ドット絵が、空想を加速させていく

 翌日、さっそくファミコンと小型のブラウン管テレビを持って病院に向かう。

 テレビはついさっきリサイクルショップで購入した。

 なんとなくではあるが、できるだけ以前の僕の部屋に置いてあったものと似たものを選んだ。

 この分の代金も記憶が戻ったら請求してやる。大した金額ではなかったけれど。


 両手に荷物を抱え病室に入ると、すでに源先生もいた。


「今日は小学4年生でした……。水無瀬さんがいらっしゃることはもう話してあります」


 小さな声で先生が僕に耳打ちする。

 昨晩、念のために確認したところによると、ドラクエ4の発売は1990年2月だった。たしか、夏休みに遊んだ記憶があるので、実際にプレイしていたのは響子が小学4年生のとき。

 の年齢なら、ちょうど覚えているはずだ。運がいいというべきか。


「え、と。こんにちは、響子ちゃん」


 僕は年の離れた“錦くん”の従兄弟。

 響子を混乱させないよう、今はその設定を演じなくてはいけない。


「あ、錦くんの従兄弟の……?」


「そうそう。良かった。覚えてくれてて」


 先生が言っていた通り、記憶喪失中でも会った人のことは覚えてくれているようだ。

 ただ、昨日のメロンのお礼を言わないところを見ると、それ以外のことはやはり曖昧になってしまうのだろうか。


「響子ちゃん、これ、なんだかわかる?」


 テレビを机の上に置いたあと、おもむろに紙袋からファミコンを取り出し、ベッドの上に広げる。


「……え?」


 その瞬間、響子の瞳が輝くのがはっきりと見えた。


「ファミコン!? ドラクエ4! うそ!? なんで!?」


 想像以上に大きな反応に驚いてしまう。


「えっとね、入院中は暇でしょ。だから差し入れ」


「ほんとに!? いいの!? ……あ、でも」


 何かを思い出したかのように、響子の顔が曇っていく。


「……お母さんに怒られる、かも」


 ああ、そうか。昔からゲームをするときはこっそり遊んでたもんな。


「それなら大丈夫。おばさんにはちゃんと許可もらってるから」


「ほんと!? やったー!!」


 ここまで喜んでもらえると、重いブラウン管テレビを運んできた甲斐があったというものだ。


「あ、あの……そういえば、まだ名前を聞いてなくて」


 響子が僕の顔を伺いながら恥ずかしそうに言う。

 しまった。まったく考えてなかった。


「え、と。水無瀬で。水無瀬でいいよ。下の名前で呼ばれるの、慣れてなくて」


 上手い偽名をすぐに思いつけず、下手な嘘をつく。


「わかった! 水無瀬さん、ありがとう!」


 屈託のない笑顔を向けられ、つい視線をそらしてしまう。

 子供の頃はずっと見ていたはずなのに。


「ねえ、水無瀬さんもゲーム好きなの?」


「え、まあ、嫌いじゃないね。ファミコンはもうやってないけど」


「え? じゃあこのファミコンはどうしたの? あ、もしかして錦くんから借りてきてくれたの!?」


「あ、うん、そうそう。あいつから借りてきた。響子ちゃんのためならって快く貸してくれたよ」


「……そっか。……錦くん」


 響子が目を伏せ、感慨深くこぼす。


 なんだか、胸の中に嫌な感情が渦巻いているのを感じる。

 もしかして、嫉妬しているのか? 自分で自分に? ばかばかしい。


 もやもやしたものを抱えながら、モニターとファミコンをケーブルで繋ぐ。


「ほら、準備できたよ。どうぞ」


 カセットを渡し、響子に促す。

 響子はふーっと基盤の部分に息を吹きかけ、慎重に本体に挿していく。

 その仕草が小学生の頃の姿と完全に重なる。間違いなく、あの頃の響子だ。


 ファミコンのスイッチを入れ、起動すると、黒い背景に白い文字でアルファベットが浮かぶ。製作者の名前に続けて“DRAGON QUEST”と表示され、そのあと大きく「Ⅳ」の文字がキラキラと光る。

 勇ましいオープニング曲を聞きながら、響子が小さく感嘆の声を上げる。


 あ、まずい!

 響子がコントローラーを手に取るのを横目に見ながら、自分がミスを犯したことに気づく。


 ドラゴンクエストは主人公の名前を自由に決められる。

 “錦”から借りたソフトなら、主人公の名前は“にしき”でなければいけない。でも、このソフトは響子自身のものだ。辻褄が合わなってしまう。前もって中身を確認してから渡すべきだった。


 必至で言い訳を考えている僕をよそに、響子は鼻唄を歌いながらゲームを始める。

 だが、画面に映された文字を見て、僕はさらに混乱してしまった。


[ぼうけんのしょ 1:にしき]

[ぼうけんのしょ 2:にしき]

[ぼうけんのしょ 3:にしき]


 どういうことだ? 

 これは間違いなく響子のカセットだ。響子が記憶を失う前、つまり僕と連絡を絶っていたとき自分で買ったもの。

 なのに、勇者の名前には、僕の名前を付けている――。


「じゃあ、さっそく」


 頭に疑問が渦巻いている僕を気にすることなく、響子は迷わず2番のセーブデータにカーソルを合わせる。

 そういえば昔から、1番が僕のセーブ、2番が響子のセーブと決めて遊んでいたっけか。


 画面には大きく[第5章 導かれし者たち]と浮かび上がる。

 ちょうど5章が始まるタイミングでセーブしていたらしい。


 小さな村で暮らす勇者“にしき”が、母親から預かった弁当を父親に届けにいく。

 途中で会った幼馴染のシンシアが言う。

「わたしたち おおきくなっても このままで いられたら いいのにね」

 突然、平和な村がモンスターの群れに襲われる。

 そして、シンシアは主人公の身代わりとなり――。


 最終章である5章の始まりは、こんな壮絶な出来事から始まる。

 響子は真剣に、そして目を潤ませながらコントローラーを握りしめている。

 僕にはもう、ただの古いドット絵にしか見えない。

 でも、彼女の眼には剣と魔法の世界が広がっている。ドット絵だからこそ、空想が加速されていく。


 そして、誰もいない村に、哀しい音楽が流れる。

 村を出て一人で旅をする勇者。

 フィールドに流れる音楽も、どこか切なく響く。


「ねえ……水無瀬さん」


 不意に響子が僕に呼び掛ける。


「導かれしって、どういう意味?」


 ああ、そうだ。昔から響子はこうだった。

 知らないことや気になることがあれば、年下だった僕に対しても恥ずかしがることなく、何でも聞いてくるやつだった。


「えっと……そうだな。運命、っていうイメージかな」


 ドラクエ4のストーリーも踏まえながら、答える。


「運命?」


「そう。なにか不思議な縁で、大切な人と巡り合う。そんな感じの言葉」


「そっか……。よくわかんないけど、なんだかいい言葉だね」


 昔、響子が同じ質問を僕に投げかけてきたことを思い出した。

 あのときの僕がなんて答えたのかはもう忘れてしまったけれど、今日みたいに暑い日だったことだけは覚えている。

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