第23話 氷獄(後編)
そこにいたのは妹の石上だ。昨日の電話越しの憔悴したような雰囲気とは打って変わって、凛とした表情でこちらを見据えている。
「石上?」
もしかしたら今の会話を聞いていたのだろうか。これから僕たちがやろうとしているのは彼女の姉を討つことだ。そんな話を石上の聞いているところでするのは忍びなかった。
「……ごめん」
だが僕の気まずい思いとは逆に、入ってくるや否や石上は深く頭を下げしっかりとした口調で謝罪した。
「や、やめろ……謝るな。俺も九条も、お前が悪いなんて思っていない」
急な反応に慣れていないのか、さっきまで神経を張り詰めていた長谷川が少しだけ狼狽えながら宥める。もちろん僕も謝罪なんて求めていないが、身内が仲間を傷付けたことに責任を感じる石上の気持ちも、理解できてしまうだけに辛い。
「ううん、あたしが甘かったの。あたし……円やユミ先輩が襲われるまで、まだお姉ちゃんが言葉で分かってくれると思ってた。諦めないで伝え続ければ、いつかは間違いに気付いてくれるって。でも、もうそんなこと言ってられる状況じゃない」
制服のスカートをギュッと掴み、沈痛な面持ちで胸の内を曝け出す石上。だが、以前と違って彼女の瞳は覚悟の色が見えていた。
「あたし……お姉ちゃんを止めなきゃ。これ以上、お姉ちゃんに誰かを傷付けるような真似させない」
ずっと抱え続けていた悩みの答えをようやく出した石上が、一呼吸置いて続きを口にする。
「九条、先輩。あたしに……力を貸して!」
「……うん」
「ああ、もちろんだ」
僕と長谷川は同時に頷いた。
彼女が姉と決着を付けると言ったことに、実は僕は内心ほっとしていた。僕と長谷川だけでは、感情や義憤のままに突き進んで最悪の結果になっていたかもしれない。石上姉か、僕か長谷川の命を奪い合う結果に。
「……で、具体的にこれからどうするか、だが」
先程まで動かしていたノートパソコンを長谷川が見せる。決着を付けようにも、問題の石上姉の居場所が分からなければどうしようもない。おまけにあちらは狙おうと思えばいつでも僕たちを遠距離から狙撃出来るはずだ。3対1とは言え、戦況はこちらが有利とは言い難い。
「あの女の位置を割り出すためには、魔鐘結界の中でプロメテとの接続状態にさせる必要がある。それで大体の場所は絞れるが、具体的な場所まで特定するのは難しい。恐らく奴を見つける前に俺たちが撃たれる」
淡々と長谷川が僕たちの置かれている状況を分析する。
石上姉と長谷川の能力は同じ狙撃だ。だが、二人の間で決定的に違う点がある。それは石上姉の能力は狙撃に加えて氷の紋章を対象の足元に出現させ、動きを封じるというところだ。最悪、両者が撃ち合いになった場合、長谷川がやられる確率の方が高い。彼自身も、それが分かっているのだろう。
「それに、このマップで分かるのは魔力の濃いエリアだけだ。正確な場所となれば特定は……かなり難しい」
「難しいって、不可能ではないんですか?」
言いにくそうに言葉を濁す長谷川に僕は妙な引っ掛かりを覚え、とりあえず尋ねてみる。
「……弾道を読むんだ。奴の撃った矢の角度とエリアを照らし合わせれば、ある程度の場所を絞り出せる」
そこまで聞いて僕は彼の意図を理解した。撃った矢、それはつまり石上姉にあの氷の弓矢を撃たせることを意味している。この中の誰かが、あの激烈な威力の矢を受けなければいけない。
「誰かが囮にならなきゃいけないってことですね。だったら、僕がやります」
「駄目! そんなの危険すぎる!」
迷わず名乗り出た僕を石上が悲痛な声で引き留めた。
だが、姉と接触する石上を除けば残されたのは長谷川と僕だけだ。そもそも僕は狙撃の心得なんてものはないし弾道を読むなんて芸当、とてもじゃないが出来ない。囮に適任なのは、やはり僕なのだ。それが分かっているから長谷川も言い淀んでいたのだろう。
「石上の言う通り、かなり危険な賭けだ。そもそも一度は撃たせる以上、九条が無事に済む保証はない」
「でもこのまま待っていたらいずれ向こうから僕たちを撃ってきます。そうなったら、もう誰もあの人を止められない……」
石上姉は一昨日の晩、僕に対し「後悔させる」と言ってきた。確実にターゲットの一人に数えているはずだ。僕の命だって、当然奪う気で撃ってくる。
(…………)
手のひらがじんわりと汗ばむ感触を覚えた。口では勇ましいことを言っていながら、僕はたぶん怯えている。
今回はイレイズを相手にしてきた今までの戦いとは違う。勝つか負けるかではない、生きるか死ぬかの二択だ。しかも側から見れば死にかなり近い方の。そんな恐怖を振り切るように、僕は円のことを思い浮かべた。目の前で倒れた時の、あの身体の冷たさを。
円は今も病院で生死の境を彷徨っている。僕が彼女に対して出来るのは、助かるのをただ信じることだけだ。
「やっぱり僕、許せないんです。円を撃ったあの人のことが。このまま僕が行ったら、自分を抑えられる自信がありません。石上の、お姉さんを……」
その先を言葉にする勇気は、僕にはなかった。だが、ここまで言ってしまえば誰だって僕が何を口にしようとしていたのか分かる。
僕が人殺しになってしまえば、たとえ円や奥村先輩が助かったとしても以前のような陰陽部に戻れることは決してない。
円がいて、奥村先輩もいて、芥先生も帰ってくる。僕の望みはただ、以前のような陰陽部に戻ってほしいだけだ。みんなと知り合って日は浅いが、僕はきっとこの場所が好きなのだ。ならば誰かを傷付けるよりも、守るために出来ることをやりたかった。
「九条……」
「大丈夫。円や奥村先輩の時は不意打ちだったけど、来ることが分かっていればある程度の対策は可能なはずだし。それに僕のプロメテ、炎だから」
心配そうに見つめる石上に対して、柄にもなく軽口を叩くように僕は言って見せた。実際、飛んで来るのを知っていたとして、方向も角度も分からない遠距離から放たれる氷の矢を回避するのは無理だ。向こうが氷の能力を持っていてこちらが炎で相性が良かったとしても、どれだけ有利に作用するのかは定かではない。
だが、僕には一つだけあった。勝算と呼べるほど確実じゃない、万に一つの可能性とでも言うべき微かなもの。それでもこの状況を打ち破れるかもしれない力が、僕の0号プロメテには備わっていた。
「……うん、分かった。あんたを、信じる」
長い沈黙の後、少しだけ不安げな表情を見せつつも石上が頷いた。
「すまん、頼んだ」
申し訳なさげに頭を下げると、閉じたノートパソコンを抱えて長谷川が僕たちに出発の準備を促す。
作戦はこうだ。僕が先行して街中の魔力の濃度が高いポイントまで移動し、その十数m背後を長谷川と石上が尾行する形で追いかける。なるべく僕は石上姉に早く発見されるように開けた場所を優先して歩くようにし、魔鐘結界が開かれたら戦闘準備。僕はなるべく石上姉の放つ氷の矢を耐え、その隙に長谷川が場所を特定し石上が乗り込むといったものだ。
お世辞にも成功率は高いとは言えない。僕より先に長谷川が捕捉され撃たれたらその時点で終わりだし、彼が確実に弾道を見切れる保証はない。全ては石上姉の選択と長谷川の集中力に託されている。
「こ、この辺で……いいのかな」
僕は比較的濃度の高い場所とされる学校近くの自然公園まで来ていた。とりあえずベンチに腰掛け辺りを見渡してみても、僕を狙うような狙撃手の姿はない。
マンションに囲まれた公園は土日はそれなりに家族連れなどの人も多く、一人で座っている僕の姿は少し浮いていた。背後の雑木林からこちらを覗く長谷川と石上の方がさらに浮いているが、遠くから狙撃する場合木々が邪魔になるため二人にとってはある意味安全な場所とも言える。
『さっき見た時、街中で魔力の濃度はここの半径300mのエリアが一番高かった。数分そのまま待機してくれ』
スマホに長谷川からのメッセージが届く。後ろを見ると彼はしゃがみながらノートパソコンを開いて画面を注視していた。このまま何もなければ次のポイントに向かい、また濃度の高い場所を転々としていくのだろう。
(大丈夫……か?)
たった数分。その短い時間が今の僕には途轍もなく長く感じられた。遊ぶ子供たちのはしゃぐ声や大人たちの話し声はしているはずなのだが、不思議と耳に入ってこない。もしかしたら、これが集中力を高めている状態というやつなのだろうか。
しばらくして、ポケットの中で『ピロン!』と着信音が鳴り僕の意識は現実に帰ってきた。
『ここにはいないようだ。次の場所を探そう』
届いたメッセージに僕は軽く脱力する。襲われなくて安心している自分と、来るならさっさと来てくれと苛立つ自分がいて複雑な心境だ。
その後も次のポイント、また次のポイントと転々としながらも、依然として襲撃の兆しはなかった。ここまで何もないと、向こうがこちらの思惑を読んでいる気さえしてくる。
時間は正午を回り、僕は視界の開けた交差点で信号待ちをしていた。
長谷川の指示したポイントまではまだ距離がある。周囲にはそれなりに高さのある建物が点在し人通りも多いので、今近くで石上姉が僕を狙っていたとしたらこちらから発見するのは困難だ。
(もしかして、どこからか僕たちを見ている……?)
一抹の不安が頭をよぎったその瞬間、周囲の音が消え通行人たちが一瞬で消失した。魔鐘結界が開かれたのだ。
「来た……!? 先輩!」
不安が的中した僕は反射的に背後を歩く長谷川たちの方を向いた。二人は今、丁度隠れる場所もなく周囲に障害物もない場所に立っている。
このタイミングで魔鐘結界が開かれたということは、間違いない。石上姉は最初から僕が囮になっていることに気付いていた。その上で恐らく、先に背後を歩く長谷川から始末する算段だったのだ。
(やばい! 今来られたら……)
僕は全速力で長谷川の方向に走り出した。彼の足元にはやはり青白く光る紋章が浮かび上がっている。既に狙撃の準備は整っていた。隣で石上が彼を守るように立つが、あの女の放つ氷の矢はそれすら掻い潜ることは容易に想像がつく。
「
ポケットからプロメテを取り出し、左腕に翳して叫ぶ。全身に鋭敏な感覚が走り、1秒。刻一刻とタイムリミットは迫る。
(間に合え!)
長谷川のいる方向に思い切り左手を伸ばすと、手首から炎の蛇が出現した。届かない手の代わりにぐんぐんと伸びる蛇が二者の距離を縮める。
「……ぐッ……!」
直後、手の先に刃物で貫かれたような激痛が走り、僕はその場で呻いた。
実際に手が刺された訳じゃない。感覚が繋がっている炎の蛇に飛んできた矢が突き刺さり痛みを直に伝達したのだ。
「九条!」
石上が泣きそうな声で僕の名前を呼ぶ。間一髪のところで長谷川を守ることに成功したが、僕が受けたダメージは相当なものだった。胴体を貫かれた炎の蛇がみるみる動きを鈍らせ、手の先の感覚がどんどん無くなっていく。僕の肉体は、まるで真冬の雪山で放置されたかのように凍りついていった。
(これが……)
この全身が凍てつく感覚を、円や奥村先輩は味わったのだ。しかも魔力によって生み出した蛇を伝ってではなく、身体を直接撃ち抜かれて。
それでもきっと、二人は今も必死に生きようと戦っている。この氷獄とも言える感覚に侵されながらも。
「負けて、たまるかぁ……っ!!」
全身を切り裂くように襲い来る冷気を跳ね除けるように僕は強く、さらに強く念じた。
その刹那、自分の心臓のさらに深い奥底から、煮えたぎるような熱が発せられたのを僕は確かに感じた。その熱はじわじわと広がり、凍りついていた全身を溶かしていく。何かが僕の中から勢いよく飛び出そうとしていた。
(これって……)
先程まで氷漬けになっていた蛇が、まるで息を吹き返したように炎を纏い自由を取り戻す。
それだけじゃない。蛇や僕を包んでいた赤い炎がみるみる色を変え、いつか見た覚えのある漆黒に染まっていった。
(ありがとう。信じてた……!)
かつて上級イレイズ25号を倒した『黒の力』。僕の持つ0号プロメテの真の能力が、再び発現したのだった。
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