【第一部】 3章

第25話 心の場所《前編》

 かち、かち……と硬い物体と物体が静かにぶつかる音が教室に鳴り響く、とある6月の放課後。

 中央に固めた机越しに相対する一組の男女。その間には網目状に縦横の直線が書かれた正方形の木の板。板の上には不規則に置かれた黒と白の小さな丸い石。それを挟んで男女は神妙な顔つきで向かい合う。ちなみに男の方は僕だ。


「ほい、九条くんの番だよ」

「うーん……じゃあ、ここに」


 僕は黒い石を直線の交差するポイントに置く。すると向かいに座る黒髪の女子……奥村先輩は丸い眼鏡をきらーんと光らせ、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「ふふ、九条くん詰みだね。私の勝ち」

「えっ!?」


 言葉の意味が理解できず僕は石の置かれた木の板……碁盤を凝視する。


「だってほら、ここ。どっちに置いても5個揃っちゃう」

「そ、そんな……」


 先輩に指差された箇所を見て僕はがっくりと項垂れた。まだ始まって数分しか経っていないのにいくら何でも早すぎる。


「九条くん縦と横しか見てないんだもん。あと自分の陣地広げることばっかり意識してるからそりゃこっちも自由に置けちゃうよね」


 僕と奥村先輩がやっていたのは碁盤の上で黒白の石を使って陣地を取り合うゲーム、囲碁だ。正確にはその石を先に縦横斜めに5つ繋げたら勝ちのルールで行う五目並べという遊びである。10分ちょっと前に部室に呼び出されて既に僕は3連敗していた。


「むー、九条くん弱すぎ。五目並べなら知ってるって言うから合わせてるのに」

「……ルール知ってるのと強いはイコールじゃありませんからね」


 退屈そうに文句を垂れる奥村先輩に若干の理不尽さを感じつつ僕は小さくぼやいた。そもそも僕はアナログだろうがデジタルだろうが、このような頭の使うゲームは昔から苦手なのだ。


「というか、もしかして今日僕たち囲碁やるために呼び出されたんですか?」

「ん? 違うよ、これは単に暇潰し用。うちの蔵でこないだ見つけたのを持ってきただけ」


 碁石をせっせと木の入れ物に片付け尋ねる僕に先輩はあっけらかんとした口調で答えた。普通の家には蔵はないのだが彼女、奥村悠美先輩はこの街に古くから広い土地を所有する大地主の娘であり『奥村流陰陽道』なる流派の跡取りらしい。

 流派も何もそもそも陰陽道というのがどういったものなのか未だによく知らないが、そんな彼女の出自に因んで僕たちの所属する部活動は「陰陽部」と名付けられていた。名前からは活動内容が一切読み取れないので、僕のクラスメイトたちからは裏で何をしているか分からない謎の部活動として認知されている。

 しかしそれは、実は世間の目を誤魔化すカモフラージュ。僕たちは知っている。人間に成り替わり、その人の姿を真似て社会に紛れ込む怪物の存在を。

 時に人語を解し、人間の常識を超えた力を発揮するその異形の怪物を『イレイズ』と言う。この陰陽部とは、そのイレイズを倒す役割を担う特殊な力を持った人間『ビショップ』の前線基地なのだ。


「それにしても円ちゃんと怜ちゃん遅いねえ。一応みんなに連絡入れたはずなんだけど」

「石上は今日は日直で、円は用事を済ませてから来るって言ってましたよ」


 奥村先輩が名前を挙げた二人は一年の女子生徒で石上怜はクラスメイト、沢灘円は僕の幼馴染だ。僕も含めて全員がビショップで、今までも幾度となく共に戦ってきた戦友でもある。


「あの、長谷川先輩には連絡しなかったんですか?」


 陰陽部に所属するビショップの仲間はもう一人いた。2年の男子生徒、長谷川小次郎だ。極度のあがり症で姿を見せる機会が滅多になく、イレイズと戦う時は頼りになる先輩なのだが、それ以外の時は何をしているのかよく分かっていない。


「いや、いるぞ。実はお前より先に来てた」


 僕の背後から籠ったような声がした。驚いて振り向くと、視線の先には壁際に置かれた掃除用具の入った鉄製のロッカー。


「……先輩、いるならいるって言ってください。心臓に悪いです」

「すまんな、タイミングを測ってるうちに言い出して辛くなった」


 この男、普段何をしているのか分かってはいないのだがみんなが集まっている時にロッカーに潜伏していることが多々ある。他人の目を見て話すのが苦手らしくこのように顔が見えないところからなら普通に話せるようだ。自分から存在をアピールするまで全く気付かれないので、もしかして前世は忍者とか暗殺者だったんじゃないかと邪推してしまう。


「さっきから見てたが、お前は囲碁のセオリーが全然分かっちゃいない。自分の好きなように置くんじゃなく、相手の持っていこうとする盤面を先読みするんだ」

「きゅ、急に饒舌にアドバイスしてきますね。しかもけっこうな上から目線で」


 長谷川はどうやら僕の不甲斐ない対局に腹を立てていたらしい。僕が弱すぎるのは認めるが、この人に横からとやかく言われるのは何となく癪だ。


「これでも引きこもり時代にネトゲのボードゲームは一通り齧ってきた。囲碁だけじゃなくてチェスも将棋も麻雀もできるぞ」


 ロッカーに隠れているせいで表情は読み取れないが、声色からは間違いなく得意げな様子が伝わってきた。もしかして僕と奥村先輩が遊んでるのを見て自分も混ざりたかったのだろうか。


「そんじゃ、せっかくだからコジローくんも一緒にやろっか」


 同じことを思ったのか奥村先輩が気さくに呼びかける。学年が同じということもあってか彼女の長谷川に対する接し方はかなりフレンドリーだ。


「えっ、い……いいのか? いや、しかし」


 なぜ若干引き気味なのだろうか。彼が混ざりたがっていたのは誰の目にも明らかなのに、こういう時に受け身な反応をしてしまうのはやはり長谷川らしい。


「こんな暗くてジメジメしたところにずっといるから暗い性格になっちゃうんだよ。ほらっ」

「うわっ!」


 奥村先輩がずんずんと進みロッカーの扉を勢いよく開いた。少し情けない悲鳴を上げつつ長谷川の本体が中から転がり出てくる。赤みがかかった明るい茶髪とキリッとした眉毛が特徴の、筋肉質な男子生徒だ。姿勢良くピンと立っていればそれなりに先輩としての佇まいも見せられるのだが、両膝をついて奥村先輩にヨシヨシされているのを見ると印象は先輩と言うより大型犬に近い。


「コジローくんはね、外に連れ出す時はちょっと強引なくらいがいいの。寂しがりやで素直じゃない子だからね」

「はぁ、そういうもんですか……」


 以前僕が引き篭もっていた彼を無理やり部屋から出そうとしたら力ずくで抑えられたのだが、奥村先輩が相手の場合は何故か従順だった。同じ学年の女子だからとか明るい性格とのギャップとか、たぶん二人は色々と相性が良いのだろう。


「コジローくん囲碁できるって言ったよね? そんじゃこっからは五目並べじゃなくて本気の対局といこうかな」

「お、おう……」


 ぎこちない動きで椅子に座らされ、その向かいに奥村先輩が座る。僕はルールを知らないので横から見てることにした。


「……と、投了……だ」

「あらま、勝っちゃった」


 横からアドバイスをしてくるぐらいなのでさぞ白熱したバトルが展開されるのかと思ったら、決着は10分もかからずついてしまった。盤の上では白い碁石が圧倒的な数でひしめいている。


「長谷川先輩、ネトゲでやってたんじゃなかったんですか?」

「……うむ、パソコンの画面越しと対面だとやはり感覚が違う。それ以上に奥村が強い。予想もしないところから石を全部取られる……」


 長谷川が言い訳とも称賛ともつかない言葉を呟く。相手の盤面を先読みするとは何だったのか。


「私、親戚にプロの棋士とか雀士の人がいてね。囲碁は5歳の頃から仕込まれてたのよ。私は段位とか持ってないけどそれなりに自信はあるわよ」


 ふふん、としたり顔で眼鏡の片端を指で上げる奥村先輩。以前ゲームセンターに誘われたことがあったためこういう遊びは色々と嗜んできたのだろうなとは思っていたが、どうやら彼女の一族全体がそういった傾向らしい。陰陽道の件といい、謎の多いファミリーである。


「やーでも、私も対人戦は久々だから熱くなっちゃった。やっぱボドゲは楽しいねえ……って、コジローくん、どしたの?」


 何か異変に気付いたのか、奥村先輩が長谷川の顔を覗き込む。僕もつられて目をやると彼はうずくまるように机に突っ伏していた。心なしか肩を小さく震わせているようにも見える。


「先輩大丈夫ですか? どこか痛いとか?」

「ち、違う……」


 心配して尋ねる僕に、長谷川はややぶっきらぼう気味に答えた。


「そ、その……ひ、人と遊ぶのが久しぶりすぎて、か……感動してたんだ。ほ、ほら……俺ってこんな性格だから……」


 声を上擦らせて言葉を絞り出す彼の口元は誤魔化しようのないぐらい緩んでいた。一回囲碁で遊んだだけでオーバーリアクションだなと思うが、昔からいじめられっ子で友達がいなかったという長谷川にとっては得難い経験なのかもしれない。


「そっかそっかぁ。良かったねえコジローくん、おおよしよし」

「や、やめろ……は、恥ずかしい……」


 その反応が面白かったのか、奥村先輩は長谷川の傍に来てまるで小さい子供に接するかのように満面の微笑みで彼の頭を撫で始めた。口では突っぱねているが全く嫌がっているようには見えない。


「すみません、遅くなりました」


 そんな和やかなムードの中、部室の扉が開かれた。入って来たのは円と、その後ろには石上もいる。どうやら部室に来るタイミングは同じだったようだ。


「何してんの?」

「……僕に聞かれても」


 珍しくロッカーの外から出てきている長谷川と、その頭をにこやかに撫で続ける奥村先輩を見て石上がジト目で尋ねた。


「それじゃ、みんな揃ったね。芥先生は教員会議でしばらく戻れないから、今日のミーティングは私が仕切るよっ」


 奥村先輩がぱん!と手を叩いて合図し全員を座らせる。

 本来僕たち陰陽部は、イレイズの出現の時やその類の事件以外で部室に赴く必要が特にない自由な気風であった。

 しかし今から数週間前にビショップ本部の人間に乗っ取られかけたり部員が病院送りにされたりして、陰陽部は一度壊滅的な打撃を受けた。その一件以来、部員の無事を確認するためにも週に一度は全員集まって顔合わせをすることに決めたのだった。

 最初に言い出したのは奥村先輩だったが、僕も含めて反対する者はいなかった。とは言ってもイレイズが出現しない限り何かすることがある訳でもなく、基本は他愛もないお喋りをしたりその日の宿題を片付けたりダラダラ1時間ほど過ごすのが常である。


「えーとね、実は今日はみんなに大事な話があるの。うちの部の今後に関わるかもしれない重要なことだよ」

「もしかして、怜ちゃんのお姉さんみたいにまた本部のことで何かあったんですか?」


 訝しむように円が尋ねた。彼女はこの間病院送りにされた一人なので不安に感じる気持ちはよく分かる。僕もあのような碌でもない目に巻き込まれるのは二度と御免だ。


「あ、違うよ。そういうめんどくさい組織的な話じゃなくて、うちの学校の方としての話。一応、正式に部のひとつとして学校には登録されてあるからね、色々とやらなきゃいけないことがあるのよ。うちの部って一応さ、カテゴリとしては文化系じゃん。もちろん表向きは」


 陰陽部、なんて名前だから確かにその言葉の意味から体育会系を連想する人間は皆無だろう。実際は特殊能力で怪物と日夜戦い、時に命の危機に晒されたりもするので大抵の運動部よりずっとハードな活動をしているのだが。


「うちの学校はね、文化系は原則『活動実績』なるものを生徒会に提出しなきゃいけない決まりなの。吹奏楽部ならコンクールとか、美術なら展示会の参加とか。だから陰陽部もその流れで何かしなきゃって話なのよ」


 うげ、と僕は眉を顰めた。めんどくさい話じゃないと先輩は言うが、方向性は違うにしても僕にとっては十分に面倒な話だった。ただでさえ学業の成績は最低クラス、日々の課題に追われてさらにはイレイズと戦ったりもしているのだ。とてもじゃないがこれ以上やる事が増えたらまともに捌ける気がしない。


「ところで『何か』って、具体的に何をするかは決まっているんですか?」


 小さく挙手をして質問したのは石上だ。そこは僕も気になっていたが、何をもって陰陽部の活動実績と認められるのかまるで見当がつかない。まさか他校にも似たような部活動があって陰陽道やオカルトの知識を競い合う大会が毎年開かれる、なんてことはあるまい。


「それがねぇ、なにせ新設された部だから生徒会や先生たちにもウケがいい『研究発表』とかが無難かなと思ってたんだけどね私。古代中国の自然哲学の成り立ちや陰と陽の二気思想と万物五行思想の関係とか……」


 聞いていて眩暈がしてきた。こういうスピリチュアルな話題は好きな人には堪らないのだろうけど、僕は全くと言っていいほど惹かれないし、クラスで学習発表の壁新聞製作とかいったものは昔から苦痛でしかなかった。そもそもそんな怪しげな研究を意気揚々と発表されても先生たちも反応に困ると思う。

 他の人の反応を見てみると、石上も同様に苦い顔をしており長谷川はまた姿を消していた。いつもと変わらないのは円だけだ。


「……なーんてね、そんなつまらなそうなのは私もやるつもりはないよ。というかみんなも別に興味ないでしょ」


 そんな僕たちの反応を予想していたのか、奥村先輩はフッと小さく笑った。当の陰陽道の娘がそれでいいのかは疑問だが、彼女の言葉に僕は胸を撫で下ろす。


「私の同級生に映像研究部の人がいてね、活動実績で映画を一本作りたいからうちの裏山を撮影に使わせてくれって頼まれたのよ。それなら私たちもそれをちょこっと手伝って一緒に実績にしちゃおうって思いついたの」

「え、映画……?」


 僕たちは全員ぽかんとした表情を浮かべた。まさかここに来てそんな陰陽と縁遠い単語が出てくるなんて予想しなかった。全然普段の活動と関係ないような気もするが、それが実績としてカウントされるのだろうか。

 だがそんな心配も予想していたとばかりに奥村先輩は大きな丸眼鏡をキラーンと光らせて口角をあげて白い歯を覗かせた。


「実はなんと、脚本製作には私も関わっています! うちの部活っぽい要素もそれとなく入れてあるから、実績としては認めてもらえると思うよ。もし万が一ダメそうでも、その時は芥先生が何とかしてくれるし」


 芥先生はビショップの本部から派遣された元研究員で、普段は教師として陰陽部を取りまとめながら僕たちのサポートをしてくれている。僕たちが学業とイレイズの討伐を両立させられているのは先生が裏で色々と手を回してくれているお陰でもあった。便利屋のように面倒事を押し付けてしまうのは少し心苦しいが、今回は頼りにするしかない。

 しかし「ちょこっと手伝って」と先輩はさっき言っていたが、この人は間違いなくかなり乗り気だろう。確証はないが、きっと相当に混沌とした映像作品になることは想像できた。


「とりあえず、映像研の友達とは明日打ち合わせする予定組んでたから、お昼休みに部室に集合ね。とゆわけで、今日はおしまい。解散!」


 そう言うと奥村先輩はミーティングを切り上げ僕たちを帰らせた。部室での時間の大半は遊んでいただけのような気がするが、まぁ少し前までは悪い意味で慌ただしい日々が続いていたのでそんな日があってもいいだろう。

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