ひたすらに、力を込めて聖剣を

 アラームの音で目を覚ましたとき、水無瀬さんの姿はなかった。

 何も変わらない、いつもの朝。

 もしかして、全部夢だった?。

 怖い夢を見たのも、夜中に変な音が聞こえたのも、水無瀬さんが手を握ってくれたことも。

 ほっとしているはずなのに、心のどこかでは残念に思っている自分がいる。

 あのとき感じた温かさを、名残惜しく感じている自分がいる。


 掌を開き、目を落とす。

 冷静に考えると、かなり恥ずかしいことを言ってしまった気がする。

 でも、夢だとしたら、どうして錦くんじゃなくて水無瀬さんが夢に出てきたんだろう。一番会いたいのは錦くんのはずなのに。    


「おはようございまーす。朝食を持ってきましたよー」


 ノックとともに扉がゆっくりと開く。

 この声は――。


「水無瀬さん!? え、あれ? やっぱり昨日のことは……」


「おはよう、響子ちゃん。あのあと、ちゃんと眠れた?」


 やっぱり夢じゃなかった。

 どうしよう。顔が見れない。


「あ、うん、大丈夫……」


「具合悪い? 先生呼んでこようか?」


「あ、全然! ちょっと寝不足っぽいだけだから!」


 うん、別に嘘じゃない。寝不足のとき特有の、身体が熱くてぽーっとする感じがするのは本当だから。


「ああ、変な音が聞こえたって言ってたよね。もうすぐ仕事終わるから、あとで原因を探してみよっか」


「あ、うん、ありがと……」


「じゃ、またあとで」


 部屋を出る水無瀬さんを目の端で見送る。


 白い制服を着た水無瀬さんは、いつもより頼もしく感じられた。

 そういえば眼鏡も新しくなってるし、髪もちゃんと整えてる。

 その新鮮さが、なんだかこそばゆくて、私はすぐに目をそらしてしまった。

 

・・・・ ・ ・・・・・・………─────────────………・・・・・・ ・ ・・・・


「あー、スマホか」


 朝食を食べ、宿題も一区切りついたころ、水無瀬さんが音の原因を探しに来てくれた。

 探し始めて数分も経たないうちに、何かをすぐに見つけたようだ。

 水無瀬さんが手に取ったのは、見たこともない薄くて黒い金属のようなものだった。


「なに、それ?」


「あ……えっと、携帯電話……の最新機種、かな」


「携帯電話って、持ち歩ける電話機だっけ? そんなに小さいんだ。初めて見た」


 電話なのにボタンもダイヤルも無い。不思議だ。


「これが震えたんだね。着信ありって書いてる。でも……ロックかかってるか。鷲尾さんの忘れ物かな」


 震える? 音が鳴る代わりに振動するってことかな。携帯電話っていうのは、そういうものなのか。

 

「きっと失くしたと思って、電話して探してたんだろうね」


 ええと、つまり、鷲尾さんの忘れ物のせいで、私は昨日あんなに怖い思いをしたと。

 もう、ほんと人騒がせな。

 水無瀬さんがいてくれたから助かったけど……。


 不意に昨晩のことを鮮明に思い出す。

 寝れないから手を握って、なんて。

 恥ずかしくて、また身体が熱くなる。


「あ、そういえば、いつから働いてるの? それに、どうしてここで?」


「実際に働き始めたのは、つい最近だよ。昨日も言ったけど、まだお試し期間中だから、正式に決まるまでは内緒にしておこうって思ったんだけどね」


 昨日バレちゃったね、と水無瀬さんが頬をかく。


「仕事を探してたとき、ちょうどこの病院が募集してるのを見つけてね。迷ったけど、源先生にも相談してみた。……もう後悔したくないから、そういうときは動くことに決めたんだ。使える武器は全部使おうって」


 そう言って、水無瀬さんが『聖剣2』を指さした。

 あ、そうだ、せっかく水無瀬さんがいるなら一緒に見ていてもらおう。


「あの、もうすぐクリアだと思うんだけど……見ててくれない、かな? あの音楽、ちょっと苦手で」


「あー、あれね。うん。もちろん」


 水無瀬さんが快諾してくれたので、さっそくソフトを起動する。

 再びダンジョンを奥へと進み、イベントシーンが終わると、“ダークリッチ”が現れる。でも、もう今は怖くない。

 ガンガン魔法を使い、アイテムも出し惜しみせずに戦う。

 すると、あっけなく戦闘は終了した。

 おっと、セレクトボタンは押さないよう、コントローラーから手を放して、と。


 イベントが進み、そのままラスボスとの戦いが始まる。

 バックで流れるBGMの、緊迫感と疾走感、重厚感と透明感に後押しされ、私はひたすら力を込めて聖剣を振る。

 数分が経ち、ついにその瞬間が訪れる。

 ラスボスがグレーに点滅し、小さな爆発のエフェクトが発生する。

 ついに、倒したんだ。

 ようやく、クリアしたんだ。


 そして、迎えるエンディング。

 勝ち取った平和と、仲間との別れ。


「まだ、さよならもいってないよ…」


 主人公ランディのセリフが、頭の中でこだまする。

 あれ?


 ――さよならも言ってない!

 

 私も同じことを、強く思ったことがある……。

 でも、いつ? 誰にさよならを言えなかったの? 

 そんなこと、あったっけ。


 なぜだか涙が溢れてくる。

 たしかに感動的なエンディングではあるけれど、こんなに涙が止まらないなんて、おかしい。どうしたんだろう。

 また水無瀬さんに恥ずかしいところを見せてしまった。

 袖で涙をぬぐい、恐る恐る後ろを振り返ると、水無瀬さんは座ったまま眠っていた。静かに寝息を立てている。

 ああ、そっか。夜の見回りをして、みんなの朝ご飯を運んで。夜からずっと働いてたから、寝てないんだ。


「……おつかれさま」


 なんとなく、ふわふわした髪を撫でてみる。

 前にも一度、水無瀬さんの頭を撫でたっけ。

 あのときは……そう、水無瀬さんが泣いていて。

 理由はよくわからなかったけれど、なんだか辛そうで。


 そういえば、あのときよりも少し痩せた?

 なんだか、だんだんと錦くんに似てきた気がする。

 

 ああ、そっか。ようやくわかった。きっと、そのせいなんだ。

 水無瀬さんを見ると、気持ちが落ち着かなくなるのは。

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