大切なセーブデータが消えたよう

 響子の家族は近所に住んでいて、物心がついたときから彼女はすぐそばにいた。

 彼女の両親は共働きで、小学生の頃は学校帰りに僕の部屋に遊びに来るのが習慣になっていた。

 響子は僕より二歳くらい年上で(僕が早生まれなので学年は一つしか違わないが)、どちらかというと勉強は僕の方が得意だったから、一緒に宿題をしたりもした。むしろ僕が勉強を教えることもあった。

 響子の母親は教育に厳しく、ゲームや漫画は自宅では一切禁止されていたらしい。僕の家でこっそりと遊ぶテレビゲームが本当に楽しみだったらしく、そのために宿題を張り切って終わらせていた。

 僕も響子も特にRPGロールプレイングゲームが好きで、名前を自由に付けられるキャラクターには、いつも自分たちの名前をつけて遊んでいた。


「ねえ、錦くん。“ゆうしゃ”ってなあに?」

「んー、勇気がある人のことじゃね」

「へえ。じゃあ、錦くんは“ゆうしゃ”だねえ」

「へへ、そう? じゃあ、主人公の名前は、“にしき”にしよっと」

「あーいいな~! わたしの名前もつけてよ!」

「んー。じゃあ僧侶にでもするか。響子ちゃんは戦士とか武闘家って感じじゃないもんな」

「やった! えへへ。これで、ずっと一緒に冒険できるね」


 いつからか僕は、ずっと見ていたいと思うようになっていた。

 心から楽しそうに遊ぶ、あの笑顔を。


 中学生になってからも、その習慣は続いた。

 遊ぶゲームは、ファミコンからスーパーファミコン、プレイステーションへと進化していったが、僕たちのやることは変わらなかった。一人用のRPGを交代で遊びながら、一緒に物語を進めていく。響子が遊びにきたときにだけしかゲームを進められないけれど、そのことに不満はなかった。


 そんなある日、親がプレイステーションを買ってくれることになった、と響子が言った。

 よくあの母親が許してくれたものだと不思議に思ったが、響子の父親が母親を説得してくれたらしい。

 一緒に進めていた『ファイナルファンタジーⅦ』のセーブデータをコピーするために、僕のメモリーカードを渡した。


 そして、次の日、響子の家族はいなくなった。


 親に聞いても、近所の人たちに聞いても、何も知らないと言う。

 誰も、響子の家族のことを全く口にしなくなった。

 子供には理解できない、何か特別な事情があったであろうことは、当時の自分にもわかった。


 だけど、いつかは何かしらの連絡が来るだろう。

 落ち着いたら、手紙か電話を寄越してくれるだろう。

 そう思っていた。

 

 帰宅する度、真っ先にポストを確認する習慣は、大学生になって上京するまで、ずっと続いた。

 大学に受かって一人暮らしを始めたとき、自分のアパートのポストを開けてようやく気付いた。

 ここに響子からの連絡がくることはない。


 その瞬間、自分が何を考えているのか、何をしたいのか、わからなくなった。

 寂しいのか、辛いのか、それとも怒っているのか。そもそも自分がこれまでどうやって生きてきたのかすら、わからなくなっていた。

 あのおどろおどろしい音楽が流れて、大切なセーブデータが消えてしまったみたいに。


 8bitの音楽とグラフィック。そして、響子の笑い声。

 それらが夢に出てくる度に、僕の胸はどうしようもない喪失感で占拠されて、何もする気が起きなかった。

 最近、ようやくそんな夢も見なくなってきていたのに。


 いま、僕は彼女の名前ネームプレートが掛けられた病室の目の前に立ち尽くしている。

 頭の中で響く、あのピコピコ音に後押しされるように、僕は静かに二回、ノックをした。

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