そう思ったら勇気が湧いてきて

「……なんで、お前たちが……?」


 扉から入ってくる二人を見て、鷲尾さんが言う。


「僕が呼んだんです」


 鷲尾さんはこちらを振り向き、怪訝そうな表情を見せる。

 どうして連絡を取れたのか、疑問に思っているのだろう。


「下書きフォルダです。そこにあったんですよ」


 僕はもう一度、響子の携帯を突き出す。


「鷲尾さんの不正を告発する未送信のメールが」


 眉をひそめる鷲尾さんを気にせず、僕は続ける。


「きっと、響子はずっと迷ってたんでしょうね。自首した方が罪は軽いですから。だから……僕が代わりにそのメールを送りました」


 鷲尾さんが僕をにらむ。

 その表情からようやく余裕の笑みが消えた。


「宛先が会社の誰だったのかはわかりません。ですが、すぐに響子の携帯に電話がかかってきました。簡単に事情を説明して、ここに人を寄越すようお願いしておいたんです。そして、ずっと扉の外で待機してもらっていました」


 扉の前で立ち尽くしている二人に会釈をする。

 まだ困惑している様子だ。


「……ずいぶんと手が込んでいますね。水無瀬さんらしくもない」


 ずっと黙って聞いていた鷲尾さんが口を開き、そんなことを言った。

 もはや弁明の余地は無いはずなのに、妙に落ち着いている。


「相手の意図を呼んで逃げ道を塞いでおく。ただ王手をかけるだけなら逃げられるだけ」


 数週間前の会話をなぞるように言葉にする。

 そう、これは。


「あなたから教わったことです」


 鷲尾さんが目を閉じ、小さくうなずいた。

 その表情は少し笑っているようにも見えた。


「……では、あなた達三人が牧野と共謀していた。そういう筋書きに直すことにしましょう」


「は? 何言ってんすか!?」


「え? う、嘘ですよね、鷲尾さん」


 慌てる二人に向けて、鷲尾さんが言い放つ。


「私の方が上の人間に信用されていますからね。計画には何の支障もありません」


 もしかして、この期に及んでまだ認めるつもりがないのか。


「実際に証拠を握っているのは牧野だけです。ですが、本人には記憶が無い。そしてストレスの原因となった私がいる限り、記憶が戻ることはない。証拠の偽造は既に出来ている。さて……“詰んで”いるのはどちらでしょう」


 言い返す言葉が思い浮かばない。

 ここまでしても、まだ届かないのか。

 

 身体にまとわりつく無力感を追い払うように、頭を回転させる。


「投了するなら、早いうちがいいですよ。中途半端にあがけば、傷が深まるだけです」


 追い打ちをかけるように鷲尾さんが余裕の笑みを見せる。


 もうこれ以上、どうしようもないのだろうか。

 このままだと無関係の二人まで巻き込んでしまう。

 それならば、まだ鷲尾さんの最初の提案に乗った方がマシなのではないか……。

 

 そんなことを考えていたとき。


「――なら、私が告発します」


 凛とした声が、響いた。

 ずっと聞いていたのに、初めて聞く。そんな声だった。


 振り向くと、開いた扉の先に響子がいた。

 後ろには源先生が立っている。


「錦くん。十年ぶり、かな。あんまり久しぶりって気はしないんだけどね。まさかこんな形で会えるなんて、思わなかった」


 力強さを秘めたその声は、今までの響子のものじゃない。


「あと、この前はごめんね。鷲尾さんに、しばらく錦くんと会わなければ別れてくれるって言われて……。心を整理する時間が欲しいっていう鷲尾さんの言葉を、何も知らない高校生の私は信じてしまって……。本当にごめん」


 今はもう、そんなことはかまわない。

 やっと……やっと、記憶が戻ったのか。

 しかも、ちゃんと記憶を失っていたときのことも覚えている。


「すみません、水無瀬さん。しばらく牧野さんをこの部屋から離しておくつもりでしたが、事情が変わりましたので連れてきました。ちょうどいいタイミングだったようで」


「そんな都合よく記憶が戻るわけがないでしょう! ブラフが見え見えですよ!」


 源先生の言葉を遮るように、鷲尾さんが叫ぶ。

 たしかに、このタイミングで記憶が戻るのは、都合が良すぎる。

 けれど、響子の雰囲気は明らかにいままでと違う。ただのハッタリとも思えない。


 響子が一歩踏み出す。


「なら、鷲尾さんの行った不正の内容を詳細にお伝えすれば信じてもらえますか?」


 響子は早口で、でもはっきりと何かを言い放った。

 僕には理解できなかったが、鷲尾さんには十分だったらしい。顔色がどんどん悪くなる。


「鷲尾さん。彼女はあなたが思っているよりもずっと強い。時間はかかりましたが、ストレッサーと向き合う覚悟ができたのだと思います」


 源先生が鷲尾さんに向けてそう言ったあと、僕の肩をぽんと叩いた。


「すべて、水無瀬さんの惜しみない協力のおかげです」


 もう一度、響子の顔を見る。

 よく知っていて、でも、やっぱり知らない響子の顔だ。

 本当に、記憶が戻ったのか。良かった……。


「今日ね、錦くんが私のために戦ってくれてるって聞いてね。それなのに、私がこのままでいいはずがない、私も一緒に戦いたい。そう思ったら勇気が湧いてきてね、頭の中がパアッて晴れて……」


 響子が僕を見て微笑む。

 そして、鷲尾さんに向き合って、言った。


「鷲尾さん。私の昔の仕事をばらしても。私の恥ずかしい写真をばらまいても。もう好きにすればいい! そんな脅しにはもう負けない!」


 僕も響子の隣に立ち、黙ったままの鷲尾さんに対して言う。


「……鷲尾さん。これが“必至ひっし”ですね。どう動こうが次の一手で詰む」


 そう、これも鷲尾さんから教わったこと。


「自分で負けを認めましょう。……鷲尾さんなら、わかってますよね」


 数秒間の沈黙。

 そして。


 ありません。


 そう言って、鷲尾さんは大きくうなだれた。

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