ランダムに与えられた設定を、忠実に

「先生、これを響子の部屋で見つけました」


 急いで病院に戻り、響子の部屋から持ち出したファミコンを源先生に見せる。

 面会時間ギリギリになってしまったが、なんとか間に合った。


「……おお、懐かしいですね」


 先生が感心したようにファミコンをまじまじと見つめる。


「牧野さんはレトロゲームがお好きだったんでしょうか」


 そう。骨董品のようなゲーム機を大事に隠していたのに、最新のゲーム機は一つもなかった。響子の嗜好はレトロゲーム専門だったのかもしれない。


「ソフトは……ドラクエ4ですか。名作ですよね。私、トルネコが大好きで、スーファミの『不思議のダンジョン』は随分とやり込んだものです」


 源先生が感心したように言う。意外にも、先生もゲーマーだった。


「あと、こちらが着替えです」


 カバンごと響子の衣服を渡し、家の鍵も返却する。

 そして、今日ずっと引っかかっていたことを聞く。


「あの……自分で言うのもなんですが、どうして僕を信用したんですか?」


 響子の両親の話を聞いて、つい流れで部屋にまで行ってしまったが、冷静に考えてみればおかしな話だ。


「信用、というと?」


「いくら小学校時代の友人だとしても、僕が悪人っていう可能性もありますよね。家には通帳や印鑑なんかも置いてあるだろうし、ちょっと不用心なんじゃないかなって」


 たしかに僕は響子の幼馴染みで仲が良かった。だけど、それは十年前の話。

 十年なんて、人が変わるには十分すぎる時間だ。


「ああ、そのことですか」


 先生は安心したように微笑む。


「本当に悪人だったなら、わざわざ小学生の頃の友人の見舞いになんて、来てくれません。それに」


 先生が静かに続ける。


「伊達に精神科医をやってませんからね。もし見立てに間違いがあれば、そのときは私が責任を取るつもりでした」


 そう言って先生が僕の肩をぽんとたたく。

 いまいち納得ができないが、先生がそこまで言うのなら仕方ない。

 そもそも、僕がごねる話でもない。


「で、このファミコン、さっそく本人に見せたいところなのですが、残念ながら――」


 なにか問題が発生したのだろうか。

 心配する僕をよそに、先生は気の抜けた声で言う。


「もう寝ちゃったんです」


「え? もう? 早くないですか?」

 

 昔からよく寝るやつではあったが、まだ20時前だ。僕が来たときにも昼寝をしていたのに、さすがに早すぎるんじゃないか。


「今日は小学6年生でしたからね……。中学生の牧野さんはもう少し夜更かしをするのですが」


 先生の言っていることを理解できない。

 意味が分からず首をかしげる僕に、先生は静かに言う。


「本人が認識している時期が、毎日変わるんです」


「……変わる?」


「自分のことを小学5年生だと言うときもあれば、中学2年生と言うときもある。不思議なことに、いまが八月という認識は共通なのですが、それ以外に規則性は見出せません」


 先生の言葉の意味を理解するのに、時間がかかってしまう。


「正直に申し上げて、あまり良い傾向とは言えません」


 響子の呑気のんきな顔で実感が持てなかったが、思っていた以上に不安定な状態だった。


「少なくとも現状でわかっているのは、小学生から高校1年生までの範囲でランダムに変わっているということだけです。本人には、いまは夏休みで、難しい病気の治療中、ということで説明をしています。ここが病院で、私が医師、ということは覚えてくれているみたいですが、それ以外のことは曖昧にしか覚えられません」


 混沌とした終わらない夏休み。ランダムに与えられた設定を、なにもわからないまま忠実に守る響子。

 そんなイメージが脳裏に浮かぶ。


「ストレスによる健忘の場合、そのストレスのかかった期間の記憶が抜け落ちるケースが多いです。もしかすると、高校1年生からいままで、継続的にストレス下にいたのかもしれません」


 響子が高校1年生……僕が中学3年生のとき。

 彼女が、僕の前から姿を消したとき。


 呆然とする僕の肩を先生が強くたたく。

 そして、正面から見つめ、言った。


「さきほどの話の補足ですが、水無瀬さんを信用したのは私だけではありません」


 どういう意味だ?


も、最初に口にするのは、“錦くん”という名前でした。両親のことに触れるよりも先に」


 響子の声が、頭のなかで響く。

 小学生の頃から変わらない、あの声が。


「私が入院しているのに見舞いに来てくれないのか、と愚痴をこぼしていましたよ」


 まったく。本当に勝手な奴だ。

 突然いなくなったのに、今になって突然また現れて。

 かと思えば、あの頃と変わらずわがままばかり言う。


 こうなったら、意地でも記憶を戻してもらわなきゃいけない。

 でも響子のためじゃない。自分のためだ。

 どうして急にいなくなったのか、その理由を教えてもらう。

 そして、文句の一つでも言ってやらないと、割に合わない。


 そう強く思うことで、涙ぐみそうな自分をごまかしていた。

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