第1話 君は未確認(後編)
コンビニまでの道のりは家から片道だいたい500mほど、アパートの前の坂道を下り交差点に出たところで横断歩道を渡り、しばらく真っ直ぐ歩いて次の信号の手前を左に曲がったところにある。幼い頃からの行きつけで、地元ではその店にしか売ってないたい焼きアイスを今までで合計300個は買ったと思う。受験の時に毎日のようにエナジードリンクを買って店長のおじさんに心配されたことは記憶に新しい。
「何だよ……どうなってんの……」
そんな行き慣れたコンビニだが、今日に限っては何かがおかしい。
いつまで経っても目的地に到着しないのだ。体感でもう30分は歩いたと思うが、道に迷ったという感覚は全くなく歩道に配置された街灯も幼少期によくお世話になった内科クリニックの切れかかった電光看板もいつもと変わらない。だがしかしこの電光看板、さっきから真っ直ぐ歩いているはずなのに4回くらいは見かけた気がする。
さらに気持ち悪いことに、僕が同じ道を行ったり来たりしてから人の気配を一切感じない。既に日が落ちかけて辺りの建物はみな明かりが点いているにも関わらず、人の姿が全く見えない。
(どこだここ! 絶対僕の知ってる道じゃない!)
訳も分からず僕は来た道を引き返そうとした。しかし、やはりコンビニに辿り着けなくなったように自宅までの道のりもいつの間にか消えてしまって同じ景色を行き来している。
「どこだよ……ここ……」
周囲を見渡してさらにこの場所の異常さに気付く。
道路で車が何台も信号待ちをしていた。だが、その信号は青に変わることはなく車は何分もの間そこで静止していた。その車には本来いるはずの運転者がいない。
これはいよいよまともな状況じゃないぞ、と流石の僕にも理解できた。まるでこの空間だけ時間を止めて、僕以外の人間を丸ごと掻っ攫っていったかのようだ。白昼夢と言われたら納得するかもしれない。
誰もいない、という恐怖感が一気に襲いかかってきて僕は反射的にポケットに入れたスマホを取り出そうとした。助けを求めようというなど大袈裟なところまでは行かなくとも、せめて犬飼か両親にあたりでも電話をして近況を伝えようと思ったのだ。
「う、うわーーーーッ!!」
ポケットから出した「それ」に僕はぎょっとして思わず放り投げてしまった。僕の手にあったのは普段から連絡や情報ツールとして使っているスマホではなく、先程うちに届いて机の下に置いてきたはずのスマホらしき謎の板だった。
(こ、怖い……なんで、どうして)
心臓がバクバク鳴っているのがわかる。確実にケースの中に戻して家に置いてきたはずなのに、なんなんだこの機械は。捨てても戻って来る呪いの日本人形か。ちなみにもう一度ポケットをまさぐるといつものスマホはきちんと入っていた。
そして僕が放り投げた方のスマホは、遠くからでもはっきりと模様が見えるように光を放っていた。しかしさっきと違っているのはそれだけでなく、赤い光だけだったものに今は青と紫の光も混ざっていた。それが何を意味しているのかまったく分からないが、きっとこの状況と無関係ではないのだろう。
拾い上げたら、そのスマホらしき物体はぐわんぐわんと鈍いサイレンのような音を鳴らし始めた。非常にうるさいと言う程の音量ではないが、人の声も物音もしないこの空間の中ではそれなりに響く。
こういうサイレン音は地震とか災害を知らせるアプリの音を連想する。何か危険が近づいて来る、そんな予感がした。
何者かの気配を感じ取ったのは、その一瞬後だ。
「オイ」
「わっ!」
突如聞こえた呻くような声に僕は振り返った。誰もいなかったはずの僕の背後に、男が立っている。
サングラスに金髪のオールバック、ダメージジーンズに着崩した上着と、少しちゃらついた格好の若い男だ。だが、普段その辺で友達とたむろしているような快活さは無く、どこか様子がおかしい。様子がおかしいというか顔色が悪い。街灯しか明かりのない道でもはっきり分かるほどだ。
「オ……マエ……か?」
「は、はい?」
滑舌が良くないのかうまく聞き取れなかったが「お前か?」と尋ねたのか。何がお前かなのがさっぱり分からないが、男もこの空間に閉じ込められたらしく自分は一人ではなかったのだと少し安心した。
「うぐッ!」
が、直後顔面に思いっきり打ち付けられるような衝撃を受けて僕はその場に転がった。目の前の男に殴られたのだ。人にぶたれた経験はほとんどないが、一般的な若い男性のパワーだとよほど思いっきり殴らなければ人は倒れないと思う。頬にひりついた感触があるので、血が出ているかもしれない。なぜ出会い頭に知らない男にいきなり殴られなければいけないのか。
「しネ」
「えっ……い、痛い! ……痛っ……」
状況が飲み込めてない僕の左手首を千切れそうな速さで男が引っ張り上げる。肩に走る激痛に僕は思わず悲鳴をあげた。どう考えても普通の人間の力ではない。
殺される、と本能的に察して僕は死に物狂いで抵抗した。手首を掴んでくる腕を必死で振り払おうと暴れ、男の足を何回も蹴り続ける。しかし、男の肉体は鉄のように硬く蹴りを受けてもぴくりとも動かない。
「うわっ!」
直後、身体がふわっと宙に浮く感覚を覚えた。男が途轍もないパワーで僕を投げ飛ばしたのだ。野球ボールのように道路側へ吹っ飛ばされた僕は、静止していた軽自動車の後部ドアのガラスに頭から突っ込みその場に崩れ落ちた。幸い割れてはおらずガラス片が刺さったりはしなかったが、頭蓋骨への強い衝撃と激痛に意識が朦朧とする。
「ひっ……!」
薄れる視界の中で僕が見たのは、もはや男どころか人間ですらない「何か」であった。全身の肌が真っ青に変色し、上半身は服が破け二の腕は大岩のように膨れ上がり裂けた胸からは巨大化した心臓のようなものが脈打っている。首から上は硬い鱗のような皮膚で覆われておりどこに目や鼻があるのか分からないほど変質していた。生まれてこの方こんな生物見たことも聞いたこともない。
言うなればそいつは「異形の怪物」そのものであった。
(や、やられる……逃げなきゃ!)
怪物の拘束が解かれたというのに激痛と恐怖で僕の足は依然として動かない。
「キる……」
(このままじゃ、死ぬ!!)
僕の恐怖心を煽るように怪物はゆっくりと近付き、全身の姿をさらに変化させていった。両脚がドラム缶のように太くなり両手には鉤爪のような鋭い刃が生えた。その爪で、僕は今からどんな風に料理されてしまうのだろう。
余りにも、あんまりにも理不尽すぎる最期だと思う。僕はただコンビニに買い物に行きたかっただけなのに、見知らぬ男から謎のスマホを押し付けられ、よく分からないねじれ空間に迷い込み、怪物に襲われて嬲り殺されてしまうのだ。日本の超かわいそうな高校生ランキングがあるとすれば、ぶっちぎり一位を取れる境遇だ。
怪物と僕の距離が2m、1mとゆっくり縮まる。これでお終いか、と僕は反射的に目を瞑った。
しかし何秒経過しても僕の意識は確かにあったし首と胴体は繋がっていた。恐る恐る目蓋を開け、視線を上に向ける。
(こ、こ、ここ、怖い…………!)
まさに目と鼻の先に怪物は立っていた。全長は2mはゆうに超えて、長い鉤爪は僕の頬擦れ擦れの位置に構えており、いつでも惨殺できるぞという準備完了のサインに見えた。しかし、怪物の顔は僕の方を向いていない。僕も同じ方向に目をやった。
遠くの道から、何者かがこちらに歩いて来る。街灯に照らされたその姿は、明らかに人間であった。
こちらに接近するにつれ、人物の顔がはっきりと露わになる。
(う、嘘……まさか)
人物の正体は人間の、女の子であった。整った顔立ちに明るい茶髪のポニーテール。だが、片目が隠れかけるほど長い前髪から覗く表情はどこか険しさを感じさせる。
その女の子の顔と名前を僕は知っていた。
(まさか……円!?)
間違いない。僕が6歳の頃から片思いをしている相手であり3年近く疎遠になっていた幼馴染、沢灘円その人だ。
「ヴ……ヴォァァーー!」
怪物は何かを感じ取ったのか、襲う目標を僕から円に変え走り出した。その巨体からは想像もつかないほどの速度で一瞬で距離を詰め、鉤爪を振り下ろす。
急所に当たったら間違いなく即死の一撃。だが円は表情を変えず半身を逸らしその攻撃をひらりと躱す。鉤爪は空を切りアスファルトの地面を突き刺す。周囲に硬い破裂音がこだまして僕は思わず耳を塞いだ。
「ヴぐッ!」
大振りな攻撃でがら空きになった怪物のボディに円が拳を叩き込む。2発、3発と続け様にパンチを受け怪物は苦悶の声を上げた。
あれだけ蹴ってもびくともしなかった怪物が生身の人間の拳で明らかに苦しんでいることに僕は驚きを隠せなかった。しかも先程と違って怪物の姿をしているのだから、パワーも重さも比較にならないだろう。
パンチだけでなく肘鉄や裏拳、蹴りも駆使して怪物を追い詰める円。しかし、一方的にやられまいと怪物も鉤爪を振り回し彼女を引き剥がす。
両者は距離を保ち睨み合いながら、数秒が経過した。
先に動いたのは怪物の方だった。鉤爪だった両手を一瞬で変質させ元の人型の手に戻し、円の華奢な身体に掴みかかろうと飛び上がる。
後方に小さくジャンプし回避を試みる円。怪物の右手は虚しく空を切る。しかし、最初の一撃はフェイントで下からもう一方の左腕が一気に数mの長さに伸びて彼女の右手首を掴んだ。
「くっ……」
冷静な表情を崩さなかった円の顔つきに苛立ちが見えた。先程の僕と同じように振り払おうとする円だったが、体格差があるためか思うように振りほどけない。
怪物は体内のパワーを全て出し切ろうとしているのか、太く膨れ上がった両腕がさらに肥大化していく。再びじりじりと距離を詰め、怪物は巨大な右腕を振り上げた。
(危ない!)
「ヴ……ッ、ヴァァーーーー!!」
怪物が咆哮とも思しき叫び声を上げる。
直後、大きな塊のような物体が鈍い音を立てて地面に転がった。それが円を掴んでいたはずの怪物の腕だったと始めは分からなかった。怪物が発したのは勝ち誇るような咆哮ではなく悲鳴だ。
鉤爪よりもさらに鋭利な刃物で、一瞬のうちに切断されたのだ。
視線を移すと、円の左手から謎の光が放たれているのがわかった。懐中電灯のような周囲を照らす光ではなく、レーザー光線のようにはっきりと形が見えるような光だ。彼女の手から伸びる光は刃渡り1m以上はある長い剣のような形をしていた。
あんな怪物と当たり前のように肉弾戦を繰り広げていたのだから、円もただの人間でないことは何となく察しがついていた。しかし、いざ目の前でこんな異様な光景を見せられてしまうと流石に現実と受け入れるのが難しい。
頬に手をやると、ぬるっとした嫌な感触と共に激痛が走った。さっき怪物に思いっきりぶん殴られた時に血が出ていたのだ。信じられないが、やはりこれは現実である。
「ヴァァーー!!」
「……はぁーーーーッ!」
痛みを堪えて力任せに右腕を振り下ろそうとする。しかし、それよりも早く力を込めた円の拳が怪物の腹部に炸裂した。
怪物は防御もままならず、後方に思い切り吹っ飛んでいった。転がった怪物はしばらく起き上がれず、今の攻撃が誰の目に見ても致命傷だと分かる。
しかし、それでもまだ絶命するには至らなかったらしい。最後の力を振り絞り、立ち上がった怪物の全身からは真っ黒の液体がどろどろとこぼれ落ちている。切り落とされた左腕の断面は徐々に傷口が塞がりつつあり、切断された腕は時間と共にまた生えてくるのだろう。自然界の生物ではあり得ない脅威の再生能力だ。
円が姿勢を低くして光線の剣を構える。直後、怪物が動き出すよりも早く走り出し懐に接近する。
光線の剣はまさしく閃光のごとく一瞬で振り上げられ、怪物の肥大化した胸を斬り裂いた。怪物は苦しげな叫び声を上げ、同時に円は地面を蹴って後方に下がる。
「ヴォォーーァァーーーー!!」
今の一撃がとどめだったのだろう。両膝をついた怪物の肉体は傷口を中心にひび割れを起こし、悲鳴とともに大爆発を起こした。
爆風と轟音が僕の体を吹き抜ける。かつて怪物だった肉体の破片は燃えカスとなって周囲に散らばっている。怪物を切り裂いたレーザー光線の剣は一瞬強い光を発すると音もなく消失した。
もうあの怪物は完全に死んだと言って間違いないのだろう。
円が車のドアにもたれかかって震えている僕に気付き、ゆっくりと近付いてくる。
「……いっちゃん?」
「ま、円……だよね? 本当に」
これが全ての始まりだった。
僕や彼女、様々な人間を巻き込んだ普通じゃない高校生活がこの時始まったのだった。
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