ。ちょっとコンビニ行ってくる」
無駄に同じ式ばかりを書いたり消したり繰り返していた手を止め、僕は椅子から立ち上がった。
『ん? 何買って来るんだ?』
「エナジードリンク。受験の時もこれ飲んで勉強してたの。けっこう効くよ」
『うへぇ、身体壊すなよー。海外で飲みすぎて死んだ奴とかいたらしいし』
「さすがにそんなには飲まないって。じゃ、切るよ」
『おう、また後でなー』
ピッ、と通話を切りスマホと財布をズボンのポケットに入れて僕は出かける支度をした。
上はフード付きのトレーナー、下はサッカー部時代の青ジャージ。適当な格好だが、徒歩20分圏内のコンビニに行くぐらいならこんなもんでいいのだ。前髪がちょっとボサボサしているため、知り合いの女子に見られたら少々恥ずかしいが。
「鍵、鍵……あった。……ん?」
家の鍵を探して卓上の小物入れを漁っていたら、「ぴんぽーん……」とチャイムの音が響いた。今日何かうちに届く予定とかあっただろうか。
僕の両親は只今別居中で、父親はトラックの運転手として昼夜問わず日本中を駆け回っている。なので基本は家にいない時間の方が圧倒的に多い。ただ夫婦仲が冷め切っているという訳ではなく、離れた場所に住んでる母親は定期的に連絡も取るし、衣服や食べ物を送ったりもしてくれている。
僕が支度にもたもたしていると、再びチャイム音が鳴った。
「あっ、はーい。今、出ま……」
返事を終えると同時にドアを開けて、僕の動きは止まった。
予想した人物と違ったというのもあるが、それ以上に人物の見た目の異様さに驚いたのだ。
訪問者は男だった。細身だが背はかなり高い、恐らく犬飼以上はあるだろう。顔立ちはかなりのイケメンなのだろうが、目つきが鋭くどこか圧力を感じる。さらに全身が黒いスーツ、黒い中折れ帽子、黒い革靴という全身真っ黒で固められていた格好だ。夜なので玄関の照明がなければ巨大な黒い塊にしか見えなかったと思う。正直言って怖いし、築30年の2階建ボロアパート1階の我が家の軒先には似つかわしくない。
「九条一徹様でよろしいですか? こちら『プロメテ』一式、お届けに上がりました」
「は、はい?」
男は脇に小さな黒いアタッシュケースを抱えていた。お届けに上がった、ということは宅配便か。いや、こんな全身真っ黒の怪しい宅配便とは今まで出会ったことは無い。両親の知り合いという線は絶対ないし、麻薬の密売人とか言われた方がまだしっくり来る。
「何ですか? これ。えっと……プ、『プロメテ』?」
受け取った黒いアタッシュケースを指差し、恐る恐る尋ねた。任侠ドラマなどで出てくるような札束や銃の入ったケースよりは小さく、取手もないので持ち運びにはいささか不便な印象を受ける。貼られた付箋にボールペンで書いてある『プロメテ第0号アルファ型』という単語はまったく聞いたことがない。
「そうですねぇ……流行りのガジェットとでも言いましょうか。特定の人間しか使用できない少々レアなものです」
「が、ガジェット? レア?」
男の説明は凄まじくざっくりしており、何か含みのある気配は否めない。ガジェットと言うと、機械のパーツか何かだろうか。
「もしかして親父が注文した何かだったりしますか?」
僕が通販などで買った覚えがないとすると、思い当たるのは父親しかいない。が、それならちゃんとした宅配便の人が来るはずだし、まさか非合法のパソコン部品を裏ルートで確保した、なんてことはないだろう。そもそも非合法の裏ルートでしか手に入らないパソコン部品があるのか知らないけど。
いや、そもそもこの男は名指しで僕に届けにきた。親父が注文した線は相当薄い。
「いえ、実はさるお方からこちらにお住まいの『九条一徹』様宛にお届けするよう依頼を承りまして、私が伺った次第であります」
「は、はぁ……」
さるお方とは一体どこのどなたなのだろう。流行りの、という割にはアタッシュケースは細かい傷やぶつけた跡がいくつもあり、経年劣化がとても激しい。よく見たら指紋もベタベタついている。あんまり素手で触りたくない。
「そう身構える必要はございませんよ。適合する人ではない限り最近のプロメテは起動しませんので、それほど危険なブツではないかと」
適合? 起動? 最近の? それほど危険なブツではない?
つまりこの男の言葉尻から察するにケースの中身はガジェットとは言ってもゲーム機やパソコン部品のような娯楽道具ではなく選ばれし者しか扱えない怪しい物が入っているらしい。もし起動しなかったかったとして、誰がなんのためにそんなものをうちに寄越すと言うのか。
「確かにお渡しました。では、失礼致します」
「あ、ちょっと……!」
事態を飲み込めない僕を尻目に男は怪しく微笑み去っていった。アタッシュケースと開きっぱなしのドアを交互に見ているとバイクのエンジン音が耳に響いてきた。どうやらサインも印鑑も貰わずに行ってしまったようだ。あの男、やはりただの宅配便ではない。
「何だよこれ……こんなの渡されたっていらないよ」
半ば押し付けられたアタッシュケースの外観を隅々まで眺めてみると、危険物を収納しているような厳重な作りはしておらず、イメージとしては理科室にある試験管や薬品の瓶など実験器具セットが入ってる箱に近い。硫酸とか毒薬とか漏れたら危険な薬品をこんな簡素なケースに入れてるとは考えにくく危険物の類ではないと思う。
僕が危惧しているのはこれが盗品だった場合で、警察が血眼になって探してるのだとしたら真っ先に疑われるのは僕だ。そうなる前に道端で拾いましたと言って交番に届けた方が良い。
(まぁどうせ届けるんだし、中身見るくらいはいいかな)
多少の好奇心を胸に、僕は恐る恐るケースの留め金を外した。
「何これ。スマホ?」
開けたケースの中に入っていたのは綿のクッション材に包まれた小さい板状の物体だった。大きさはちょうどスマホくらいで色は全体が真っ黒で上からは模様はおろか操作ボタンすら見えない謎めいた板だ。流行りのガジェットとか言うものだから、もっと機械っぽい見た目を想像していた。
持ってみると触り心地はやはりスマホで手によく馴染む。重さもかなり近い。が、表面は画面らしき作りをしているわけでもなく裏にも側面にもボタンはない。そもそもこれは機械なのだろうか。
「うわっ!」
ぺたぺた表面を触っていたらスマホらしき物体は突然に赤い光を放ち、不意打ちで目眩しを食らった僕はその場にうずくまった。玄関内にガシャン、と嫌な音が鳴り響く。光に驚いて落っことしてしまったようだ。
(や、やってしまった)
痛む目を擦り僕はそれを拾い上げる。落とした場所が木の床であったので傷らしい傷は付いてない、と思う。が、しかしそんなのは些細なことで、何も押してないのに勝手に光り出したことの方がよほど問題だ。さっきの閃光のように強くはないものの、何らかの模様を描いているようにちかちかと点滅している。
戻そう。僕は何も見ていない。
「さ、さ〜てコンビニ行かなきゃ……」
僕は一旦部屋に戻り怪しいアタッシュケースを机の下に放り投げ、逃げるように家を走り出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます