第17話 鋼鉄の装甲兵団(後編)
部室の入り口には教育実習生の石上紗耶が立っていた。当然ながら昨日のパワードスーツ集団を指揮していた時とは打って変わって一人で、教育実習生としての格好で片手に授業の教本などを持っている。
「はじめまして、の人もいるようね。私が本部よりスタッグ計画の現場指揮を任された石上紗耶よ。ここの責任者は貴方かしら」
石上姉はずかずかと入り込み、芥先生に対して指さした。今日の彼女は教室で会った時とはどこか顔つきが違う。攻撃的、というか高圧的だ。
「あ、あぁ。私が陰陽部の顧問を務める芥だ。君が石上くんのお姉さんだね。話は伺って……」
その態度に気圧されながらも芥先生が立ち上がって一礼しようとした、その時だった。
「ちょっ……え!?」
「うぐっ、な……何を……」
石上姉が芥先生の胸ぐらを掴み、ぎりぎりと締め上げていた。あまりに突然の乱暴に、その場にいた全員が一瞬何が起きているか理解できず数秒経って部室内がざわめく。
「『君』という呼び方は好きじゃないの。口の聞き方には気をつけなさいな、貴方」
体格が細身とはいえ成人男性の芥先生を、華奢な女性の石上姉が腕ひとつで制圧している光景は側からみれば異様だった。教室で笑顔を振りまいていた印象からは想像もつかないような、氷のように冷たい目つきに僕は本能的に寒気を覚える。
「先生を離して。急に入ってきて、一体どういうつもりですか」
いち早く立ち上がり石上姉の腕を掴んだのは円だった。イレイズ以外に対してはまず見せないような、普段の円らしからぬ剣幕だ。
「あら、ごめんなさいね。私、無能な大人って一番嫌いなの。ついつい手が出ちゃうのよ」
しかしそんな剣幕をものともせずに石上姉は手を離して円ににこやかな笑顔を見せた。解放された芥先生はその場で膝をつき、弱々しく咳き込んでいる。
「大丈夫だ、沢灘くん……非礼をお詫びします」
「フン、本部でどんなポストに就いていたかは知らないけど、前線で戦う将来有望な若者よりも自分が上の立場と思えるなんて、随分おめでたい人ね」
庇うように石上姉の前に立つ円を芥先生が諌める。その姿を見た石上姉の反応は実に冷ややかなものであった。
(な、なんなんだ……この人、本当になんなの……!?)
目の前であの芥先生が力でねじ伏せられて、さらに口汚く罵られている。それなのに僕は円のように即座に止めるよう動くことができなかった。この人の言動から滲み出る他人への悪意に恐ろしくて竦んでいたのだ。昨日教室で挨拶した時の丁寧な物腰などは微塵も感じられない。
「貴方たちも難儀なことね。こんな使えない大人の元で働かせられて、さぞ苦しい日々を送っていたことでしょう。でも私が来たからにはもう安心よ。これよりこの『陰陽部』は私の管轄下に入って貰います。危ないことも怖いことも、これからは全部大人たちにやらせればいいの」
「か、管轄下……? えっ? ど、どういう事?」
さらっととんでもない告白をされて奥村先輩が口をあんぐりさせた。当然僕も鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたし、円も言葉を無くしていた。
「これからこの街のビショップとしての任務は、私たちスタッグ計画メンバーの主導になるということ。イレイズの討滅は、新型強化鎧骨格『ネブト』を中心に行います」
つまりこれからのイレイズとの戦いは、あのパワードスーツ集団が僕たちの代わりにやるということらしい。しかし石上姉から出されたその指令は、事実上の陰陽部の乗っ取りである。危険な戦いを引き受けてもらえるとは言うものの、即座に「はい分かりました」と受け入れるには抵抗があった。
「……その場合、私はどうなるのでしょうか。私も一応、上層部直々の命令でこの街に派遣された者ですが」
すっかり萎縮した芥先生が弱々しく尋ねた。それに対して石上姉はまたしても冷ややかな目で一瞥し、
「分からない? ならもっとはっきり言ってあげる。貴方はもうお払い箱ってこと。必要のない人間なの。荷物をまとめて実家にでも帰りなさいな」
「な……」
横暴な、あまりにも横暴な仕打ちに芥先生は絶句した。ここまで酷い言葉の暴力をぶつけられている様を、僕は今まで見たことがない。怒りとか悲しみとか、そういう感情以前に自分の中で言葉にならない気持ち悪さがふつふつと湧き上がっていた。
しかし何故、石上姉は芥先生に、『大人』に対してここまで辛辣なのだろう。彼女の敵意はいくらなんでも異常だ。
「私は……本部から、そのような辞令を受けてはおりません。今回の人事は、上層部の了解は得ているのですか?」
しかし流石の芥先生も黙って従うつもりはないらしく、言葉は丁寧ながらも食い下がる意思を見せていた。普段から僕たちを気遣ってくれたあの芥先生が理不尽を強いられ、屈辱に耐えている姿はとてもじゃないが直視するのは辛い。
「私はスタッグ計画の幹部で鎧骨格運用試験の総責任者よ。この街に関する全権限を与えられているの。当然、貴方の首を飛ばすも飛ばさないも私の意思次第。嘘だと思うなら上に問い合わせてみなさいな」
石上姉は蔑むような目線で言い放った。横暴というか、これではもはや暴君そのものだ。本当にあの石上妹と血の繋がっている人間なのか疑わしくなってくる。
「ちょっと! お姉ちゃん!?」
完全に部室内の空気を掌握されたその時、よく聞き覚えのある女子生徒の怒号が響き渡った。
「こんな所まで押しかけて、どういうつもり!? いったい何を考えてるの!」
勢いよく扉を開けて暴君と化した石上姉に詰め寄って来たのは唯一いなかったビショップの仲間でありこの暴君の妹、石上怜だ。今朝から教室で見かけなかったのもあって、この場に現れてくれたことに僕は凄まじく安堵した。
ようやく現れた救世主である石上は、先ほどの円の剣幕など比ではないくらい表情に怒りを滾らせていた。普段冷静ながら少しキツめな性格をしているのは僕もよく知っているが、彼女がここまで感情的になるところは正直見たことがない。
「あら〜、怜ちゃん。ちょっと先生にご挨拶をと思って来たんだけど迷惑だったかしら」
だが石上姉は自身にぶつけられる怒りを、まるで幼子を相手するようにいなしてすぐさま笑顔で応対した。その切り替えの早さが恐ろしい。
「廊下まで、全部聞こえてたわよ。まさかと思って来てみたらこんなことになってるし……お姉ちゃんうちの部を乗っ取る気!?」
「乗っ取るだなんてそんな人聞きの悪いこと言っちゃダメよ〜? お姉ちゃんは怜ちゃんが心配なだけなんだから。この先生の指揮が無能だから怜ちゃんもこの間大怪我することになったんじゃない」
この間の大怪我とは、恐らく25号との戦いでの負傷のことだろう。そう言えば、一昨日の夜に石上から姉が過保護な人というのを聞いていた。石上姉が芥先生にきつく当たる理由がほんの少し分かったような気がする。
「ま、待ってください。その、石上が怪我をしたのは僕を庇ったからで、先生のせいじゃ……」
「九条、あんたちょっと黙ってて。あたしとお姉ちゃんが話してるの」
「あっ、はい……」
勇気を振り絞って訂正しようとしたが石上に冷たく跳ね返されてしまった。ベクトルは違うが、妹も妹でやはり怒ると怖い。
「あたしが大怪我したのもあたしの責任。あたし、別に誰のせいでこうなったとか一言も言ってないし思ってもないから。お姉ちゃんの仕事はお姉ちゃんの仕事でうちとは関係ないでしょ。勝手にあれこれ関わってこないで」
昨日の昼間の弱気さとは打って変わって、今日の石上は完全に攻撃体制になっていた。流石の姉もここまで反抗されるのは予想外だったらしく、笑顔は崩さないもののどこか困惑している様子だ。
「ん〜、お姉ちゃんはただ怜ちゃんが下らない大人に利用されて辛い思いして欲しくないだけなのよ〜? この部活だってお姉ちゃんの目の届くようにしておけば危ないことだってないでしょう?」
「それが余計なお世話なの! 先生だってみんなだって迷惑してるの分からない!?」
石上姉妹の口論はどんどんヒートアップしていく。その勢いに呆気にとられて円も先生も奥村先輩も居心地の悪そうな表情をしている。約一名、掃除用具ロッカーに身を潜めている長谷川の様子だけは窺い知れないが出来ることなら僕も彼のようにどこかに隠れたかった。
「怜ちゃんは、お姉ちゃんと一緒にいるの嫌なの?」
「嫌よ!」
「…………そう」
妹から明確な拒絶の言葉をぶつけられて、石上姉から表情が消えた。芥先生を罵った時に見せた氷ののうな冷たい目つきを、今度は実の妹に向けている。
「……っ! お姉、ちゃん……」
その表情から何かを察した石上の声が震える。
「今日のところは出直すわ。でも、怜ちゃんにもいつか分かるはずよ。大人なんて、みんな下らないメンツやプライドしか考えない腐った連中だってことを」
そう捨て台詞を吐いて石上姉は部室を出て行った。
(き、気まずい……)
残された石上は俯き、苦々しい顔で唇を噛んでいる。その沈黙はとても痛々しいなんて言葉では表現できなかった。
「……みっともないところを見せてしまった。すまない」
最初に沈黙を破ったのは芥先生だ。あそこまでけちょんけちょんに罵られてもなお大人の体裁を崩さないのは純粋に凄いと思える。
「あ、あの……先生。ええと、その……クビになっちゃうんですか……?」
「私も組織に属する人間だからね……上の決定に逆らうことはできない。もっとも、何故彼女があそこまでの権力を与えられているのか、不可解ではあるのだが」
それは僕も疑問に思っていた。そのスタッグ計画というものがどれほど重大なものなのかは知らないが、石上姉がビショップというだけで複数人の大人を指揮し、好き放題に人を動かせる立場にいるというのは違和感がある。
「安心してくれ……と言っても難しいだろうが、君たちのことは私が絶対に守る。私の立場がどうなろうとも、彼女の好きにさせたりはしない。何か良からぬことが起きる前に上層部に直接掛け合ってみるつもりだ」
そうは言われても、先生がこの部活を去った後にあの暴君の姉に管理される陰陽部は、想像するだけで恐ろしいなんてもんじゃない。
「みんな、ごめん。本当に……ごめんなさい」
再び訪れた沈黙の中、石上がやっと重々しい口を開いた。普段の彼女からは聞いたことのない謝罪の言葉にその場にいた全員が目を丸くする。
「あ、あのねレイちゃん。レイちゃんが謝ることなんて何にもないのよ? むしろあの状況で飛び込んできてくれたことに、私はありがとうを言いたい」
気まずそうにノートパソコンの画面で顔を隠していた奥村先輩が優しく宥めた。ありがとうを言いたいのは僕も同じだ。情けないことだが、あの姉に真っ向から逆らうことが出来たのはこの場で石上ひとりしかいなかっただろう。
「あの人の言うこと、全部聞かなくていいから。気にしないで。本当に、何も……気にしないで……」
声を震わせてそう自分に言い聞かせるように何度も何度も同じ言葉を呟く石上に、僕は湧き上がるやるせない感情をどうすることも出来なかった。
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