第10話 サスペンス(後編)
「それとだが、君たちが第25号と戦うべきではない理由はもう一つある。落ち着いて、よく聞いてほしい」
芥先生が話を再開する。どうやらここからが重要な内容のようだ。口を開く先生の表情がさらに苦々しくなる。
「数学の金子先生の行方が3日前から分かっていない。既に警察にも届け出をしたが、恐らく第25号によって消されたものだと思われる」
「……!!」
先生から放たれた衝撃的な一言に僕は息を呑んだ。円や石上、奥村先輩も驚きで目を見開いて言葉を失くしているようだった。
数学の金子先生、と言えば闇金の金子で恐れられている鬼教師。そして3日前と言えば先週の金曜日。その日金子は学校に来ていなくて4組の授業が自習になったという犬飼の話と合致する。しかも翌日も顧問である野球部の練習に顔を出していなかったそうだ。
イレイズは人間の存在を消して、その人間と入れ替わって出現する怪物。そのためイレイズが出現する限り犠牲者は増え続ける。頭では理解していたが、知っている人間が犠牲になった今になってようやくその恐ろしさを実感したような気がした。
「君たちにとっては戦いにくい相手だと思う。最悪の場合、彼の姿を使って精神的な揺さぶりをかけてくる可能性もある。イレイズは入れ替わった人間の記憶を保持している、という報告も過去にされているからね……」
狡猾だ。今回の敵は今までのような言葉で挑発するイレイズとは比較にならないくらい思考が狡猾で、かつ人間に対して効果的な手法を使って来る。だがそれは恐らく社会で長く生きた経験で培われ、学習した思考パターンなのだろう。
「上級イレイズはただ単に力が強いだけではない。逃走前に第25号がビショップ二人を殺害した時も、彼らの知り合いの姿を使って現れたそうだ。断定はできないが、ビショップの存在を意識して襲う人間を選別している個体もいると私は考えている」
淡々と述べる芥先生の言葉が現実に起こっていることだと、すぐに実感することは僕には出来なかった。あれほど人が怪物に変わる瞬間や、本来なら有り得ないはずの超常現象の数々をこの目で見てきたと言うのに。
そもそもイレイズとはどこからやって来て、何が目的で人の命を奪いながら社会に潜んでいるのか僕は何一つとして知らない。それは恐らくこの空間にいる全員が同じだろう。
しかしどうやら戸惑っているのは僕だけのようで、円も石上も顔つきからは戦意が揺らいでいるように感じられない。ここまで狡猾に人の命を奪う恐ろしい敵とこれから戦うのにも関わらずだ。この差は本当に経験だけで埋まるような代物なのか、僕には分からない。
「……とまあ、重苦しい話はここまで。私の言いたいことは一つだ。何があっても死ぬな。命の危険を感じたら真っ先に逃げること。たとえ目の前の敵を取り逃すことがあったとしても、だ」
そう言うと先生は終始固かった表情を少し崩して教室端に置かれたパイプ椅子にだらしなく座り込んだ。芥先生には教師として生徒の命を預かる立場と、ビショップ組織の一員として一体でも多くのイレイズを討伐しなければならないもう一つの立場があるため、その心労は計り知れない。
「じゃあここからは私の作戦提案になるんだけど、敵が拠点にしている廃工場は二つの入り口があるから、みんなも2人ずつで戦力を分割して当たった方がいいと思うわ。4人で一気に乗り込むと、背後から挟み撃ちにされる可能性もあるからね」
ひとしきり話し終えた先生の代わりを引き継いだのは奥村先輩だった。僕たちにも分かるようにノートパソコンの画面をこちらに向けて説明する。画面には原作イレイズが立て篭もっているだろう街外れの廃工場の航空写真が写されていた。
「この南側の広い方の入り口には九条くんとレイちゃん。そして北側の狭い入り口からは円ちゃんとコジローくんがそれぞれ攻撃を仕掛けてほしいの。九条くんたちは出てきた敵を派手に引きつけて、円ちゃんたちはその後ろから奇襲を仕掛ける感じで」
つまり僕と石上に課せられた任務は、いわゆる囮。かなり危険が付き纏う役割ではあるが、恐らくは素早い動きを得意とする円と遠距離からの狙撃が可能な長谷川先輩の二人が奇襲に向いているため僕たちが選ばれたのだろう。それは理にかなっていると思う。
しかしその作戦には致命的な問題が一つある。
「あ、あの……今さら聞くのもあれなんですけど、長谷川先輩、いなくないですか?」
奥村先輩がコジローくんと呼ぶ2年の長谷川小次郎は、自他ともに認める引きこもり気質で、かつメンタルに問題を抱えている。僕が彼の住む寮の部室から説得して引き摺り出すのに苦労したのは記憶に新しい。部室に入った時に姿が見えなかったためまた引きこもっているのだろうと勝手に思っていたが、流石に今回はいなくては困る。
「いるぞ。ここにな……」
「え!?」
どこからともなく男の声がして僕は思わず振り返った。この沼の底から這い出ずるような声の主は間違いなく長谷川先輩だ。しかし周囲を見渡してみても先輩の姿はどこにも確認できない。
「いっちゃん、もしかしてあそこかも」
何かに気付いたのか、円が部室端の方向に指をさす。その先にあったのは窓際にぽつんと置かれた掃除用具入れのロッカーだった。ここの部室はもともとは旧校舎の教室だったのでロッカーがあること自体は別に不思議ではないが、そう言えば初めてここに来た時にはあんなものあっただろうか。
「……まさか!?」
「そうだ。直接顔を合わせなければ学校内でも他人と話せることが分かった。大きな一歩だ」
姿が見えないと思ったら、あの中にずっといたらしい。なんと面倒な人だ、と辟易としてしまうが長谷川先輩はクラスで友達が一人もできず僕たちともまともに話すのが難しい極度のあがり症なのだ。それを鑑みれば確かに彼の言う通り大きな一歩かもしれない。
「あの後コジローくんを部屋から出すのに私も苦労したんだよねー。友達に頼んで10mおきにロッカーを置いといたら何とか寮からは出られるようになったんだけど」
どうやらこのロッカーを配置させたのは奥村先輩だったようだ。一つでも相当な重さだっただろうに、いったい誰に頼んだらやって貰えたのか少し気になる。
それにしても長谷川先輩がここまで存在感を消して潜むことができるのなら、活かし方次第では大きな武器になる。恐らく彼をビショップに勧めた人もそれを見越して狙撃の能力を秘めたプロメテを与えたのだろう。問題は彼が戦闘中はハードボイルドな性格に変わってしまってまったく隠密する気がなくなることだ。正直いつもの性格の方が狙撃に向いてる気がしなくもない。
「とにかく、今回の作戦はその25号以外のイレイズを全て倒せたら100満点。それで25号が消耗してこの街に居座るのを諦めてどこか別の土地に行ってくれればさらにプラス50点、といったところかな」
奥村先輩の説明に僕は黙って静かに頷いた。どちらにしても25号の動き方次第の作戦になってしまうが、それが僕たちが一番目指すべき最良の結果なのだと思う。
「でも、仮に街から追い出せても25号はその先できっと……」
僕も頭の片隅で思っていたことを円が小さく口にした。イレイズが世界に存在する限り、存在を奪われて犠牲になる人が増え続ける。この街の人が消されるか、違う街の人が消されるか。今の僕たちで変えられるのはそのぐらいしかない。
しかしイレイズによって母親を失った円にとっては、頭では理解できても感情で納得するのは難しいのだろうと思う。
「円」
「……怜ちゃん?」
作戦会議が始まってからあまり口を開いていなかった石上が諫めるように名前を呼んだ。怒ってる表情には見えないが、普段よりも冷たさを感じさせる声色である。
「あんた自信があるのはけっこうだけど、少し自分の実力を過信しているんじゃないかしら。あたしたちの目的は、あくまでこの街をイレイズから守ること。世界中の人をイレイズから助けるなんて、不可能よ」
「そ、そんなこと……私だって、分かってる……」
ぴしゃりと言い放たれ、円の態度はすっかり萎縮してしまった。円の気持ちも理解できるが、石上の言っていることはどうしようもないくらい正論だ。いくら戦う力を持つビショップであっても、今の僕たちでは目の前の敵を倒すことで精一杯なのだから。
「……そろそろ第25号配下のイレイズが出現を始める頃合か」
窓際で座っていた芥先生が壁にかかった時計に目をやり呟いた。そういえば、さっき奥村先輩が割り出したイレイズの情報によると出現まではおおよそ30分。話している間に刻一刻とその時間が迫っていた。しかし25号のアジトとなっている廃工場はここから数km離れており、急いで魔鍾結界を開いたとしても出現までどう頑張っても間に合わない。
「心配することはない。本部から街中の魔鍾塊を結界展開のため連動させるように頼んでおいた。ここで展開しても街中ならば目標地点まで十分にカバーできる」
「そ、そうなんですか……」
理屈はよく理解できないが、ものすごくハイテクな仕組みだ。だが、普段は使わない機能なのだからきっと馬鹿にならないコストがかかっているのだろう。今回の戦いがそれだけ一大事というのが分かる。
「先生、魔力の集まりがさらに濃くなっています。イレイズ出現のもう秒読みまできていますよ!」
再びノートパソコンに視線を移した奥村先輩が告げた。全身に走る緊張に僕はごくり、と唾を飲む。
「あ、言い忘れていたが九条くん。ちょっとこっちに来てくれ」
「は、はい?」
何かを思い出した芥先生が僕を呼んで小さく手招きした。せっかく心の準備が出来かけていたのにいったい何の用事だろうか。
「戦う際にはこれを持っていきたまえ。前から渡そうと思っていたが、タイミングに恵まれなかったものでね」
そう言って芥先生はスーツのズボンポケットから取り出した何かを近寄った僕の手に握らせた。その硬い感触から機械であることが分かる。押しボタンが一つ付いたプロメテより小さく細長い小型のリモコンのようだ。
「なんですか? これ」
「魔鍾結界を強制解除させる緊急脱出装置だよ。他のプロメテには初期から搭載されている機能なんだが、石上くんから聞かされていた話によると君のプロメテにはどうやら付いていないようだからね。まったく、君も相当に旧式の代物を掴まされたものだな」
「きゅ、旧式……ですか」
石上から聞かされた話というのは、恐らく魚人のイレイズに殺されかけていた時のことだろう。確かにそんな機能があったらとっくに使っていた。
すっかり忘れていたが、僕にプロメテを渡した人間の正体や目的は未だに不明なのだ。少しずつ知識が増えていく度に謎は深まっていく。
「とにかく、身の危険を感じたらこれを使うんだ。イレイズも結界の外では無闇に殺しはできない」
「あ、ありがとうございます……」
礼は言ったものの、既に二人のビショップはその機能を使う間もなく殺されてしまったので土壇場でこれが役に立つかどうかは実際怪しい。敵地に乗り込むビショップが僕を含めて4人もいるため、誰か一人でも発動できたらOKという考えなのだろうけど。
「……来たわ。イレイズ出現! 結界を開いて!」
芥先生からの説明が終わった瞬間、奥村先輩が叫んだ。
「あたしが開きます」
そう言うと立ち上がった石上は手に持った自身の青いスマホ状の機械、プロメテを左手に翳した。
その平たい面に幾何学的な模様がうっすらと浮かび上がり、独特な機械音声が僕たちの頭の中に響く。
『承認されました』
「……あれ!? 先生がいない?」
その声が聞こえたのを確認した瞬間、僕の目の前から芥先生の姿が忽然と消えた。
魔鍾結界の中に入れるのは魔力を持つ者、つまりはビショップとイレイズしかいないのだからそれ以外の人間が消えるのは当然だ。しかし僕は、あれほど僕たちの戦いに協力してくれる芥先生もビショップだと今の今まで信じて疑わなかった。彼はいったい何者なのだろうか。
「急ごう。いっちゃん」
「う、うん」
状況が飲み込めず戸惑う僕に円が呼びかける。石上の方はさっさと部室から出て行ってしまったようだ。彼女たちを追い僕もその場を後にする。
かくして、戦いの幕は上がった。
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