積み重なるデバフを、いまさら解けるのか

 違う。駄目だ。舞い上がるな。

 響子が好きなのは、小学生の錦くんであって、決して水無瀬さんじゃない。


「へえ、そうなんだ。いつから?」


 馬鹿! 違うだろ! 何を聞いてるんだ、僕は!


「……初めて会った日、から」


「え? それって、いつ?」


 駄目だとわかっているのに、好奇心を抑えられない。

 つい聞いてしまった。


「ん、とね。私が2年生のとき。お母さんと一緒に、錦くんのおうちに遊びに行って。そのとき初めて会ったの」


 響子が小学2年生ということは、僕は1年生。

 まったく記憶にない。

 気が付いたときには近所にいたイメージしかない。


「錦くん、ずーっとゲームしてて。私、お母さんから、ゲームやるとバカになるって言われてて。だから、私も錦くんにそう言ったの」


 僕はうなずき、黙って話の続きを待つ。


「そしたらね。錦くん、知らないものをバカにする方がよっぽどバカだって言って。たしかにその通りだなって思って、私もやらせてもらったの」


 響子が懐かしそうに言う。

 今の響子にとっては3年前の話だとしても、やっぱり懐かしいと感じているのだろうか。


「でね、それがすっごく面白くって。なんていうか、世界が広がったっていうかね。それから、本も映画も楽しく感じるようになって」


 ああ、その感覚はわかる気がする。

 物語を受け止める方法とでもいうのか、そういう楽しみ方を僕もゲームから教わった。


「でも、そのあと私がゲームしてたこと、お母さんにバレて怒られてね……。錦くん、自分が無理やりやらせたんだって言って、かばってくれて。錦くん、勉強もすごくできるでしょ。だから、お母さんもそれ以上はなにも言わなくて」


 昔の僕は、そんな立派な奴だったのか。今の僕とは大違いだ。


「だから、私にとって錦くんは“勇者”なの」


 響子が恥ずかしそうに、そして嬉しそうに言う。

 だが、目には涙が溜まっている。どうしてだ?


「でも……錦くん、全然お見舞いに来てくれない……。私、嫌われちゃったのかな」


 ああ、そうか。仲が良かったはずのが急に目の前からいなくなって。どうしてなのか不安で仕方なくて。

 いまの響子はまるで、あのときの僕だ。急に響子が目の前からいなくなった、あのときの。

 泣きそうな響子に対して、いまの水無瀬ができることはなんだ。


「錦はさ……あいつは……本当に会いたがってたよ。ずっと」


「ほんとに!?」


 響子が勢いよく顔を上げる。

 涙の粒が、放物線を描いた。


「錦にも、どうしようもない事情があるんだと思う。それに、きっと……両想いだよ。僕が保障する」


「もし……、もし、ほんとにそうだとしたら……めちゃくちゃ嬉しい……」


 響子がまた泣きそうな顔になっている。


 あの頃に、ちゃんと告白をしていれば、なにか変わっていたのだろうか。

 それとも、結果は同じで僕の前から消えていたのだろうか。


 そんな仮の話をしても意味が無い。はっきりしているのは、いまさらどうしようもないということ。

 なんらかの理由があって響子の家族はどこかへ行った。そこまではいい。

 それでも、源先生が僕にコンタクトできたように、響子だってその気になれば僕に連絡をすることはできたはず。なのに、大人になってからもずっと距離を置いていた。

 僕がなにか致命的なことをして、嫌われてしまった? 

 それとも、別に好きな人ができた?

 なんにせよ、考えれば考えるだけ辛くなる。希望に満ちた過去を目の前に見せられているのだから、なおさら。


「ねえ、水無瀬さん」


 響子が目を輝かせて言う。

 錦と両想いだと聞いて、急に元気になったようだ。


「私が答えたんだから、ちゃんと水無瀬さんも答えてよ」


「え? なにを?」


「なにを? じゃないよ! 水無瀬さんも好きな人、いるんでしょ?」


 ああ、完全に頭から抜けていた。

 ここまで響子の話を聞いた以上、さすがにこちらだけが秘密というわけにもいかないか。


「……うん。僕も……好きな人は、いたよ」


「おお! んん? どうして過去形なの?」


「たぶん……嫌われちゃったから」


「振られちゃったの?」


「いや、そういうわけでもなくて。……急に会ってくれなくなったんだよ」


「どうして?」


 どうして?

 それをお前が聞くか。


「ほんと、どうしてだよ……」


「え?」


「ごめん、なんでもない」


 今の響子に聞いたところで、仕方ないのに。

 その言葉が口から出ることを抑えられなかった自分が情けない。


「たださ……僕も両想いだと思ってたんだよ。自惚うぬぼれてるみたいで恥ずかしいけど」


「仲良かったの?」


「まあ、それなりに。ちょうどこんな感じで、一緒にゲームをよくしてた」


「わあ。素敵」


「だから……僕がなにかして嫌われたのかもしれないし、ただ心変わりをしたのかもしれない」


 響子が考え込んでいる。

 小学5年生いまの響子に言っても仕方のないことを話してしまった。


「そういうことだから。つまんない話で悪いね」


 そろそろ帰ろう。

 挨拶だけのはずが、つい長居をしてしまった。


 立ち上がろうとする僕に、響子が不意に投げかける。


「大人の恋愛って、そういうものなの?」


「え?」


「嫌われたら、あきらめるの? その人のこと、もう好きじゃなくなったの?」


 響子が僕の目をしっかりと見据えて言う。

 責めているわけではなく、純粋な疑問なんだろう。


「……わからない」


「わからないって悩むってことは、やっぱりまだ好きなんじゃないの?」


 簡単に言うなよ。何もわかってないくせに。


「仮に……好きだとしても、どうしようもない」


「どうして?」


 どうして? それは――。


「……今の僕を見たら、きっと幻滅するから」


 そう。

 嫌われたのかもとか、好きな人ができたのかもとか、全部建前だ。

 本当に怖いのは、今の自分を見られること。

 いい年してフリーターで貯金もせず、自堕落な生活をして太ってしまって。才能もなければ努力もしていない。そんな“水無瀬 錦”を見たら、どちらにしろ嫌われて、それでおしまい。結果は同じバッドエンド。

 それなら、最初から何もしないでいた方がいい。期待も、後悔も、しんどいだけ。


「それってさ、好きって言ってるのと同じだよねえ」


 響子が微笑みながら言う。


「好きな人にカッコ悪いところを見せたくないってことでしょ?」


「……どうだろう」


「きっとそうだよ! だったら、カッコよくなればいいんだよ!」


 響子が両手を叩く。


「いまさら……無理だよ」


 十年間の怠惰というデバフが積み重なっている。

 いまさら解けるとは思えない。


「ほら! パラディンになろうよ! セシルだって、試練の山で暗黒騎士からパラディンになったんだよ! きっかけさえあれば変われるよ!」


 簡単に言ってくれる。

 ゲームと現実は違う。


「もし本当に嫌いになったんだとしてもさ。カッコよくなった水無瀬さんを見たら、また好きになるかも!」


 なんの根拠もない話だ。

 それでも――ここまで響子自身が応援してくれるのなら。


「……ああもう、わかったよ。頑張ってみる」


 我ながら単純すぎて笑えてくる。

 でも、なんだろう。自分の中で悶々としていたものをちゃんと認めたせいか、妙に清々しい気分だ。


「おお! いいね! じゃあ今日からダイエットしなきゃね!」


 響子が僕のお腹を軽くつまみながら、楽しそうに言った。

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