第24話 姉妹(後編)

「いやー、ほんとロクでもない目に遭った。気付いたら病院のベッドで、身体もあちこち痛いし寒いし正直今でも生きた心地しないわ……」

「せ、先輩……生きてたんですか……?」


 時は石上姉との死闘を終えた日の夕刻。円と奥村先輩の入院する病室に向かった僕を迎えたのは、昨日まで意識不明だったはずの奥村先輩だった。ピンクの病衣を着て点滴用のスタンドに繋がれているので大怪我だというのは伝わるのだが、僕が心配していたよりも先輩はピンピンしていた。


「こらこら、勝手に人を殺さないでくれるかな。一応しばらく検査は必要だけど、命に別状はないって言われてはいるんだから」


 ベッドに寝ながら奥村先輩は、備え付けの椅子に座る僕の頭をチョップする。


「でも、本当に大丈夫なんですか? だって部室のガラスにも穴が空いてましたし、あんな凄い大きさの弓矢で撃たれて……」


 しかも襲撃からたった一日でここまで回復するなんていくら何でも早すぎる。あれだけの殺人兵器で狙われたのだから、一命は取り留めたとしてももっとドラマなどで見るように絶対安静とかそういう状況になったりしないものだろうか。


「いや実際危なかったんだって。体内に刺さった針が小さすぎて普通のお医者さんじゃ取るのがかなり難しいって状況だったみたいよ。でもなんかね、本部から偉いスーパードクターさんが来て手術をパパパっとやってくれたんだって」

「す、スーパードクター……?」


 深刻な場面にしてはミラクルすぎる単語が飛び出して、僕は思わず口をあんぐりさせてしまった。ここはイレイズとの戦闘など表向きじゃ直せない怪我を治療する病院と以前聞かされていたが、昨日の今日でそんな人がいきなり現れるなんて、いくら何でも都合が良すぎる。


「なんでも13歳で博士号と医師免許を取った本物の天才さんで、本部でも権限をいっぱい持ってる人らしいよ。名前は確か……香月なにがしさんって、お医者さんの先生が言ってた」

「香月……!?」


 その名前を聞いて僕は戦慄した。

 ビショップ本部に所属していてその名前を持つのは、僕にプロメテを渡した彼しかいない。初めて会った時も僕の身体の検査をしていたし医学の知識は豊富だというのは感じられた。それにしても確か日本じゃどんなに天才でも13歳で博士号も医師免許も取れなかったはず。若いのに組織の偉い立場にいることといい、やはり只者ではない。


(そっか、だからか……)


 香月は運び屋の近江に護衛を続けさせると言っていた。あの後も常に僕の近況を把握していたとしたら、円や先輩が襲われた時にすぐに行動できたことも納得がいく。

「巻き込んだ」なんてとんでもない。僕は彼に何度も救われていたのだ。


「あれ、刺さってたのって『針』なんですか? 矢じゃなくて」


 僕の素朴な疑問に、奥村先輩は人差し指を唇に当てて考え込む仕草を見せた。


「んーとね、少し難しい話になるけどビショップの魔力で生成してる物って、視覚ではそれっぽく見えても実はそれとは似て非なる物というか、本物の水や氷や炎とかではなかったりするのね。具体的に言えば魔力を行使する時に生成する物質の原料は九条くんたちの血液や体細胞。それを魔力で形や温度に変化を加えてコーティングしてるって話」

「えと、すみません。何の話ですか」


 急に複雑な単語が飛び交って僕は首を傾げた。すると先輩は自分の前髪の一本を指で摘んで「ぷちん」と抜き、


「たとえ私に刺さった物がすんごく太い矢だったとしても現実の質量はせいぜいこの髪の毛一本ぶんしかないってことよ。まー、傷口はけっこうな深さだったんだけど」

「はぁ……なるほど」


 理屈はよく分からないが、石上が使う突撃槍ランスも姉が出した氷の弓矢もそれぞれ身体の一部を少しずつ消費して生成しているらしい。とすれば僕の左手首から出てくる炎の蛇も文字通り僕の身体そのものだったわけで、どうりで蛇の受けたダメージがそのまま僕にも流れてきたわけだ。


「そういえば、先輩。円は……」


 円は奥村先輩と同じ病室に入院していると受付で聞かされたので慌てて来てみたが、出迎えたのは先輩だけで二人部屋のもう片方のベッドには誰も寝ていない。


「んー、私も円ちゃんも摘出手術自体は終わってるらしいからたぶん単純に外に出てるだけじゃないかな? 一日ずっと寝てて暇だったからねー」

「ええ……」


 さらっと言われて僕は軽く唖然とした。大怪我で緊急手術を受けたのだから一日くらいゆっくり寝ていればいいのに。円らしいと言えば円らしいが、相変わらず常人離れした体力である。


「あっ、来てたんだ。いっちゃん」


 噂をすれば、病室の扉が開かれたと同時に昔から聞き馴染みのある声が僕の名前を呼んだ。


「円!」


 視線の先にいたのは、昨日の襲撃で倒れた円だった。奥村先輩と同じ病衣を着ているが肌の血色はよく、抱えた時の冷たさが嘘のような回復ぶりだ。


「だ、大丈夫なの?」

「うん。最近あまり修行できてなかったからその辺走ってきちゃった。退院したら一緒に修行の続きだね」


 修行の続きとはもしかしてスポーツジムでサンドバッグを避け続ける謎修行のことだろうか。あれで何が鍛えられたかさっぱり分からないが、円は気に入っているらしい。


「え、えっと……その……」


 色々と言いたいことがあるのだが、喉の奥でつっかえて上手く言葉が出てこない。今まで我慢してきた感情が波のように押し寄せて視界が滲んでいく。

 僕は純粋に嬉しかったのだ。またいつものように円と話ができることが。


「ど、どうしたの、いっちゃん」

「う……うぅ……」


 珍しく円が狼狽えながら尋ねる。答えようにも顔を上げられず僕はその場で膝をつき、情けなく涙を流した。


「よかったぁ……ほん、とに……よかった……!」


 顔をくしゃくしゃにして泣きながら、僕は同じ言葉を何度も繰り返す。

 本当に死んだと思ったのだ。石上姉の矢で撃ち抜かれ、倒れた時の冷たい感触。心が押し潰されるような苦しさ。彼女が目を覚まさなかったら、それをずっと抱えて生きていくことになっただろう。そうならなかったことに、僕は安堵した。


「え、何? このリアクションの差は……」


 後ろで何か聞こえたような気がしたが、顔を上げられない僕はそのまま泣き続けた。




 それからしばらく経ったある日の放課後、僕は陰陽部の部室に呼び出された。呼び出した人物は顧問でありビショップ組織の一員でもある芥先生だ。僕たちの立場を守るために『スタッグ計画』に加入するという話だったと聞いていたが、どうやら再び教職に戻れたようである。

 中央に固められた机を挟んで向かい合うように椅子に座る先生の表情は、普段よりも神妙な面持ちだ。

 先生が姿を消してからの数日間のこと、僕は全てを話した。円と奥村先輩が襲われたこと、3人で石上姉を止めたこと、そして彼女を裏で操っていた赤髪の女のこと。


「今回の件、本当にすまなかった。何も君たちの力になれず……」


 僕の話を聞き終えて早々、先生は深く頭を下げた。


「い、いえ先生が謝ることなんて……先生だって僕たちのために行動していたんですし」


 先に襲ってきたのが向こうだったとは言え、実力行使で打って出たのは僕たちの判断だ。それだって結果的に石上姉が失脚することになったものの絶対に正しい判断だったかと聞かれたら答えは微妙だ。


「でも、先生……」


 しかし、それでも自分の居場所を守るためには誰が相手でも戦わなければならない時がある。今回の一件で僕はそう確信した。


「僕、大人のやり方というのが何なのかは分かりません。でも一人が犠牲になって丸く収めればいいなんて、それが大人のやり方だと言うなら……間違ってると思います」


 相手が上の立場であったとしても、これだけは言わなければならない気がしていた。『陰陽部』という居場所、その仲間には先生も含まれているのだ。


「ああ、その通りだ……組織に長く居すぎたせいで、考え方が凝り固まってしまっていたようだ。敵は組織の中にもいると、肝に銘じておかねばなるまいな」


 敵。その単語に僕は気分が落ち込む感覚を覚えた。イレイズを倒すための存在がビショップで、目的は人間を守ることのはずなのに何と戦っているのか分からなくなる。


「先生、石上のお姉さんは……」

「スタッグ計画は一旦の凍結、それに伴い彼女も本部から追放されたそうだ。本来ならビショップが同じビショップに攻撃を加えるのは重大な規則違反。君の言う赤髪の女が手を下さずとも、プロメテの永久剥奪処分は免れなかっただろう」


 それはそうか、と僕は腑に落ちた。表向きは仲間であるビショップに攻撃することが許されているのなら、そもそも組織として成り立つはずがない。だが、それでもあの女は躊躇なくそれを遂行したのだ。


「彼女の背後にはそれを揉み消せるだけの存在がある、と私は睨んでいる。私は上層部と連絡を取りながら真相を明らかにしていくつもりだ」

「そ、それって凄く危険なことじゃないんですか……?」

「そうだな。だが、やらねば君たちにも再び危害が及ぶ。これが前線で戦えない私にできる最大限のことだと信じている……」


 芥先生はやつれ気味の表情だが、強い口調でそう言った。

 組織そのものと戦う。それはもしかしたらイレイズと戦うよりも難しく、そして辛いものかもしれない。


「先生、その時は僕たちも戦います。きっと、僕たちだけの問題じゃないと思うので。だから一人で抱え込むなんてしないでください」

「……ありがとう」


 最後に一言だけ礼を言うと、早く帰るよう促し先生は部室を後にした。


「……九条」

「えっ、石上?」


 部室を出た僕を呼び止めたのは石上だった。今日の呼び出しに彼女は含まれてはいない。姉の処遇の話もあったので芥先生も気を遣って連絡しなかったのだろう。

 恐らく僕と先生の話を聞いていた石上は、廊下の壁にもたれたまま気まずそうな表情で目線を下に向けている。


「あんたさ、大変な連中に狙われてるみたいね」

「え? あ、うん。そう……みたい」


 てっきり姉についての話をしたいのだと思っていた僕は、少し拍子抜けした。彼女にとって辛い出来事が続いた後なので、本当は他人の心配をできるほど心の余裕はないはずだ。

 

「お姉さん、結局あの人に利用されてたんだよね。何が目的なのかは知らないけど、許せないよね」

「ううん、お姉ちゃんのことはいいの。それよりもあいつ、たぶんまたあんたの前に現れると思う」


 石上の言う「あいつ」とはあの赤髪の女のことだろう。0号プロメテは僕に預けておくとは言っていたが、一度命を狙って追跡してきた過去もあるし油断はできない相手だ。


「その、あんたが危ない目に遭いそうになったら……その時は、言って。あたしも出来る限りのことはする」

「う、うん」


 普段の石上らしからぬ剣幕に圧されて、怒られてる訳じゃないのに僕はこくこくと頷いた。それにしてもこんなに誰かのために頑張る決意表明をするほど素直な性格だっただろうか。


「い、言っとくけど借りとかじゃないから」

「えっ?」


 言葉の真意が読み取れず聞き返すと、石上は目線を夕陽が射す窓の方からぎこちない動きでこちらに向けた。


「あんた、言ってくれたじゃない。あたしのこと、友達だって。あ、あたしも……その、あんたのこと……友達だって、そう思ってるから。だからこれは、貸し借りじゃない……から」


 辿々しい口調でそう言うと、石上はまたぷいっと顔を逸らしてしまった。心なしか頬が赤いような気がするが、それが夕陽に当たっているせいなのかは僕には分からない。


「……帰る。それじゃ」

「あっ」


 僕の返答を待たずに石上はすたすたとその場を後にした。その後ろ姿は怒っているような、それでいて喜んでいるようにも見えるような何とも言えない雰囲気を漂わせていた。

 日も落ちかけて、誰もいない廊下に僕はぽつんと一人で佇む。


(『0号プロメテ』、か……)


 石上の言う通り、間違いなくあの赤髪の女は再び僕の前に現れる。彼女の背後にいる組織は、僕の持つ0号プロメテに何か大きな秘密が隠されていると踏んでいた。人の命を奪ってまで暴きたい秘密とは、いったい何なのか。

 きっとこれは始まりに過ぎない。まだ誰も知らない大きな闇が潜んでいるのだろう。

 今この瞬間も、僕のポケットの中に。

 

【第2章 完】

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