こうやって、ただ耐えるしかないのだろうか

 真っ暗な道を一人で歩いている。

 どこへ向かっているのかもわからない。

 知っている人はみんないなくなった。

 お父さんも、お母さんも、錦くんも。


 どこからともなく、たくさんの男性の声が聞こえてくる。

 そのリズミカルな掛け声は、何かを呼び寄せているような気がした。

 不吉だ。

 そう思った瞬間、背中に冷たい水が流し込まれたみたいに、寒気が身体を通り抜けていく。

 たまらず耳を塞いでうずくまる。


 どれくらいの時間が経っただろうか。

 たった数秒かもしれないし、数分かもしれない。

 耳に押し付けた手を恐る恐る緩める。

 音はもう聞こえない。

 でも、進むべき道も一緒に消えた。

 どこにも行けないし、戻れない。

 小さな部屋に閉じ込められてしまった。

 助けを呼ぶ自分の声さえも聞こえない。


 ――残念だけど、こうなったらリセットするしかない。


 誰かのアドバイスが聞こえた気がした。

 でも……リセットボタンなんてどこにも見当たらない。

 どうすればやり直せるんだろう。

 それに、どこからやり直すことになるんだろう。

 私は、どこで、セーブをしたんだろう。

 部屋がどんどん狭くなっていく。

 壁や天井が迫り、身体が押さえつけられる。

 苦しい。呼吸が、できない。


「――っあぁ」


 身体全体がビクッと震え、目を開く。

 心臓がバクバクと高鳴り、呼吸も荒い。手が驚くほど冷たくなっている。


 薄暗い部屋だ。

 でも、今度はちゃんと見覚えがある。


「あーもう……変な夢」


 いつもと違い、夢の内容だけじゃなく、嫌な気分も、息苦しさも、不吉な感覚も、しっかりと肌に残っている。楽しい夢は忘れるのに、なんでこういう夢だけは覚えてるんだろう。


 枕元の時計を手探りで見つけ、ぼんやりと光る文字盤に目を凝らす。

 ――夜中の2時過ぎ。

 なんだか嫌な時間に目が覚めてしまった。


 もう一度目を閉じてみるものの、眠れないことは確信できた。完全に目が冴えてしまった。

 仕方ないので起き上がってベッドに腰をかける。

 机の上のスーパーファミコンに手を伸ばすも、すぐに手が止まる。

 そういえば“ダークリッチ”戦の直前で止めていたんだ。いまあの音楽を聴くなんて、絶対に嫌だ。


 もう一度ベッドに潜り込もうとしたとき、耳が奇妙な音を拾った。

 何かが動いているような。


 電気をつけたいけれど、一斉消灯をしているせいでこの部屋からじゃけられない。


 静かに耳を澄ます。

 だんだん音が大きくなっている気がする。

 カタカタ、カタカタと、何かが響いている。

 近いようで、遠い。でも、この部屋のなかから聞こえているのは間違いない。


 橙色の薄暗い電灯は部屋の隅までは届かない。

 音の原因を探そうにも、これじゃ難しい。

 なにより、怖い。


 音が少しずつ大きくなる。気のせいなんかじゃない。どこかで何かがぶつかるような音がする。

 うそ、やだ、怖い。


 たまらずに部屋の扉を開ける。

 でも、廊下は部屋よりも薄暗い。

 中庭も真っ暗で、黒いカーテンがかかっているよう。

 部屋の外にも出られない。

 まるで夢と同じだ。


 ――私は、どこにも行けないの?

 ――こうやって、ただ耐えるしかないの?


 扉にしがみつくようにうずくまる。

 

「やだ……やだよ……助けて……錦くん……水無瀬さん……」


「――響子ちゃん?」


 聞き覚えのある優しい声。でも、ありえないはずの声。耳が拾ったその声に反射するように顔を上げる。


「水無瀬……さん? え……うそ、どうして?」


 懐中電灯を持った水無瀬さんが、そこに立っていた。

 もしかして、これも夢?


「んっと、見回り中。実は……ちょっと前からこの病院で働いてて」


「ええ!? ほんとに!?」


「うん。試用期間……お試しの期間が終わって正式に決まってから、言おうと思ってたんだけどさ。それよりどうしたの? びっくりしたよ」


「あ……えっと、ちょっと怖い夢を見て……。あと、部屋から変な音が聞こえて」


「変な音?」


 水無瀬さんに部屋に入ってもらい、一緒に耳を澄ませる。

 でも、あの音はもう消えていた。

 ただ病院の外の鳥の鳴き声が、かすかに聞こえるだけだ。


「……ごめんなさい、寝ぼけてたのかも」


「いいよ、気にしないで。それより、もう寝た方がいいよ」


「……うん」


 安心したせいか、急に眠気が襲ってきた。

 でも、まだ、少し怖い。


「あの……ひとつお願いしていい、かな」


「ん?」


「手を……手を握ってもらっても……いい? 私が眠るまで……」


「……わかった」


 部屋が薄暗いせいで水無瀬さんの表情は見えなかった。

 子供っぽいと呆れているだろうか。

 それとも、いつもみたいに優しく笑ってくれているだろうか。


 布団から少し出した私の手を、水無瀬さんは軽く包み込んでくれた。

 水無瀬さんの手は、意外と小さかった。

 でも、とても温かかった。

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