第12話 決意(後編)

「一年前、お母さんがいなくなって……私は目の前が真っ暗になった。お父さんは海外で働いていて小さい頃からずっと二人で暮らして来たから、だから……数日経ってお母さんが帰って来た時は本当に嬉しかった。子供みたいに抱きついて……大声でわんわん泣いた」


 感情を押し殺して淡々と話す円。しかし彼女は僕に背を向けて窓の外を眺めているため、その表情は窺い知れない。

 前に一度円から聞いた。イレイズは人間に擬態し、そして擬態元となった人間は行方をくらましイレイズとなって数日後に帰還する。つまり、その帰ってきた彼女の母親は……


「それから何日もしないうちに、お母さんはまたいなくなった。今度は、お父さんの派遣したビショップの部隊に倒されて」


 行方不明になった母親が帰って来た時の安堵感と、その母親が既に人間ではなくなっていたことの絶望。きっとその心の傷は言葉で表現する以上に大きく、そして根深いのだと思う。同じ境遇にいない僕では想像もつかない。


「私、喜んじゃったんだ……お母さんが帰って来た時。もう私の知っているお母さんじゃなかったのに、人間のふりをした……化け物だったのに」

「そ、それは仕方ないんじゃないの……? だってイレイズと普通の人の見分けなんて」

「でも、私にはそれが許せなかった。同じだったんだもの! 何もかも……お母さんと……!」


 僕の言葉を遮るように、ついに円は抑えきれなくなった感情を吐き出した。


「姿だけじゃない。声も、匂いも……私の知っているお母さんだった。私の頭を撫でて、優しく名前を呼んでくれた。化け物なのに、私のことを知っていた。あいつはお母さんの記憶も、持っていたんだと思う……」


 人間に擬態したイレイズが、その人間の記憶をも受け継いでいるというのは薄々僕も感じていた。金子に擬態した25号は初めて僕と石上の前に現れた時、「知ってる顔で挨拶してやってる」と確かに言った。だからこそ、イレイズは化け物でありながら人間社会に簡単に潜り込むことが出来るのだろう。


「あのお母さんが化け物だと知った日から……私の中にずっと消えない、気持ち悪い『何か』が現れたの。お父さんからプロメテを渡されてビショップとして戦うようになってからは、人を守るために戦うって自分に言い聞かせて誤魔化してた。でも、その『何か』は今も私の心の中にある」


 あの夜には詳らかにされなかった円の心の内を、僕は噛み締めるように聞いた。彼女が言うその『何か』は確かに『憎しみ』と単純に定義出来るものではないだろう。自己嫌悪や不安感、心の闇などが複雑に絡み合って円自身もはっきりとした正体を掴めずに苦しんでいる。

 だが僕は直感した。その『何か』こそが彼女から笑顔を奪ったのだと。方法は検討もつかないが、再び円が心から笑えるようになるためには彼女の心からそれを取り除くしかない。


「だからね、いっちゃん。私はいっちゃんが思っているほど立派な、かっこいい人間じゃないの。ただ、お母さんを奪ったあいつらが憎くて、あいつらを叩き潰すことでしか私の中のこの感情は満たされない。だから戦っているの。誰かを守るために戦うなんて、そんなこと言う資格……私にはないから」


 そう言うと円は僕の方に振り返り、寂しげに微笑みかけた。そのどこか痛々しい姿に、僕の胸もズキリと痛む。

 円は戦うことに怯える僕を責めたりはしなかった。だが、彼女自身は自分がいくら傷付こうとも絶対に戦いをやめたりはしない。だからこそ、その気遣いには優しく突き放すような、どこか冷たい意図が僕には感じられた。


(僕は……)


 円はきっと、自分の心の隙間を埋めるために自分が傷付きながら戦ってことを理解している。そのために自分の笑顔を犠牲にすることも、彼女は厭わない。


(僕は……どうしたいんだ?)


 僕は確かに巻き込まれた身だ。知らない男にいきなりプロメテを押し付けられて、イレイズとの戦いに巻き込まれた。だがその結果、円と再び出会うことができて僕は自分の運命を嘆くことなくここまでやってきた。思い返せば、自分は何のために戦っているのか、ビショップの力で何をしたいのか、最も大事な要素が僕には欠けていた。

 ただ円と一緒にいられれば、僕はそれで良かったのかもしれない。


「いっちゃんはここで待っていて。あいつは私がやる。今度こそ」

「えっ?」

 

 円の寂しげな笑みが、凛とした顔つきに変わる。彼女の呟いたその言葉の意味を、僕は一瞬遅れて理解する。


「円!?」


 反射的に引き止めようと上体をがばっと起こしたその時には、円は風のように走り去っていた。中途半端に伸ばした右手は、ただ空を掴むこともできず震えと共にその場で静止する。

 誰もいなくなった保健室が、風音を纏った静寂に包まれる。


(もしかして……さっきからずっと?)


 恐らく彼女はここにいる間、ずっと感じていたのだ。こちらに近づいて来る強大な魔力の流れ、25号が放つ気配を。

 つまり僕たちは、25号をこの街から追い払うことに失敗したのだ。この状況をどうにかしなくては新たなイレイズが出現してまたしても多くの人間が犠牲となる。しかも今は長谷川先輩も石上も戦闘不能で、戦えるのは円と僕しかいない。


「ど、どうすればいいんだよ……円が、このままじゃ……」


 焦りと恐怖がじわじわと込み上げてくる。このままでは円は死ぬ。25号は円ほどの実力がある人間でも正面からぶつかって勝てるような敵ではない。実際に戦って一撃でのされた僕にはそれが肌で分かっていたし、彼女だって恐らく理解しているはずだ。


「どうしてっ……僕はこんな時に……!」


 それでも円は行った。彼女は誰かを守るために戦っているんじゃないと自分で自分を卑下したけど、現に僕は救われて円は今も誰かの命を守るために立ち向かっている。彼女自身がどう思おうとも、僕はそれを正義と呼びたかった。

 僕は今も昔も、円のような誰かを笑顔にさせられるヒーローに憧れていたから。


(だったら)


 だったら、今も怯えて動けないでいる僕は何だ。こんなところでびびって縮こまっているのが、僕の目指したヒーローなのか。

 ここで加勢してもなんの戦力にもならず、円と一緒にやられて、最悪殺されるかもしれない。それでも今行動を起こせなければ、僕の憧れたヒーローには永遠に近付けない。それどころか一生消えない後悔を抱えて生きていくことになる。

 ならば、答えは既に決まっている。


「行か……なきゃ……!」


 湿った掛け布団を無造作に掴んで投げ飛ばし、ベッドから勢いよく立ち上がった僕はそのまま全速力で走り出した。




 円に出遅れること約10分、学校を飛び出した僕は持ちうる体力の一切を惜しまず街中を北に全力疾走中。僕には彼女のようなイレイズの気配を察知する能力は持ち合わせていないが、彼女の居場所なら僕のプロメテが教えてくれる。近くにビショップがいるならプロメテに紋が浮かび上がりその存在を知らせてくれると前に石上から教わった。

 だが問題は円が魔鍾結界を開いたタイミングで僕が彼女から離れすぎてしまっている場合だ。結界の範囲は僕の体感でせいぜい半径1km。円が結界を開く時には少なくとも僕もその範囲にいなければ空間から弾かれてしまい、加勢すらできずに終わる。


「間に合え……っ! 間に……合えよ……!!」


 体力の配分を無視して走り続けているので、当然すぐに息が上がる。しかし幸いなことに、円との日々の修行のお陰か足は止まることなく僕を前に進ませてくれた。道ゆく人たちに怪訝な顔をされながらも、なお僕は走る。

 夕陽は段々と傾き、辺りが少しずつ暗くなる。しかしそれでも円の反応は遠ざかり、僕はそれを全速力で追いかけた。

 その時だった。


「うわっ!」


 向こうの歩道から迫る自転車に危うくぶつかりそうになり、僕は半身を逸らしてギリギリのところで回避した。チリンチリンとベルを鳴らし、乗っていた男性が睨みつける。


「おい! どこ見て走っ」

「す、すみませ……ん?」


 しかし、その怒号は半端なところで途切れて周囲の音と共に消えた。僕の目の前では、誰も乗っていない自転車がありえない角度で立ったまま静止している。周囲を見渡せば自転車の男性はおろか人っ子ひとりおらず、道のど真ん中で静止している車の中にも、明かりのついたコンビニの中にも人の姿はない。

 円が開いた魔鍾結界に間一髪で間に合ったのだ。プロメテの画面に目をやると、円らしき魔力の反応もその場で動きを止めていた。場所は学校裏山の森の奥。

 イレイズは人目のつくところで殺しはできない、と芥先生は言った。だが、こんな夕暮れ時の森の奥など普段からそもそも人が寄り付かないため、結界の内だろうと外だろうと敵からしたら関係ない。それはつまり、昼間と違い敗北はそのまま僕たち死を意味するということだ。

 一瞬だけ足が止まり、僕は汗ばむ拳をぐっと握りしめた。周囲の音が消えた中で、自分の心臓の音だけが鼓膜を刺激する。


(この先に、いるんだ……円と、あいつが……)


 恐怖は払拭できたかと聞かれたら、そんなことは全然ない。石上に大怪我を負わせて僕を踏みつけにした25号の下品な笑い声が、今もなお記憶に刻みつけられている。だがそれでも、僕は行くと決めたのだ。

 本当に戦いたい理由が、生まれたのだから。


(円……っ!)


 ガードレールを飛び越えて、暗い木々の中を進んでいく。朽ちた木や太い根の茂る凸凹の地面に足をつまずき転倒するも、すぐに起き上がってまた走る。制服のズボンが泥にまみれるが、お構いなしだ。


「いた!」


 森の中をさらに数分は走っただろう、その先には強引に太い木々が薙ぎ倒されて開けた空間があった。

 その空間の中心で大小二つの影がもみ合い、激しく交差していた。小さい方の影は手の先端からレーザー光線の剣を出現させて敵の猛攻を凌いでいる。


「円ぁっ!」


 僕はその影に向かって力一杯叫んだ。レーザーの光に照らされて一瞬見えた彼女は額の上から血を流しており、制服もスカートもボロボロに破れていた。対しもう一方の影は両肩が巨大な鉄球のように膨張し、甲羅にも似た硬い皮膚で全身を覆う怪物。恐らく25号が人間の擬態を解いて本来の姿を晒したのだろう。

 25号は円の剣戟をものともせずに手に持った鋭い鉤爪のような針を、目にも止まらない速度で投げつけている。誰がどう見ても、劣勢に立たされているのは円だ。


「いっちゃん!? 来ないで! 逃げてっ!!」

「嫌だ!!」


 全速力で近づく僕に気付いた円が悲痛な叫び声をあげて静止するが、即答で突っぱねる。そのまま僕は走りながら手に持ったプロメテを左手首にかざして体内に吸い込ませた。


魔力注入インゼクション!!」


 間髪入れずに叫び、怪物と化した25号に僕は掴みかかった。今まさに円に殴りかかろうとしているその大岩のように固い腕にしがみつくも、力任せに振り解かれ僕は地面に転がる。


「昼間の餓鬼か。お前は後でじっくり遊んでやるから、そこで黙って見てな!」


 まるで僕のことなど眼中にもないような口ぶりで悪態をつく25号。いくらプロメテの魔力で肉体を強化されても、今の僕の力ではまるで相手にならない。

 だが、それでも僕はすぐに起き上がり背後から25号の胴体にしがみつく。側から見ればなんとも不恰好でみっともない戦いぶりだ。


「う……うあああぁぁぁーーーー!!」

「チッ……」


 両足を踏ん張り、全身に力を込めて叫ぶ。僕の必死の抵抗を鬱陶しいと感じたのか25号が舌打ちした。

 直後、両肩に潰されるような激痛が走る。


「ぅぐうっ……!」

「邪魔すんなよ。ザコの分際でなぁッ!」

 

 目標を僕に変えた25号が巨人の両腕で僕の肩をがっちり掴み、ぎりぎりと力を込めていた。猛獣の雄叫びのようは低く唸るような怒号はもはや金子どころか人の声とも思えなかった。

 そこから放たれる恐怖を振り払い、僕も潰されまいと25号の二の腕を掴む。


「いっちゃん!」


 円が悲鳴にも似た大声で僕の名前を呼ぶ。


「嫌なんだ……!」


 もはや人の顔を成してしない、殺意に満ちた25号の容貌を負けじと睨めあげて僕は言葉を絞り出した。鋭い棘に覆われた両手に掴まれ全身にズキズキと痛みが走るが、気合でねじ伏せる。


「戦って、傷付いて……それで円が笑わなくなるなんて……そんなの、そんなの嫌なんだッ!」


 かっこいいセリフなんていらない。まとまりがなくても、子供っぽくてもいい。頭の中で整理しきれていない感情を僕はそのまま吐き出していく。


「だからっ! こんな、こんな奴らなんかに……っ! 円の笑顔を奪わせたくない!」


 僕は太陽のように眩しい円のあの笑顔が大好きだった。あの笑顔に出会えたからこそ未来に希望が持てるようになれて、いつかその笑顔を彼女に返せるような強い人間になりたいと僕は思っていた。

 今、円は苦しみ傷付いてあの時の笑顔を喪っている。もし悲しい出来事や強大な敵が円の心を曇らせているのなら……


「だから……待ってて」


 血液が煮えたぎるように全身が熱くなる。初めて魔力が巡った時のような透き通る感覚とは程遠い、純粋な熱だ。何かが僕の中から溢れ出ようとしていた。


「こいつらみんな、ブッ倒して!」


 25号を掴む両腕に力がどんどん込められていき、視界が僕の熱から発生した陽炎で揺らぎ始めた。


「僕が! 円の笑顔を取り戻す!」

「ぐぉあっ!?」


 その瞬間、周囲が爆発のような一瞬の閃光に包まれて堪らず25号が両手を離した。

 その強い光と熱は、僕自身から放たれていた。全身に纏わりつく炎の感触から、今僕の体に何が起こっているのか理解する。


(炎の……蛇だ!)


 あの時25号に引きちぎられて消滅したはずの炎の蛇が、僕の全身に巻きつき一体と化していた。蛇はまるで鎧のように僕の身体を覆い、内から力を溢れさせる。


「いっちゃん……」


 閃光が晴れて、円が僕に戸惑いの眼差しを向ける。


「はあ…………はぁ…………」


 全身がどろどろに溶けてしまうほど暑い。これほどの熱は今まで経験したことがなく、意識が軽く朦朧とする。

 僕の身体は、黒く色を変えた炎の蛇に包み込まれていた。

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