第2話 命が燃えた日(前編)

 今の状況をシンプルに説明すると、出口のない不思議な空間に迷い込んだ僕はどう見ても人間じゃない怪物に襲われてボコボコに痛めつけられ、まさに死ぬ寸前。そんな僕を救ったのは、約10年片思いしているのに3年ほど疎遠になっていた幼馴染の沢灘円だった。円は僕の目の前で女子高生にあるまじき格闘パワーを発揮し怪物を圧倒、レーザー光線の剣を使って一刀両断。怪物は爆発四散して今に至る。


「どうして、いっちゃんがここにいるの……?」

「ど、どうしてって言われても」


「いっちゃん」とは幼い頃から彼女が僕を呼ぶ時の愛称だ。僕をその名前で呼ぶのは地球上で彼女しかいない。やはり、目の前の円は本物だということだ。

 久々に会って話をしたというのに、状況がまったく飲み込めず非常に困惑している。どうやら円も同じらしく、僕を見て血の気の引いた顔をしていた。確かに怪物に思いっきり殴られて酷い顔をしているし格好もボロボロでみすぼらしいが、ここまで信じられないという表情をされるとちょっと泣きたい。


「いっちゃん、だよね……? ちゃんと人間の……あいつらと一緒じゃ、ないよね……?」

「え? う、うん……はい」


 あいつらと言うのは、さっきの怪物のことだろうか。あれも最初は人間の姿をしていたので、僕を見て警戒するのも仕方ないといえば仕方ないのか。でもあっちは顔色も悪かったし日本語も何か変だったのでたぶん間違えられないとは思う。


「だとしたら、考えられるのは一つしかない……よね」


 円は恐る恐る僕に近付くと、僕の足の先から頭のてっぺんまでまじまじと視線を注いだ。


「立てる?」

「立て……る。うん、大丈夫」


 意識もはっきりしてきたし、痛みもさっきよりはだいぶましだ。僕は差し出された円の手を掴む。意中の女の子とここまで接近できるなんて超ラッキーなイベントなのだが状況が状況なのであまりドキドキできない。


「ちょっ!?」


 立ち上がった途端、円は僕のジャージズボンのポケットに手を入れた。予想外かつ急すぎるスキンシップに流石の僕も変な声を上げてしまった。昔は活発な性格だったけれど、こういうことをする子だっただろうか。しかし彼女の顔つきは真剣そのものである。


「やっぱり……」


 何かを掴んだ円はそのまま手を引っ込めた。その手に握られていたのは1時間ほど前にうちに届いた謎のスマホだ。さっき怪物に襲われた時に落としたか失くしたと思っていたけれど、やはり持ち主の元に勝手に戻ってくるらしい。


「これ、どこで手に入れたの?」

「さ、さっきうちに届いたんです……」


 まるで取り調べしている刑事のような剣幕で尋ねられ、思わず敬語になってしまう。円の表情は怒っているのか悲しんでいるのかよく分からないものだったが、少なくとも僕がこれを持ってる状況を歓迎していないことは理解できた。


「このスマホ、何かよく分からなくて怖かったから明日警察に届けようかなと思ってたんだけど」

「もう遅いよ。このプロメテはもう、いっちゃんを持ち主に選んじゃったの。君は適合者なんだよ」


 こんな状況に巻き込まれてしまったので、既に手遅れなのは何となく理解していた。プロメテという単語はこれを届けた男も言っていたし、ケースに貼られていた付箋にも同じ名前が書かれていた。僕が知らないだけでそんなに有名な物なのか。


「……詳しく話してる時間はないみたい。とにかく、死にたくなかったらいっちゃんもそれで戦って。私も、君を守りながら勝てる自信ないから」


 言い終えると円は『プロメテ』を僕の手に渡し、警戒するように周囲を見回した。返されたプロメテは先程と同じように鈍いサイレン音をぐわんぐわん鳴らし始めた。この音が鳴った時、すぐ後にあの怪物に襲われたことを思い出す。


「ヴゥゥゥォォーーーー……」

「フゥゥーーーー」


 威嚇するような低い唸り声と甲高い遠吠えのような声が同時に聞こえた。声の種類は2つ。つまり、あのただでさえ凶暴で厄介な怪物が二体も近付いて来ていることになる。


「で、でも戦えって言ったって無理だよ! だってほら! さっきの奴にもこんなにボコボコにやられたし、円みたいに光る剣もないし……」

「大丈夫、いっちゃんも私と一緒だよ。プロメテの適合者なら、それを使って戦えるようになるの。あいつらを倒すための道具、それがプロメテだから」

「一緒? ということは円も……」


 僕の問いかけに円は小さく頷く。どうして円がプロメテを持っていてなぜ戦っているのか、そもそもあの化け物はいったい何なのか、聞きたいことは山ほどあるが今は彼女の言う通りここを生き延びなければ話にならない。

 使ってどうなるか見当もつかないが、試してみるしかない。


「よし……わかった、やるよ。ところで、これどう使えばいいの?」


 僕も円と同じように周囲の音を警戒しながら彼女と背中合わせに立ち、尋ねる。


「左右どっちでもいいから、手首に装着して。手の甲側の方に」

「えっ、スマホを? どうやって?」

「一旦スマホから離れて。とにかく、やれば分かるよ。かざすくらいでいいから」

「あ、はい。……こ、こうかな」


 円に促されるまま、僕は袖を捲りプロメテの角をちょうど左手首の腕時計の見える位置あたりに当ててみる。するとその瞬間、プロメテはみるみる形を変えて僕の腕に染み込むように溶けていった。染み込んだプロメテは長方形の真っ黒な痣に変化し、軽く触ってみるとその箇所だけ感覚がない。まるで腕のごく一部だけが機械に改造されたかのように思える感触だ。


「……来たよ! いっちゃん、装着できた?」

「うん、たぶん。これでいいと思う!」


 前方は道路を挟んで向かいの歩道から身長の高い男が、背後からは建物の影から髪の長い女性がこちらに歩いて来るのが分かる。目は虚ろで歩き方に違和感を感じるため、先程のように怪物が人間の姿をしている状態で間違いないだろう。

 

『Tell me what you want to do. Tell me what you want to do. Tell me what you want to do……』

「うわっ! な、なんか聞こえた」


 突如、頭の中で音声が繰り返し響く。幸い聞き取りやすい発音の英語だったので、意味は理解できた。たぶん「何をしたいか言え」だと思う。受験で猛勉強した時の記憶がまだ残っていて本当によかった。


「それで正しいの。私の言葉を復唱して。『魔力注入インゼクション』!」

「インゼ……何?」

「インゼクション。急いで!」

「い、インゼクション!」


 焦るように言い終えたその時だった。左手首の痣を通して僕の中に何かがスーッと流れてくる感覚が確かにあった。冷たいような熱いような、ひりひりとした空気が僕の全身を撫でる。まるで服を着ているのに裸になったような不思議な感触だ。しかし、身体の中の芯の部分は沸騰するようにぐつぐつと熱く煮えたぎっている。

 そして普段なら聴き取れないような風の音や、遠くの細かい景色まで情報として次々と頭に入ってくる。あまり体感したことがないが、これが「感覚が研ぎ澄まされた」ということなのだと思う。


「う、うわぁあーー!!」

「いっちゃん!?」


 敏感になった感覚がようやく落ち着いてきたと思った直後、僕の体がいきなり宙に浮いた。高度は10m、20mとみるみる上昇し僕の後ろにいた円の姿がどんどん小さくなっていく。これがプロメテの力の作用なのか。


(いや違う!)


 視線をさらに下に下げると、僕の胸には蔓のように太い腕が絡まっていた。反射的に後ろを振り向くと、さっきまで建物の影からこちらを見ていた髪の長い女性型の怪物が僕を羽交い締めにしていた。胸は鉄のように硬く女性のものだった顔つきは一瞬で変質し、全体が針金のような硬い毛で覆われ中心にクチバシのような突起を形作った。毛の間からはいくつもの小さな眼球がこちらを視認している。あの数秒の間に僕の背後に回り込み超人的なスピードで飛び上がったのだ。


「フゥゥウーーーーーー!!」


 怪物が遠吠えをした瞬間、周囲が竜巻のような暴風に包まれる。この怪物、さっき倒された奴と違い飛行の能力があるらしい。怪物と僕はさらに上昇し、街を一望できるくらいの高度にまで到達した。高いところは別に苦手ではないが、これは流石に気を失いそうになる。


「くっそぉーー!」


 このまま腕を離されて落ちたら地面に真っ逆さまで間違いなく死に至る。僕は右の脇で胸に絡み付く怪物の腕を挟み、がら空きの脇腹を左の肘で思い切り殴りつけた。


「グゥォ!」

(効いた!?)


 高度を上げていた怪物の身体が大きくよろめいた。円の言う通り、あれだけ歯が立たなかった怪物が僕の攻撃で苦しそうな声を上げている。生まれてから人を殴ったことなど一度もないし格闘技を習った経験も全くないが、今自分の中で人間離れしたパワーが生み出されていることは間違いなく分かる。これがプロメテに適合した人間の力なのだ。

 続け様に一発、もう一発と肘鉄を入れる。すると、周囲を包んでいた強風が勢いを無くした。暴れて揉みくちゃになった僕と怪物は、墜落するようにどんどん高度を落としていき近くのマンションの屋上に激突した。


「痛ったぁ…………あれ、生きてる!?」


 数十mの高さから落下という、普通の人間なら全身打撲で即死の状況にも関わらず僕の身体は致命傷と言うほどのダメージは受けていなかった。痛みこそあるものの、骨は無事だし手足の擦り傷程度で済んでいる。パワーだけでなく耐久度も恐ろしいほど人間離れしているようだ。


「グ……フ……ゥゥーーーーーー!!」

「うわっ!」


 僕の下敷きになってコンクリートの地面にめり込んだ怪物が、雄叫びを上げて勢いよく立ち上がった。反動で僕はバランスを崩し転倒する。


「ま、まだやるの」


 起き上がって体勢を立て直した僕は、両手を握り胸の前で構えていわゆるファイティングポーズで怪物と対峙する。怪物は本気で怒ったのか両腕を空に向けて広げ、威嚇とも思しき叫び声を上げ続ける。

 

(だったら、もっと叩いて弱らせる!)


 僕はさっき見た円の動きを頭に浮かべながら、一気に走って近付き渾身のパンチを怪物の顔面に打ち込んだ。針金のような顔を包む長い毛がパラパラと崩れて落ちる。これが確実な致命傷だ、とその時僕は直感した。


「ゔッ!!」


 しかし、それよりも強烈な一撃が僕の腹部に命中した。怪物の腕が細長い棒の形に変化し僕の腹を突き刺すように殴ったのだ。痛みに悶絶し僕はその場に倒れ込む。肉体が強化されているとはいえ、痛いものは痛いという事実を僕は今更認識した。

 倒れた僕は怪物に蹴られ続け、屋上の縁まで転がった。これ以上蹴られれば間違いなく地上に落ちる。高さは8階ぶんに相当し、今度こそ命の保証はできない。


「っ……! ううぅぅぅ!」


 とどめを刺そうと怪物が片足を上げたタイミングで、僕はもう一方の軸足に両腕でしがみついた。そのまま腰に力を入れて立ち上がり怪物は仰向けに転倒する。形勢逆転した僕は怪物に馬乗りになり、半ばヤケクソで胸部や顔面を殴りつけた。怪物は顔面の長い毛の隙間から血のような黒い液体を流し苦しそうな呻き声を発する。


「フゥゥーー……アァァァァーーーー……!!」

「う、うわぁっ!!」


 しかしそれでも倒すには至らず、僕の身体は再び宙に浮いた。今度は怪物は地面に倒れたままで、僕だけを風の力で浮かせているようだった。弱っていて一気に吹っ飛ばすほどの力ではないが、浮いた僕の身体はゆっくりと横移動し屋上から引き剥がされる。


(何か、こう、何かないのか!? 体が強くなる以外にもっと便利な能力とか!)


 宙を泳ぐようにもがきながら思い出す。円は超人的なパワーと速さ以外にも怪物の四肢を一瞬で切断できるレーザー光線の剣を使っていた。プロメテを装着した人間がみな同じような特殊な能力を得るのだとしたら、僕も何か使えるはず。単純な肉体強化ではどうにもならないこの状況を打破するには、それに賭けてみるしかない。


「何か、何か……出ろ! 何でも良いから、頼む出て!!」


 僕はプロメテが入り込んだ黒い痣に手を当て、無我夢中で叫んだ。

 その時だった。駆け抜けるような一瞬の閃光が僕の中心を包み、左腕が煙を上げ爆発した。

 

(ほ、ほんとに何か出た!)


 煙が晴れて、周囲の状況が明らかになる。まだ僕の体は宙に浮いていた。真下の十数m先にあるのはアスファルトの地面。いつ落とされてもおかしくない。

 しかし、数秒経っても僕はその場に浮遊し続けていた。気になって視線を怪物のいた方向に移す。


「ヴ……ゥゥ……」

「うわぁ! な、何だこれ!」


 怪物は首から下が炎に包まれて苦しんでいた。よく見ると、その胴体には炎を纏った太く長いロープのような物が何重も巻きついてあり、動きを拘束しているようだった。

 その炎のロープのような物を辿ると僕の左腕、痣のあった箇所から生えてきているのが分かった。


(ロープ……じゃない! 何これ、鱗!?)


 よく見ると怪物に絡み付いているそれはうねうねと動き続けており、先端には特徴的な生物の頭があるように見えた。


(蛇だ……)


 端的に言うと、僕の左腕から生えていたのは炎を纏った体長十数mもの大蛇だった。プロメテの力が体内に流れ込んできた時に感じた体の中から煮えたぎるような熱の正体は、これだったのだと今ようやく理解できた。炎の蛇は僕の意思に応えるように、怪物の胴体をギリギリと絞め続ける。

 頭の中で屋上に着地するのを思い描くと、その通りに蛇は胴を揺らし僕を建物側へ放り投げた。


(いてて……凄いけど、あんまり便利じゃないかも)


 受け身に失敗して転がったものの、まだ決着がついていないためその場で体勢を立て直し怪物と距離を取る。炎の蛇は怪物の身体から離れて僕の周囲をふよふよと浮いていた。

 そして怪物はよろよろと起き上がったものの鋼鉄のように硬かった全身が溶けたようにただれており、そこかしこから黒い血のような液体が止めどなく流れ出ていた。身体の再生も追いつかず、既に体力も限界なのだろう。


「うっ……はぁーっ……はァっ……」


 一方僕も全身の筋肉や内臓が痛いだけではなく、息も上がって視界が微妙にぼやけている。比喩抜きで、お互い倒れる寸前ということは確かであった。


(別に蛇じゃなくてもいい。もっとシンプルに、この能力であいつをぶっ倒す方法は……)


 頭の中でイメージを膨らませると、蛇はただの炎に姿を変えて僕の左腕に巻き付いた。はたから見ればボクシングのグローブに似ていなくもない。なるほど、これは非常に分かりやすい。

 一方怪物はもう僕を浮かせる力は残っていないのか、両腕をがばっと広げて全身を膨張させた。その反動で全身の穴という穴からどす黒い血液が一気に噴き出す。最後の手段として物理的に抹殺を試みているのかもしれない。

 僕が動き出すよりも早く、怪物がこちらに向かって走り出した。その一挙手一投足を、全神経を集中させて僕はじっと見据える。

 10m、5mと確実かつ急速に距離が縮まる。


「フゥゥーーォォーーーー!!」

「わあぁーー!!」


 ついに距離が1mを切った。その瞬間、僕は燃える左手を怪物の胸の下、鳩尾の部位に全体重を込めて打ち付けた。


「フヴッ……ゥゥォーーーー!」


 急所に大打撃を受けた怪物は奇声を発しながら遥か後方へ勢いよく吹っ飛び、空中で木っ端微塵に爆散した。怪物だった破片が僕の足元にも散らばり、辺りが煙で包まれる。

 煙が晴れた時、そこには僕以外誰も、何もいなかった。いつの間にか左手に巻きついていた炎も消えている。


「お、終わっ……た……のか」


 いや、まだ終わっていない。円がもう一体の怪物と戦っているのだ。さすがに実力で言えば彼女は僕の数段上なのでここまで苦戦してはいない思うが、万が一ということもあるし無事を確かめなければ。


「円! 円ぁー!」


 マンションの階段を駆け下り道路に出た僕は走りながら叫ぶ。周囲は静寂そのもので爆発音だったり地面が砕ける大きな音は聞こえてこない。


「円! まど……あ、あれ……?」


 二度三度叫んだ辺りで腹に力が入らなくなった。腹だけでなく全身から力が抜けていくような感覚に襲われ、僕はそこで膝をついた。確かにさっきまで怪物に殴られ蹴られ、文字通り死闘を繰り広げていたので疲れは相当に溜まっているのは間違いないが、こんなにも急に来るものだろうか。

 視線を足元にやると、黒いスマホに似た板が落ちている。僕の左腕に吸い込まれたはずのプロメテだ。これを身体に入れていたから凄い力を得て、高いところから落ちても死なないようになっていたわけで、それが出てきたということは……


(も、もう……ダメ)


 僕は歩道の真ん中で倒れ込み、意識が途切れた。

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