第8話 見えざる手と心(後編)
「無事か、九条!」
「先輩!」
声の主に振り返ることなく僕は叫んだ。長谷川先輩の放った弾丸はイレイズの後頭部に着弾していた。彼はさらに間髪入れずに第二射、第三射と
(う、うそぉ……!?)
すぐ目の前に僕がいるというのに躊躇わず発砲を繰り返され、さすがに血の気が引いた。だが放たれた弾丸は全てイレイズの首から上に命中しており、僕には一切当たっていない。それだけ彼の射撃能力が並外れていることの証明だった。
「グォアアアーー!!」
「よし、今だ!」
穴だらけになった顔面を両手で抑えながらけたたましい悲鳴をあげるイレイズに、とどめを刺すよう先輩が叫ぶ。
「は、はいっ!」
僕は背後の看板の出っ張りに手を引っ掛けてジャンプし、両足で全体重をかけてイレイズの腹部を思い切り蹴りつけた。
イレイズはそのまま1mほど吹っ飛んで仰向けに倒れた。ようやく出来た大きな隙を逃すまいと僕は左手に強く念じて炎の蛇を巻きつける。顔面を抑えてのたうち回っていたイレイズの胸に僕はありったけの力を込めて拳を振り下ろした。
「グガァ……ッ!」
しかし僕の拳は空を切り地面に激突する。命中するギリギリのタイミングでまたしても姿を消したのだ。
姿こそ見えないもののイレイズは草むらに大きな足跡を残していたため方角を知ることは容易だった。しかし、先輩は
このままではまた逃げられてしまう。そう直感した僕は拳をイレイズの方向に突き出し頭の中で強く念じた。炎の蛇は今も僕の手に巻きついたままだ。
(……!)
またしても全身の感覚が抜け落ちて身体が重くなる現象に襲われる。だが今回は蛇は伸び切ってはいない。その代わりに熱そのものが左手に集中していた。
はち切れんばかりに左手に絡まった蛇が膨張し、とぐろの隙間から火の粉が溢れ出る。
(そうか……飛び道具!)
どうやら僕は無意識に先輩の戦い方を脳内に浮かべていたようだ。思えばこの炎の拳も元は僕のイメージの産物。
ならば今は、この頭の中で描いた姿に従うのみ。
熱を帯びて膨張し続ける蛇が、ついに限界に達し破裂する。
(……あっ、たれえぇーー!!)
僕が強く念じたその瞬間、左腕の先から巨大な炎の塊が打ち出された。まるで隕石にも似たその火球は凄まじい速度で僕から離れていき、雑木林の目の前で何かに激突し、大爆発を起こした。
轟音と共に強烈な爆風が周囲に吹き荒れ、僕は耐えきれず後ろに吹っ飛び転倒する。
「ウグ……ッ、ケケァーー……」
その時、掠れた断末魔のような鳴き声を聞いたような気がした。爆煙が晴れた時、そこにあったのは火の粉が燃え移り焦土と化した草むらや木々のみで、起き上がった僕は近寄って手で触れてみたが見えない何かが存在する感触はそこになかった。
姿を消す厄介なカメレオンのイレイズは、これで完全に消滅したのだろう。
「ふぅ……っ」
安心しきって僕はその場に腰を下ろした。身体中の全エネルギーを一気に放出したような感覚だ。
あれだけ大規模な爆発を起こしたにも関わらず大火事と言うほど炎は燃え広がってはいない。僕の左手から炎の蛇が消失すると周囲の炎も綺麗さっぱり消失した。
「ちょっと遅かったみたいだけど、何とかなったようね」
一息ついた僕の耳に聞き覚えのある声が響く。
「石上?」
声の主の方向に顔を向けると、別の場所で戦っていたはずの石上怜が歩いてきた。そのすぐ後ろには円もいる。二人とも私服だが戦いがあったためか動きやすいラフな格好をしていた。
「どうしてここに……」
「ユミ先輩から言われて来たのよ。もう一人の先輩とは連絡つかないしあんた一人でも不安だからって」
なんと奥村先輩は僕が説得に失敗した場合の状況もちゃんと考えていたらしい。確かに別の場所で結界を展開すれば時間が引き延ばされるのはその空間のみなので、終わり次第すぐに駆けつけることが可能だ。ただそれでは彼女たちに倍の労力がかかることになるので、僕としては手を煩わせることなく倒せて良かった。
「いっちゃん、大丈夫?」
「ああ、うん」
円がボロボロになった僕の姿を見て心配そうに尋ねる。確かに転んだり100m近く引っ張られたりして、全身あちこちぶつけたし擦り傷も作っているが死にかけに比べたら全然無事な方だろう。
「僕一人じゃ流石に危なかったけど、長谷川先輩と一緒に戦ったし」
「長谷川先輩って、あの人?」
円が指さす方向に視線を向けると、先輩は草むらのど真ん中で呆然と突っ立っていた。武器である
「先輩?」
「…………お? お、おう……」
近寄って呼びかけてみる。反応はあるがどうにも先程までの覇気のようなものが消え失せている。戦いが終わったことでいつもの先輩に戻ったらしい。
「えっと……お、終わった……のか」
「もしかして、全然覚えてないんですか?」
「全く記憶にないが、出来たんだよな? その……初めて実戦」
先輩は恥ずかしそうに指で顎を掻いた。自分で言っていたことだし疑っていたわけではないが、ここまで激しいオンとオフの切り替わりを見せられては驚かざるを得なかった。
しかしまだまだ未熟な僕が言えたことではないが、戦った記憶がないということは経験値として蓄積されないので問題ではないかとも思う。
「はい! もう凄く助けられました。やっぱり先輩は凄腕のスナイパーでしたよ。ありがとうございます!」
とりあえず自信をつけてもらうため僕は大きめの声で激励した。実際、危ないところを助けられたのは本当だし狙撃の腕前も本物だ。嘘は言っていない。
「そ、そうか! そっか! 俺、やれるんだな……こんな俺でも!」
僕の言葉を受けて先輩は心底嬉しそうに、ぐっと拳を握りしめる。初対面の時から散々ネガティブな面を見せられてきたので、初めて見た先輩のはにかんだ顔は少し新鮮だった。
僕たちはそれからすぐに魔鍾結界を解き、奥村先輩に報告するため公園を後にした。
「ねぇ、九条」
「なに?」
その道中に急に石上が小声で尋ねてきた。
「あんたってさ、円の友達だよね?」
「えっと、うん。友達というか幼馴染……だけど」
彼女の問いかけに小さく頷く。円と先輩は僕たちの前を歩いており会話は聞こえていないようだ。
しかし、石上は僕とも円ともまだそこまで長い付き合いではないがなぜそんなことを訊くのだろうか。
「説明がちょっと難しいんだけど……あの子、ちょっと危ないかも」
「危ないって、円が?」
「性格とかじゃなくて、戦い方がね」
いきなり友達を危ない子呼ばわりは誤解を生むと判断したのか、僕が言葉を飲み込むより早く石上がフォローを入れる。
しかし戦い方にしても円は優れた実力の持ち主で、流れるような格闘と剣捌きでイレイズを圧倒してきたのを僕は何度も見た。危ないと言われてもあまりピンとこない。
「あんた、流暢に人語を喋るイレイズと戦ったことってない?」
「あるには……あるけど」
流暢に人語を喋るイレイズと聞いて真っ先に浮かんだのは今日のカメレオンのイレイズだ。初めて出会ったイレイズもこの間の魚人のイレイズも、片言ではあるが聞き取れる日本語を喋っていた。しかし今回はそれ以上に饒舌でこちらを侮辱したり口汚く罵ったりする言動が目立った。
「円……あの子ね、今日あたしと一緒に戦ってて途中までは冷静に対処してたんだけど、お喋りな個体と当たった時に何というか……かなり熱くなって我を忘れてるみたいだった」
「……え?」
「なんか鬼気迫るというのはまた違う感じでね、あたしの声も届いていなかったみたい」
僕は思わず聞き返してしまった。我を忘れるほどの激情に駆られて熱くなるなど、普段の円からは想像もつかない。円は口数は多くないしやや強引なところはあるが努力家で、いつだって他人を気遣う優しさがある。
しかし、そう言われてみれば僕の抱いている円の印象は僕の主観でしかないわけで、心の内に抱えていることを理解しているわけではない。
前に彼女は言った。「お母さんを奪ったあいつらを絶対に許さない。地上にいる化物どもを一匹残らず滅ぼす」と。円の憎悪の片鱗がそこにあるのだとしたら、それは他人がおいそれと踏み込める領域でないと思う。
「イレイズは人間のふりをして社会に溶け込む怪物よ。当然、長くいればいるほど言葉もぺらぺら喋るようになるし人間的な思考も学んでいく」
言葉を流暢に話すイレイズほど強力であるというのは今回肌で感じた。僕ひとりでは倒せなかったし、恐らく長谷川先輩ひとりでもかなり危なかっただろう。
「あたしの取り越し苦労ならいいんだけどね。これからもっと長い年数生きた厄介なイレイズと当たったらって思うと、ちょっと心配になったわけ。あの子自身もそうだし、あんたとか一緒に戦ってたらもっと危なっかしいし」
「うっ……」
せっかく心配してくれたようだが一言多かった。石上が面倒見良く自信家なのはけっこうだが、僕だって少しずつレベルアップしている。
それに、今日もイレイズを倒せる新たな技を一つ身につけたのだ。いつまでもお荷物ではないぞ……と思いたい。
「いっちゃん、どうしたの? 何の話?」
僕たちの会話に気付いた円が振り返り尋ねる。
「え? いや、何でもないよ」
慌てて首を横に振る。今の話を彼女に直接する度胸は僕には流石にない。円は特に気にしていないようで再び視線を戻し、僕は気付かれないようほっと一息つく。
取り越し苦労ならいいと石上は言ったが、僕は言葉に出来ない不安のようなモヤモヤを感じずにはいられなかった。
「なぁおい九条。すっかり聞きそびれてたけど、こないだ学校に来てたよな?」
それから数日経った水曜の放課後、いつもの円との修行のため急いで帰り支度をする僕に犬飼が詰め寄って来た。
そう言えばイレイズ出現の報せを受けて陰陽部の部室に急いでいた時に僕はこの男にばったり出くわしたのだ。何て言い訳をするか全く考えていなかった。
「お前ついに部活入ったんだな。何部?」
「えっと……それはその、陰陽部ってとこなんだけど」
「お、おんみょうぶぅ……?」
うっかり馬鹿正直に答えてしまったが、こんな「陰陽」などとスピリチュアル全開の怪しいワードを出されてどんな印象を持たれるか分かったものではない。現に普段頭を使わない犬飼も訝しげに考え込んでいる。
「地域の伝承とか風土とか調べる系の部活。その土地にどんな神様がいるかなーとか、そういう。円も一緒だから」
「あー、やっぱりそうか。そりゃ円ちゃんいなきゃ入るわけないよな」
芥先生が表向きに考えていた言い訳をそのまま流用したが、犬飼は円の名前を出しただけで全てを察したように頷いた。ある程度事情を知っている友達は話が早くて助かる。
「それじゃあ、あの噂はやっぱり……」
「あの噂?」
しかし犬飼は僕の反応とは裏腹に意味深な言葉を呟いて何か考え込むような仕草を見せた。何が「やっぱり」なのか正直怖いが、気になるので恐る恐る尋ねてみる。
「いやさ、寮に住んでる先輩がこないだの土曜日具合悪くて練習休んでたんだけどよ、その先輩の隣の部屋に住んでるのが陰陽部の人らしいんだ」
「ふぅん……って、は? 陰陽部……?」
寮と陰陽部という単語に嫌な記憶が蘇り、僕の背中につーんと冷たい汗が流れる。しかも犬飼の先輩が休んだ曜日は僕が長谷川先輩を説得しに行った曜日と一致していた。
「先輩が言うには、こないだ隣の部屋に向かって廊下で言い合ってる声がしたとか、かと思うと途中から懺悔大会みたいなのが始まったとか、そういうのが聞こえたって話してたんだよ」
「へ、へぇ……」
僕は適当な愛想笑いを浮かべて誤魔化したが、心当たりがありすぎる。あの時隣の部屋からうるさいと怒鳴られたのを覚えているが、まさかあの部屋の住人が犬飼の先輩だったとは思いもしなかった。
「んで、その懺悔大会の内容がぶっちゃけ聞き覚えのあるやつでさ……その、中学でサッカー漫画とかお墓でベースとか」
「うっ」
犬飼は居た堪れないような、憐れむような同情の視線をこちらに向けてきた。同じ中学出身でクラスも同じだった犬飼は僕の黒歴史を目の前で目撃した数少ない人間だ。表立って馬鹿にはしてこなかったものの、記憶にはしっかり刻み込まれていたらしい。
急に思い出して来て恥ずかしさが込み上げてくる。思い返せば長谷川先輩も引いていたし、ここまで赤裸々に話さなくても良かったのだ。これは完全な僕の失態である。それにしても犬飼の先輩もなぜそんなことを詳細までいちいち覚えているのだ。
「俺は別にどうも思わねえよ。ただその先輩、めっちゃ口が軽いからもうバスケ部だけじゃなくて2年の中でも噂になってると思う……」
「うぅ、こんなのって……あんまりだー!」
僕は机に突っ伏して少し泣いた。
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