真の平和は、まだ遠く

 高校生までの記憶が戻った翌日、響子は『ドラクエ3』の続きをやりたいと言い出して、僕の代わりに無事にバラモスを倒した。


 『ドラクエ3』はスーパーファミコンで遊んだ最後のソフトだ。

 次はプレイステーションへ本体機種が代わる。

 響子の家で見つけたプレイステーションのソフトは『FF7』だけだった。つまり、これでゲームは打ち止めとなる。

 どこまで記憶が戻る助けになるのか分からないけれど、とにかくやらせてみるしかない。

 今日の仕事が終わったら、本体のセッティングをしよう。


 家から持ってきた響子のプレイステーションと『FF7』の重みを感じながら、仕事先の扉を開ける。

 同僚に挨拶をしていたら、源先生から少し来てほしいと院長室に呼ばれた。

 院長室に入り、源先生が立ったまま僕に向けて静かに言う。


「……お疲れ様です。牧野さんの件、順調のようでなによりです」


 響子の様子を聞きたかったのだろうか。それにしては雰囲気が重い。


「以前、記憶の時期がランダムに変わっていたときは、高校1年生より先になることはありませんでした。その頃に起きた父親の件がおそらく一つめのストレスの壁になっていたのでしょう」


 一つめの壁、と源先生が言った。

 つまり、まだ壁があるということ。それは響子が記憶をなくした原因につながるもの。


「ですが、いまは高校二年生にまで戻っています。……水無瀬さんの無償の努力の賜物です」


 そう言ってもらえるのは嬉しいが、それを言うためにだけにわざわざ呼び出したとは思えない。


「音楽と記憶の結びつきは強いとはいえ、おそらく同じように他の人がゲームの音楽を聞かせても、ここまで回復はしなかったでしょう。むしろ、ストレスを思い出して、悪化していたかもしれません。心から信頼できる存在が近くにいたからこそ、一つめの壁を乗り越えられたのだと思います」


 どうしたんだろう。ここまで褒められることなんて、めったにないのに。


「……すみません。話が長くなりました。水無瀬さんには本当に感謝しているということを、最初にお伝えしたかったのです……」


 つまり、ここからが本題ということか。

 なんだろう。あまり良い話ではない予感がする。


「……非常に申し上げづらいのですが……つい先ほど、牧野さんから、こう言われました」


 源先生の声が少し震えている。


 ――水無瀬さんに会いたくない、と。


 その言葉を理解するのに、どれだけかかっただろう。

 我に返るように質問をする。


「それは……どういうこと、ですか?」


「……わかりません。理由を尋ねても、水無瀬さんが悪いのではない、自分が悪いのだと繰り返すばかりで……。絶対に部屋に来させないでほしい、と嘆願されて……申し訳ありません」


「そんな……」


 もうすぐゴールに着くと安心した途端、先の見えない迷路に放り込まれたようなこの感覚。

 ああ、そうだ。この感覚を僕は知っている。


 バラモスを倒して、やっとエンディングだと思って王様と話していたとき。

 突然さらに巨大な敵が現れて、真の平和はまだ遠いことを知ったときの焦燥感。


 決定的に違うのは、僕はもう一緒に冒険ができない、ということ。


 右手に持ったままのプレイステーションが、まるで呪われた装備のように重く感じた。

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