第5話 3人目の戦士(前編)

「強く感じる……間違いなく近付いてるよ。あいつらの気配」


 僕が円に連れられて来た場所は、学校から約1kmほど離れた広い十字路交差点の横断歩道前で、ここから少し歩けば城ヶ崎神社という小さな神社がある。円の感じた気配から奥村先輩が推測したポイントにかなり近い。日はまだ落ちてはいないが午後5時を過ぎたのもあり通行人の数が多く車も途切れることなく走っている。


(もしかしてこの人たちの中に、イレイズが混じってる……?)


 イレイズが普段人の姿をしているのは、人の存在を乗っ取ってその人と入れ替わっているからだと円から教えられた。乗っ取られた人間は行方不明という形で一旦この世から消えて、そしてイレイズとなって出現する。だがそれを見分ける手段が普通の人間にはなく、何食わぬ顔で怪物たちは僕たちの社会に溶け込んでいるのだ。

 僕は道行く一人ひとりの顔をざっと見比べてみた。帰宅途中の中学生やサラリーマン、主婦など歩いているのは特に変わった様子のない普通の人々だ。正直、ビショップである僕でも誰がイレイズで誰がそうでないのかさっぱり分からない。しかし奥村先輩が言っていた出現までの時間10分はとっくに過ぎており、この近くに潜んでいるのは間違いない。


「いっちゃん、魔鍾結界を開くね。私のやり方を見てて」

「あ……うん」


 そう言えば僕は一昨日戦った時、何も知らないままその結界に巻き込まれてイレイズに襲われたのだ。どのような動作やメカニズムで結界が展開されるのか、実際この目で見るのは初めてである。

 円は自身のプロメテを制服スカートのポケットから取り出し、左手の甲に当ててみせた。直後、プロメテの画面と思しき部分に模様のような線が浮かび上がる。


『……承認されました』


 模様が浮かび上がり数秒後、聞き覚えのある機械音声が耳に届いた。初めてプロメテを装着した時に頭の中で響いた音声とよく似ている。


「これで完了だよ」

「あれ? ほ、本当だ……誰もいない」


 円の言葉に僕は周囲を見渡す。さっきまで歩いていたはずの人たちが一瞬にして音もなく消失した。道路上で静止している車の中も当然ながら無人。遠くに見える鉄道橋の上でも電車がピタッと動きを止めている。改めて見ると、現実味のない異様な光景である。

 人が消え、時が止まった街。それがビショップとイレイズの戦場なのだ。


「来るよ、いっちゃんも装着して。『魔力注入インゼクション』!」

「わ、わかった」


 僕もポケットから出したプロメテを左手首に当てがう。スマホような形状のそれは溶けるように僕の手首に染み込んでいった。


「……『魔力注入インゼクション』!」


 円の言葉を復唱する。それに反応して僕の体内にひりひりとした感覚が走った。ビショップの戦う準備が完了したサインだ。今回は注入した瞬間に襲われたりしなかったので、僕は心の中でほっと一息ついた。

 しかしせっかく戦闘態勢に入ったはいいものの、肝心の敵の姿が見えない。聴覚も普段の時より研ぎ澄まされているはずだが、聞こえるのは風の音くらいである。


「油断しないで。あいつらは襲いかかる瞬間まで人の姿をして、そして静かに近付いて来るから。今もどこかで私たちのことを見張っているかもしれない」


 円が忠告する。イレイズの目的は僕たちを抹殺してこの空間から脱出することだ。こそこそ隠れて逃げ切ろうとするとは考えにくい。現に僕を襲ったイレイズも始めは人間の姿をして攻撃を仕掛けてきた。


「とりあえず、石上を探さなきゃだし二手に分かれるというのは」

「今はまだ駄目。この敵の気配、たぶんこの間の敵よりもずっと強いから。出方が分かっていないタイミングで迂闊に動くのは危険だよ」

「そ、そっか。うん」


 彼女の言葉を僕は黙って飲み込むしかなかった。イレイズを一体倒すのにあれだけ手こずったのだから当然と言えば当然だが、僕がもっと強かったら円は頼ってくれただろうか。

 なんて気落ちしても仕方がないので、とりあえず今は二人で石上を探すことが先決だ。僕と円は離れないように散策を開始した。周囲は坂道が多く住宅街が密集しており遠くの視界が狭い。敵が隠れて見張るにはうってつけの条件が重なっていた。この近くに石上がいるとしたら、早く見つけなくては危ない。


「いないな……石上」

「戦ってる大きな音も聞こえないから、もしかしたらもっと遠くの方にいるのかも」


 しかし散策を開始して10分ほど経過したが、それらしき人影は見当たらなかった。遠くの方にいるとは言っても、だいたい1〜2kmほど歩けばこの空間はループするためそこまで離れた場所にはいないだろう。


「そういえばさ、円。少し気になったんだけど」

「なに?」

「さっき先生にうちのチームに入らないかって言われた時、あんまり乗り気じゃなさそうだったよね。その……何か理由があったりするの?」


 石上を探す道中、僕は先ほどから引っかかっていたことを尋ねてみた。戦いの過酷さを僕に諭した円にしては、彼女らしくない反応だと思っていたのだ。もちろんイレイズの気配を感じていたのもあると思うが、円の態度はそれ以外にも何か懸念することがあるようにも見て取れた。


「乗り気じゃなかったわけじゃないよ。私もみんなで一緒に戦えるなら、その方がずっといいと思う。ただ、ちょっとだけ不安……かな」

「不安?」

「うん。私……今まで一人で戦ってきたから、誰かと息を合わせて連携したり、そういうこと出来るかまだ分からない」


 円の言葉に少しだけはっとした。僕と円でさえ能力が違うのだから、当然他のビショップも戦い方は千差万別だ。それぞれに合わせてコンビネーションを発揮するのは簡単なことではないだろう。単純に戦力が増えるからいいと楽観視していたのは僕の方だったかもしれない。


「一人で戦うことと、複数の人で戦うこと。たぶん求められることは違うと思うよ。それにまだ私……今の気持ちが中途半端だから。誰かのための戦いが出来る自信ない」

「中途半端って、円が?」

「うん……」


 その言葉の真意は分かりかねたが、それ以上深入りするのは今の僕には無理だと察した。心の中に抱えているものの重さが、僕と彼女では違いすぎるのだ。


「……来る! いっちゃん、危ない!」

「え? うわっ!」


 僕の前を歩いていた円が急に振り返り、覆いかぶさるように僕を突き飛ばした。固いアスファルトの上に頭をぶつけたが、プロメテのおかげであまり痛みはない。それよりも、円がいきなりこんなことをする理由は一つしかない。敵襲だ。

 直後、耳をつんざくような鋭い音が鳴り響く。


(な、なにこれ……!?)


 頭を押さえて起き上がった僕は目の前の光景に愕然とした。

 さっきまで僕が立っていた場所に太い鉄の棒が斜めに突き刺さっていた。そのてっぺんにはには逆三角形の赤い板が貼り付けられている。道路標識だ。当然ながら、つい先ほどまでそこに標識など立っていなかった。


「道路標識が、上から降ってきた!?」

「あいつらの能力だよ。どこからか私たちを狙ってる……」


 僕が初めて倒した空を飛ぶ敵は、最後は僕を浮かせて高所から墜落させようとしてきた。前回と同じタイプの敵が現れたということか。しかも姿を現さずに攻撃を仕掛けて来ているぶん、今回の方が厄介だ。


(ひ、ひえぇ……)


 アスファルトがクレーターのように大きく削られているため、その威力は洒落にならないことが分かる。いくらビショップの身体が物理的に強くなっているとは言っても、こんなものが直撃すればたぶん死ぬ。円が咄嗟に僕を突き飛ばさなければ、今ごろ串刺しにされていたかもしれない。


「ま、円!」


 円は刺さった道路標識の近くで二の腕を押さえてうずくまっていた。制服の袖が破れ彼女の指の隙間から血がぽたぽたと滴り落ちている。間違いない。僕を庇って怪我をしたのだ。


「大丈夫、痛くないよ。それよりも次の攻撃が来るから早く敵を見つけないと」


 普段と同じ声色で冷静に話す円だが、痛くないと言われても本当なのか強がりなのか判別がつかない。しかし彼女の言う通り、今は慌てている場合ではない。

 辺りを見渡せば、幹の太い大木がめきめきと音を立てて揺らぎ、ガードレールがまるで紙のようにくしゃくしゃに歪み始めていた。このままでは周囲のあらゆるものが僕たちに襲いかかってくる。


「こんなに正確に狙ってこれるんだから、敵はたぶん近くにいると思う。建物の影とか、屋根の上とか……」

「う、うん」

「私が探し出して仕留めるから、いっちゃんはあいつの攻撃を引きつけてて。危険だけど、頼める?」


 確かに円は敵の位置を正確に把握できるし、動きも僕より数倍は速い。しかし危険だけどと円は言うが、どう考えても怪我をしているのに敵の中に飛び込んでいく彼女の方がよほど危ない。


「……そこッ!!」


 僕が一瞬考え込んだその直後、円が手刀のような動作で空を切った。すると、閃光のような強い輝きが突如彼女の右手から放たれる。振り返ると遠くのブロック塀に光る柱のようなものが突き刺さっていた。それは前に見た円が手から出したレーザー光線の剣に似ている。

 その近くの電柱の影から、明らかに人ではない大きなシルエットが飛び上がった。


「私、追いかけるね。すぐ戻るから!」


 シルエットはブロック塀の上を伝い、民家の屋根上に瞬時に飛び上がり逃走した。円もすかさず走り出し後を追う。そのあまりにも素早い身のこなしはさながら忍者だ。


「追いかけるって言っ……ても! うわ!」


 円が走り出した反対方向から弾丸のように何かが飛んでくる。回避が遅れて僕はそれに直撃した。


「痛ったぁ……な、何これ。看板?」


 僕の脇腹にぶつかってきたのは、工事用の看板だった。『ご迷惑をおかけします』と頭を下げた作業員の絵が描かれた、高さ1m以上はある鉄の看板だ。幸い痛いだけで済んでいるが、こんなものを何発も食らってはひとたまりもない。

 僕にぶつかって地面に落ちた看板はまたカタカタと動き出し、磁石のように先ほどの道路標識にくっついた。


(な、何が始まるの)


 くっついた看板はベコベコと音を立てて標識の鉄棒に巻き付いていく。さらに鋭い金属音を鳴らして近くのガードレールが鉄棒に吸い寄せられていった。様々な金属が集まった標識は雪だるま式に大きくなり、やがて巨大な鉄の塊と化した。

 直後、鉄の塊が独りでに宙に浮いた。


「く、来るのか……来る!?」


 巨大な鉄の塊はまるで隕石のごとく僕目掛けて飛んできた。反射的に左に転がって避け、塊は地面に激突し火花を散らした。円から逃げながらこんなものを自在に操るとは、今回のイレイズは恐ろしすぎる相手だ。


(でも、一方的にやられるわけには……いかない!)


 逃げ回っても仕方ないので、僕はこの間と同様に頭の中で炎の力を念じた。イレイズにとどめを刺した炎の拳である。


「出た!」


 蛇のように長い炎が何重にも僕の左手に巻きつく。イレイズを一撃で粉砕できるこのパンチさえあれば、鉄の塊など大した敵ではない。

 アスファルトの地面を転がった鉄の塊は再び浮遊し、凄まじいスピードで僕の方向へ飛来した。


「たあーー!」


 打ち返すように僕は渾身のパンチを叩き込んだ。内部が一気に高温に達した鉄の塊はいとも簡単にバラバラと崩れ、その場に落下した。道路標識やガードレールだったものは熱で溶けて、再び動き出す気配はない。


(……行かなきゃ!)


 とりあえず目の前の脅威は去ったが、まだ安心はできない。円が敵を追って戦っているのだ。僕は円が追いかけた方向に走り出した。

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