大切なゲーム仲間に、もう一度

「趣味……特技……なに書きゃいいんだか」


 まだ空白の方が多い履歴書をにらみながら独りごちる。

 テレビゲームしか趣味の無い人間にとっては最も頭を悩ませる欄だ。


「就活してたときはなんて書いてたっけな……。全然覚えてないや」


 記憶に残っていないのは、その場しのぎのことばかりしていたからだろう。

 みんなが就職活動をしているから、自分もする。その程度のことしか考えていなかったように思う。

 でも、今は違う。やりたい仕事があるわけではないけれど、だからといって何もしなくていい理由にはならない。響子の記憶が戻ったとき、胸を張って会えるような大人になりたい。


 意気込んでボールペンを握りしめていると、ポケットのなかの携帯が震えた。鷲尾さんからだ。


「はい、水無瀬です」


「お疲れ様です。すみません、こちらはまだしばらく仕事が終わりそうになくて」


「あ、大丈夫ですよ。僕も自分のことしてるんで」


「もし父親が来たら、すぐに連絡くださいね」


「はい、僕一人だとさすがに心許こころもとないので、お願いします。会社は近いんですよね」


「ええ。徒歩十分ほどの距離ですので、連絡があれば私もすぐに向かいます」


 そう、ここは響子の部屋だ。

 今日の昼に源先生から鍵を預かり、ここで響子の父親を待ち伏せしている。

 響子が勤めていた会社がこんなにアパートと近いのは意外だった。住んでいる場所の近くの会社を選んだのか、それとも会社の近くのアパートを借りたのか、どっちだろうか。響子が入社したときのことも、機会があれば鷲尾さんに聞いてみよう。


「一つ……お伺いしてもよろしいですか?」


 電話口に鷲尾さんがあらたまって聞く。


「どうして、水無瀬さんがここまでしてくれるのですか? 幼馴染とはいえ、十年以上会ってなかったんですよね」


「それは……」


 なんでだろう。意地? けじめ? 償い? 下心?

 どれも大げさなような気がするし、足りないような気もする。


「……響子から聞いてるかもしれませんが、僕が中学を卒業する直前……響子が高校一年のとき、急にいなくなったんです」


「ええ。詳しい事情はわかりませんが、家庭の事情で引っ越さなくてはいけなくなったとだけ聞きました」


 家庭の事情。そう、その理由を知りたかった。


「最初はその理由を知りたくて、響子の記憶を戻したいと思ってました。でも、今は……」


「ちがう、と?」


 鷲尾さんが僕の答えを待つ。


「そう、ですね。それよりも」


 そうだ。昔のことはもう過ぎたこと。

 それよりも、今は。


「響子に、久しぶりって挨拶をしたい。大切なゲーム仲間に、もう一度ちゃんと会いたい。そう思うから、です」


 きっと、これが僕の本心だ。

 彼氏からすれば、少し複雑な気分になるのかもしれない。

 でも、それくらいは許してもらえるだろう。


「……響子さんは良い友人を持ちましたね」


 鷲尾さんの言葉にむずがゆくなる。


「それに、恋敵ライバルとしても手強そうだ」


「ライ……、え? いや、そんな」


「あはは、大丈夫ですよ。まずは彼女の記憶が戻るよう、一緒に頑張りましょう。では、私は仕事に戻りますので」


 そう言って鷲尾さんは電話を切った。


 想定外の単語に頭がフリーズしてしまった。

 数秒経って、ようやく言葉の意味を理解し始める。

 

 鷲尾さんみたいな人が僕を“ライバル”だと認めてくれた?

 いやいや、僕は張り合うつもりなんて……ない、よな。

 そもそも、響子は鷲尾さんと付き合っているんだし。

 現状の響子が僕を好きだったとしても、それは十年前の話だし。


「まあ、なにはともあれ。まずは仕事かな……」


 エリートサラリーマンと無職すっぴんでは張り合うどころではない。

 とにかく履歴書の続きを書こう。


 その日は結局、父親は現れず、僕は終電で自宅に帰った。


 そんな日が二日続き、三日目の晩。

 履歴書や職務経歴書を書き終え、特にすることもないので部屋の掃除をしていたときのこと。


 不意にインターホンが鳴った。

 高鳴る心臓を抑え、ドアスコープからのぞき込む。

 帽子をかぶった中年の男性が玄関の前にいる。

 なんとなく面影がある。間違いない。響子の父親だ。


 父親が指を伸ばし、再度インターホンが鳴る。

 一呼吸を置いて、玄関を開く。


 何が起きたのかわからないような顔で、父親が僕を見る。


「お久しぶりです、おじさん。水無瀬です。水無瀬、錦です」

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