第5話 3人目の戦士(後編)
しかし遠くまで追いかけてしまったのか、いくら走っても彼女の姿を見つけることはできず、気が付けば僕は住宅街を抜けて河川敷の方まで来ていた。視界が開けた土地に出たので、堤防を下り川辺の近くで周囲を見渡してみる。しかし、やはりここにも円らしき人影はない。
「えっ、この音……なに?」
どこからか激しい水音が響いてきた。モーターボートのエンジン音にも似た轟音はみるみる大きくなり、何者かが凄まじい速度でこちらに近付いて来ているのがわかる。
反射的に視線を音のする方向、川の上流に向けると勢いよく川の中心で水飛沫が弾け飛んでおり、黒い大きな影が勢いよく下って来ていた。
「ぐわっ!」
黒い影は一瞬で僕の目の前まで接近すると水中から突進を仕掛けてきた。いきなりの攻撃に防御もままならず吹っ飛ばされ、僕は砂利の地面を転がった。
(ぎょ、魚人!?)
水面から上がった大きな影は、全身に刃物のような鋭利なヒレを生やし、深い緑色の鱗で覆われた怪物だった。全長2m以上はある巨体で、人間で言うこめかみの部分についた複数の眼球がこちらを覗いている。確証はないが、こいつは恐らく円が追いかけた敵とは違うイレイズだ。
「ハァーーーー…………!」
魚人のイレイズは白い煙のような息を吐きながら僕にゆっくりと近付いて来る。以前なら腰を抜かして動けなくなっていたが、今は違う。僕は急いで立ち上がり臨戦態勢をとった。
先ほどの鉄の塊を粉砕した時と同じように、左手に炎の蛇をぐるぐると巻きつける。それに気付いたイレイズは一瞬動きを止め、半歩後ずさった。
「このっ!」
走って距離を詰め僕は拳を前方、イレイズの胸元目掛けて突き出した。しかし、見え見えの軌道だったのか半身を逸らして躱されてしまう。
「……フヴッ!」
「ぐっ!」
がら空きとなった僕の背中に鋭い痛みが走る。振り返るとイレイズが全身のヒレと同じくらいの鋭さを持った爪を展開させていた。その先端は赤黒く染まっている。
「たいシタこと、なイな」
「な……!?」
魚人のイレイズが聞き捨てならない言葉を発した。「大したことない」と、僕は確かに聞いた。片言だが、この間の敵よりもはっきりとした日本語だ。この敵、明らかに僕を挑発している。
(くそっ!)
頭に血が上ってしまった僕は力任せに拳をぶつける。が、その拳は纏った炎ごとイレイズの大きな掌で受け止められてしまう。水蒸気を上げながら、左手に巻きついていた炎はみるみる小さくなっていった。
(なんで……!?)
考えるまでもない。さっきまでこの魚人のイレイズは水中に潜んでいたのだ。濡れた敵に、炎の攻撃は通りにくい。
もう片方の手で僕の右足首を掴むとイレイズは僕の身体を頭上高くへ持ち上げ、河川の方向に投げ飛ばした。
「う、うわーーっ!」
幸い水深は30cm程とそこまでの深さではなかったため溺れることはなかったが、水面に頭からダイブしてしまった僕は立ち上がる頃には全身ずぶ濡れで左手の炎も完全に消失してしまった。
「カカカ……」
「くっそぉ……」
魚人のイレイズがざぶざぶと水中に入ってくる。怪物ゆえにその表情は知ることが出来ないが、大きく開き牙を剥いた口はうっすらと笑っているように見えた。
(出ろ! 出ろってば!)
左手首を右手で握り、僕は何度も念じた。しかし炎の蛇は出ては来るものの明らかにさっきより小さく弱々しい。普段を火炎放射器と例えるならば、今はまるで蝋燭の火だ。
だからと言って諦めるわけにはいかない。僕は近付いてきたイレイズの腹部を思い切り蹴り上げ、反撃される前に同じ箇所を何度も殴りつける。しかしあまり効いていないのか手応えは感じられなかった。この間よりも強力な敵だということもあるが、水を吸った服は重量が増して思うような動きが出来ないのだ。
「ぐ……!」
パンチを腹部に数発受けたイレイズは、まるで遊ぶことに飽きたかのように手を僕の首元に伸ばして締め上げた。両手で腕を掴み引き剥がそうとするが、ギリギリとイレイズは絞める力を強くし僕の意識は少しずつ遠のいていく。
(か、勝てない……そんな……)
脳裏に浮かべていたのは、卓越した戦闘センスでイレイズを追い詰めていく円の姿だった。彼女ほどの強さが少しでもあれば、恐らくこんな醜態を晒すことなど無かったと思う。僕はビショップに選ばれ、円と一緒に戦えることに舞い上がっていたのかもしれない。
しかしやはり彼女の言う通り戦うこととはつまるところ命懸けの行為であり、今まさに僕は絶体絶命の状況に立たされていた。
だんだんと力が抜け、目の前が暗くなる。これは死ぬかも、と本能で感じた。
その時であった。
「クァ……ッ!?」
「……ぅ……かはっ!」
魚人のイレイズが突然苦しむような声を上げて手を離し、僕はその場に落下した。解放された僕は一気に酸素を吸い込んだため咳き込んでしまう。
(痛てて……な、なに?)
背中に鈍い痛みが走る。落下した時に冷たく固い地面に尻餅をついたのだ。
しかし、おかしい。僕とイレイズは川の中で乱闘をしていたはず。この尻に走るつるっとした冷たい感触はなんだろうか。
「何だこれ……!?」
意識がはっきりした時、僕は目の前の光景に愕然とした。
僕を締め上げていた魚人のイレイズが、まるで石像のように固まっていた。完全に動きを止めているわけではないが、全身が小刻みに震えており幾つもある眼球の焦点が合っていない。
そして僕が尻餅をついたのは氷の上だった。ついさっきまで川だった周囲一帯が、まるでスケートリンクのように凍り付いている。しかも僕が乗っているのにひび割れひとつ起こさない頑丈な氷だ。
「生きてる? どこの誰か知らないけど」
背後から声がした。円ではないが、聞き覚えのある女の子の声だ。下流の方に振り返ると、10mほど先で何者かが巨大な傘のようなものを氷の地面に突き刺していた。
「い、石上!?」
「あんた……もしかして九条? 何やってんの、こんなとこで」
その正体は僕のクラスメイトで同じビショップだと先輩から聞かされていた、石上怜だった。離れているため細かい表情は見えないが、気怠そうな態度は声から伝わってくる。信じがたいが、この川の水を全て氷に変えたのは彼女のビショップとしての能力らしい。
「何って、その……助けに来たつもりだったんだけど」
「いや、どう見ても逆でしょ立場が。ていうか、先生の言ってた5人目ってあんたのことだったんだ……どんな奴かと思ってたけど、なんか想像してたのと違ったわ」
「うっ」
学校の中でも戦いの最中でも石上はいちいち言葉がきつい。が、今回は僕も流石に言い返せなかった。殺される寸前まで追い詰められた僕を助けてくれたのは他ならぬ彼女なのだから。
ただ死にそうな目に遭って早々になじられるのはメンタルに大変よくない。ちょっぴり涙が出そうになった。
「んで、悪いんだけど九条」
「はい」
「あたし、今この槍突っ込んで魔力を送り込んでるから動けないの。凍ってるそいつ倒してくれない?」
どうやら石上の掴んでいる傘だと思ってたものは槍だったらしい。短い持ち手に先端が大きい円錐状でドリルのような形をしているため、恐らく突撃槍(ランス)だと思われる。ゲームやアニメの中でしか見たことが無かったが、大きさは彼女の身長に迫るほどで凄まじい存在感を放っていた。
「わ、わかった。やってみる」
僕は立ち上がって再び左手に念を込めた。全身が濡れていても時間をかければ普段通りの火力がきっと出る。言葉では上手く説明ができないが、そうなる確信が僕の中ではあった。
それに、魚人のイレイズの身体が濡れているのと凍っているのとではたぶん状況が違っているはずだ。急激な温度変化をぶつけたら分厚い鱗の肉体も砕くことが出来る……ような気がする。
そう直感し、僕は持てる力を全て込めて燃える拳をイレイズの胸に叩き込んだ。
「……おりゃあーーーー!!」
魚人のイレイズは僕のパンチを受けるとポッキリと上半身がガラス細工のように折れ、凍った川の氷面を転がった。
直後、その上半身が光に包まれて大爆発を起こした。至近距離で爆風をもろに食らい、僕は仰向けに転倒する。
(終わった……か)
背中に走るひんやりとした感触は実のところ少し気持ち良かった。気付けば全身ずぶ濡れだったはずなのに、僕の身体は制服ごとすっかり乾いている。
「あんた、そんなところに寝っ転がって大丈夫なの?」
「うん……なんか、大丈夫みたい」
もしかしたら石上の作った氷を触って冷たいで済むのも、身体がすぐ乾いたこの現象も、僕のプロメテが炎の能力を持っているからかもしれない。しかし石上が引きつった顔で僕を見ているので、今後はやらないようにしようと思った。
「とりあえず、まぁお疲れ様。これで敵は全員片付けたかしら」
「いや、まだ円が戦っているんだ。行かない……と……わわっ」
石上が突き刺した突撃槍を引っこ抜いた。その瞬間、みるみる川の氷が溶け出して身体が沈み出した。僕は慌てて立ち上がり岸に向かって走る。
僕と石上が岸に戻った時には川はすっかりいつもの流れを取り戻していた。
「で、その円ちゃん……だっけ。場所わかるの?」
「さっきから探してたんだけど、全然」
僕の頼りなさげな返事に石上は小さくため息をつくと、自身の右手首に左手の指先を当てる動作をした。直後、彼女の足元に転がっていた白く大きな突撃槍が氷のように溶け出し、その手には青いスマホ状の小さな機械……石上のプロメテが握られていた。
「あんた、プロメテの使い方あんまり分かってないようだから教えとくわ。これの青い模様みたいに浮かび上がってるやつは近くのビショップの存在を知らせる役割になってんの。あちこち行ったり来たりしなくてもいいようにね」
「は、初めて知った……」
石上が自分のプロメテを指差しながら僕に見せて解説する。思い返せば初めてイレイズや円と遭遇した時も同じように光っていたような記憶がある。そしてあの時サイレンのような音が鳴り響いたのは、イレイズの接近を知らせる機能が働いたからなのだろう。
「そんで、この反応ならそんなに離れた場所にはいないと思うわ。じゃ、行くわよ」
プロメテの反応を辿る石上に連れて来られた場所は、城ヶ崎神社というそこそこ大きい歴史のある神社だった。
鳥居をくぐり石の階段を登った先、広い境内の中に目にも止まらない速度で動き回る二つの影が見えた。片方は風船のように膨らんだ身体をして全身に黒い体毛と背中に小さな翼を生やしたコウモリのようなイレイズだった。その巨体に似合わず俊敏な動きで神楽殿などの建物の屋根を飛び回り、もう片方の動きを翻弄している。
「円!」
翻弄されているもう片方の影、円はレーザー光線の剣を構えていた。イレイズの能力によって宙を舞い彼女目掛けて降ってくる灯籠や石材などを最小限の動きで躱して敵の出方を窺っている。
「いっちゃん、そこから動かないで!」
気付いた円がその場で僕たちを制止する。敵の狙いが僕たちに移っては危険と判断したのだろう。しかし、次々と襲いかかってくる飛行物体がまともに命中すれば円といえどただでは済まない。
しかし僕の心配をよそに円は大きく跳躍すると飛来してきた灯籠を蹴り、その反動でさらに高く跳び、屋根上にいたイレイズとの距離を詰めた。
「……キッ!」
「はぁ!」
咄嗟の接近に驚いたイレイズが再び飛んで円との距離を離そうとする。彼女は構えていた光線の剣をクナイのように投げてその背中に突き刺した。
「ギ……ウッ!」
コウモリのイレイズが苦しそうな声を上げた。明確なダメージが入ったのだろう、さっきより動きが鈍くなっている。離陸に失敗し隙だらけとなったイレイズの胴体に円は回し蹴りを決め、神楽殿の屋根上から突き落とした。
石畳の地面に頭から落下したイレイズはよろよろと立ち上がり、神楽殿から下りてきた円に掴みかかろうとする。しかし弱ったイレイズには先ほどの俊敏さは既になく周囲で物が飛び回っている様子もない。勝敗は誰の目に見ても明らかだった。
円がレーザー光線の剣を再び展開し、イレイズの胸部から袈裟懸けに斬り下ろす。
「グ……ウウゥゥァーーーーーー!!」
身体を真っ二つに裂かれたイレイズは断末魔を上げ爆散した。円の周囲では燃えカスとなったイレイズの破片の他に砕けた灯籠や石材のブロックなどが散乱していた。
「円……!」
なんとか勝利したものの円も全身あちこちに擦り傷を作っており、特に二の腕の出血が痛々しい。彼女の格好は今回の敵がそれだけ凶悪だったことを物語っていた。
「すぐ戻るって言ったのに、遅くなってごめんね」
「いやそんなことよりも、大丈夫なの?」
「うん。この程度の怪我なら大したことないよ。敵の気配ももう感じないから、今回はこれでおしまいだね」
いつもと同じ口調で円が答える。それが僕にとっては頼もしくあり、少しだけ恐ろしかった。きっと自分でも気付かないうちに無理を重ねる性格なのだろう。いつか限界が来て倒れてしまったりしないかどうしても心配になる。
「そっちの人が、もしかしていっちゃんの言ってた……」
「あー、うん。悪いわね。結果的に助けてもらっちゃったみたいで」
「ううん。でも無事だったんだね。よかった」
僕の背後にいた石上に気付き円が尋ねる。少し照れ臭そうな態度を見るに、男子にはツンツンして厳しいが女子には優しい性格のようだ。
「それじゃあ、魔鍾結界を解くよ」
円が先ほど石上と同じ動作で左手首の中からプロメテを取り出し、彼女のプロメテに複雑な模様が浮かび上がる。
『…………解除します』
脳内に響く機械音声と共に周囲が慌ただしい喧騒に包まれた。結界が消えて人が元に戻ったのだ。
しかし僕たちの足元に散らばった石材ブロックの破片や壊れた灯籠はそのままの状態であった。つまりこれは戦って壊した家や看板などは現実のものであるということか。戦闘中にいちいち配慮している余裕はないだろうが、なるべく被害は最小限に留めなければならないと実感する。
「学校に戻るわよ。先生に報告しなくちゃね、色々と」
石上が僕と円に呼びかける。かなりの時間が経過した気がするが、魔鍾結界の中では時間が数万倍に引き延ばされていたため実際は学校を飛び出してからまだ20分も経っていないのだ。
「いっちゃん、どうかしたの?」
「ううん、なんでもないよ。明日も修行、頑張ろうと思って」
「……そうだね」
立ち止まっている僕に円が声をかける。きっと聡い彼女のことだから、僕の考えていることはだいたい分かっているとは思う。
今回の戦いで僕は自分の実力が円に遠く及ばないことを痛感してしまった。覚悟はあったはずなのに、自分の能力が追いついていない。そのことがどうしようもなく歯痒かった。
足りないのは、恐らく経験だ。絶体絶命の窮地に立たされて、それでも諦めないでもがいて勝利する。戦い以外でも今までの人生でそういった経験が僕には欠けていた。それが円と僕の致命的な差なのかもしれない。
「でも、焦っちゃだめだよ。最初から強い人なんて、誰もいないんだから」
「うん……」
彼女の言葉に、僕はただ小さく頷くことしかできなかった。
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