行き先を、自分で決めなきゃいけなくて

「水無瀬さん! 聞いて聞いて! “ニシキ”がパパになったよ!」


 病室に入る僕の姿を見るなり、響子が嬉しそうに言った。

 なるほど、ビアンカとの間に双子が生まれたようだ。

 だが、いまそういうことを言われるのは、少し気まずい。


「あ」


 響子がようやく僕の後ろに立っている見知らぬ人物に気付く。


「えっと……この人は鷲尾さん。僕の友人で、お見舞いに来てくれたんだよ」


「こんにちは。鷲尾 隆一郎りゅういちろうです。響子さんはゲームが好きなんですね」


 鷲尾さんが微笑んで挨拶をする。

 響子の方は、緊張しているのか、小さく会釈をしただけで固まってしまった。


「そ、そうなんですよ。響子ちゃんはゲームが大好きで、最近ずっとゲームしてるんですよ」


 仕方ないので僕が間に入る。


「……違うもん。ちゃんと宿題もしてるし」


 聞こえるか聞こえないかくらいの声で響子が釈明する。

 そういえば、ゲームの合間に小学生の問題集をさせていると源先生が言っていた。


「それにしても最近のゲームはすごいですね。子供ができたりもするんですか」


 鷲尾さんからの問いかけに、またしても響子は小さく、うん、とうなずいただけで、黙ってしまった。

 こいつ、こんなに人見知りだったっけか。


「鷲尾さんはゲームやらないんです?」


 沈黙に耐えられず、僕から話題を振ってみた。


「恥ずかしながらテレビゲーム類は全くわかりませんね。将棋なら、それなりにやりますが」


「へえ。渋いですね」


 やはりエリートサラリーマンともなると、テレビゲームなんてやらないのだろうか。


「……将棋、お父さんも好きって言ってた」


 か細い声ではあるが、やっと響子が鷲尾さんに話しかけた。

 共通の話題が見つかって助かった。


「響子さんのお父さんって、どんな人?」


 一瞬、こちらに目配せをして、鷲尾さんが聞く。

 もしかしたら父親の情報を聞けるかもしれない。聞き逃さないよう、響子の小さな声に耳を澄ます。


「ん……と、私がお母さんに怒られるとき、いつもかばってくれる、かな」


 子供のころに僕が抱いていたイメージと同じだ。


「お母さんとケンカしても、いつも……お父さんが謝ってる」


「優しいお父さんなんですね」


「まあ……そう、かも」


 その言葉を最後に、また響子は黙り込んでしまった。

 鷲尾さんが少し困った顔をして僕を見る。

 

「じゃあ、私はそろそろおいとまします。今度はおみやげ持ってきますね」


 鷲尾さんが立ち上がる。そして僕の耳元で、私がいると緊張させてしまうようなので、と小さく呟き、部屋から出て行った。

 

 ドアが閉まったと同時に、響子が大きく伸びをする。


「あー、緊張したあ! 知らない人が来るなら先に言ってよ、もう」


 やっぱり緊張していたのか。


「そんな怖がらなくてもいいのに。優しそうな人だったでしょ」


「ん……なんか、苦手なタイプかも。何考えてるのか、わからなそうな感じとか」


 いやいや、お前の彼氏なんだが。


「あ、それより、子供の名前を考えないと!」


 思い出したように、響子がコントローラーを手に取る。

 テレビ画面を見ると、双子に名付けをする場面で止まっていた。


「男の子と女の子、なんだよね。どうしよっかな」


 そういえば、昔も同じように響子と一緒にかなり悩んだ覚えがある。

 主人公が自分の名前ということもあり、その子供の名前を考えるという行為が、妙に重々しく感じられた。

 当時は、しばらく悩んだ挙句、漫画のキャラの名前を流用したような気がする。


「――うん。ねえ、水無瀬さんの名前、借りていい?」


「え?」


「子供の名前、“ミナセ”と“キョウコ”にしようと思う」


「ええ? 僕は別にいいけど、いいの? それで」


「うん。なんかしっくりきた」


 響子はそう言って、迷うことなく名前を一文字ずつ入力していく。

 本当にそれでいいんだろうか。ビアンカにも「ちょっと かわってるけど ステキな 名前ね」なんて言われている。


「そういえばさ」


 突然コントローラーを置き、僕の目をのぞき込む。


「この前も思ったんだけど、なにか嫌なことあったの?」


「え……なんで?」


「なんとなく。今日は特に、なんかつらそう」


 響子は昔から変なところで鋭かった。

 いつものんきな顔をしているのに、妙に勘が良かったりする。

 たまに自分でも気づかないようなことを指摘されたこともあった。


「もしかして、前に言ってた好きな人のこと?」


「あー、まあ……そうだね」


 一瞬、誤魔化そうかとも思ったが、そういう気にはならなかった。


「……好きな人がさ、僕の知らないところで……すごくつらい目にあってて」


 響子が小さくうなずく。


「でも、僕はさ……ずっと自分のことしか考えてなくて。嫌われたのかも、とか、なんで連絡をくれなかったんだろう、とか」


 この十年間、僕はずっと自分のことばかり考えていた。

 自分が情けなくて、胸がつぶれそうになる。


「僕は……僕だけが。ずっと子供だった」


 勝手に失望して、自暴自棄になって。

 つらいのは響子の方だったのに。


「……本当に、ごめん」


 泣きそうになるのを堪えながら、両手で顔を覆う。


「そっか」


 響子が小さな声で呟く。


「詳しいことはわかんないけど……でも、水無瀬さんはちゃんと大人だと思うよ」


 そんなことはない。

 ただ歳を取っているだけ。


「ドラクエ5でもさ、子供のころは父親パパスに付いていくだけで、町から出られないし、仲間も自由に増やせないし」


 響子の声が、静かな病室に響く。


「でも、大きくなって奴隷から逃げ出して、修道院で目を覚ましたとき、どこに行くのも全部自分で決めなきゃいけなくて。怖いけど、自由で」


 あの修道院で流れる賛美歌のように荘厳な曲。その旋律が頭の奥で響く。


「水無瀬さんも、自分で自分のすることを決めて動いてるでしょ。なら、やっぱり水瀬さんはちゃんと大人だよ」


 その言葉を聞いて。

 僕の掌はどんどん濡れていく。


「よしよし」


 外のセミの鳴き声が聞こえるくらい、静かな病室で。

 響子の手が、僕の頭を優しく撫でる。

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