第7話 百との会話

 


  「だーれだ?」


  突如、この俺の可憐な肛門にイナズマが走った。

  キッチンで皿洗いをしていた最中の事だった。


  肛門を抑えて後ろを振り返ると、陸野百が片膝立ちのポーズを取っていた。

  両手をピストル型に構えてニコニコとそりゃあ楽しそうに笑っている百。


  あのう、俺中身はおっさんだけど外見的には中学生の女の子なんだけど? ーーそしてーー君も中学生の女の子だよね??

 

  しかも、外見上の俺より君の方が年上だよね? どういうオイタしてんの。


  「エヘヘ、びっくりした? 私だって分かった?」


  「……貴女だって分かる前に気絶しそうになったわよ!」


  まだ尻がヒリヒリする。


  「ウフフ、びっくりしたのね? 私そんなウブな貴女が大好き」


  ウブとかそういう問題じゃないだろう。


  陸野百の脳からは、俺が魔法少女に変身して『虫』から助けてやった記憶は消去されている筈だ。

  それでもこんなに俺に懐くのは(懐き表現が異常だが)、俺が彼女の家庭環境に同情している事、ピンチから救ってやった事を何となく気取っての事かもしれなかった。


  「ねえ、マミちゃんも『伯父さん』に似て絵が上手いの? 紗里子ちゃんばかりじゃなくて私もモデルにしてよ」


  『マミ』というのは説明するまでもなく少女になった俺の仮名だ。


  多少の貯金はあるとは言え、やはり働かなければいけないし腕が鈍ってしまうのも困る。

  夜に百が寝た後で、こっそり紗里子を仕事場に呼び作業をしていたのだが、まさか覗かれていたとは。


  「でも、女の子が女の子のヌードを描くのっておかしいわね。もしかして……」


  ドキン、と俺の小さな胸が鳴る。


  「『昂明護』なんて男性は本当は存在しなくて、あの展覧会の絵も全部マミちゃんが描いてたんじゃないの?」


  ドキンドキンした。勘が鋭い。良い線いってるぜ。

  面倒臭い事になりそうだったから、百にも『昂明護おれ』が『マミ』の伯父だという事にしておいたのだが。


  「……私が描いているとしたら、どうするって言うの」


  「別に、何もしないわ。ただ、紗里子ちゃんばかりが描いて貰ってるっていうのに妬いてるだけよ」


  百が目をキラキラさせて言う。


  「ね! お願い!! 私もモデルにしてちょうだい!!」


  「……今?」


  「もちろん、今すぐにでもいいわ!!」


  幸いというか、紗里子は時間帯上学校で授業を受けている筈であった。

  ちなみに、百は学校を長期で休む事にしたようだった。

  そして、同い年か彼女より下くらいに見える俺が『学校に行っていない』事も特に詮索はしてこなかった。


  仕方がないから、百を仕事場に案内してやる俺。


  「私もヌードでいいの?」


  と言いつつ、百は勝手に服を脱ぎ出して下着まで取りそうになった。


  「ストップ、ストーップ!! 下着は付けててちょうだい!! 何なら服も全部着てよ!!」


  『娘』である紗里子以外の女子中学生をヌードにする訳にもいかない。

  それでも脱ぎたがる百を押さえて、何とか下着だけでも着けてくれるよう説得した。


  下着姿の百が、いつも紗里子がそうしているようなポーズでベッドに身を委ねる。

  横では、ルナが「あ〜あ」という表情をして百を眺めていた。

  置いてやるのは数日だけのつもりだったのに、お前が「百を置いてやれ」ってダメ出ししたんだろうが、バカ猫。

  百はいつ「役に立つ」んだよ。


  俺はカンバスに向かって鉛筆を走らせた。

  百はポーズを取りながらやおら口を開き、『あの日』の事を語り始めた。


  「ーー貴女の個展に行く前の日の夜にね、何だか嫌な感じの夢を見たの。夢から覚めた後も、まるで誰かに身体を乗っとられているような感じで」


  「……で?」


  いきなり本題に入った百に驚きつつ、何気なく見えるよう鉛筆を走らせ続けた。


  「気付いたら、貴女の描いた絵が印刷してある看板を見て、フラフラっと場内に入ってた。なんか、入らなきゃいけないような気がして」


  百はゆっくりと深呼吸をしてから、一気にまくし立てた。


  「私、それまで海野百ーー双子の妹については考えないようにしてたの。だって私にはたとえ義理だとしても優しい両親がいるし、『ひとりっ子』だったから余計大切にしてもらった。それでも、それでもね、あの晩から急に私、わたし……」


  百の頰を涙が伝う。まさかまた『虫』を飲み込まされたんじゃあるまいな、と警戒したが、百はすぐに落ち着いて絵のモデルらしくしてポーズを崩すのをやめた。

  ルナが百の瞳から溢れ落ちる涙を舌で拭ってやっていた。きっとザリザリしていた事だろう。


  「ーーとにかく」


  百は続けた。


  「あの日の事は、本当に私おかしかったの」


  いつでも充分おかしいが。


  「でもね、身体が何かに取り憑かれたっていうのは事実だったんじゃないかって思うの。だってその夢っていうのがーー」


  「夢っていうのが?」


  俺は百に続きを促した。

  何か、紗里子の実の両親に関する事を話し出すかもしれない。


  「とてもリアルだったの。凄く大きな化け物みたいなのが、私に何かを飲み込ませる夢だったから」


  「ほら、やっぱり置いていて良かったでしょですニャー?」


  ルナが胸を張った。

  俺は絵を書き続ける。百は昨晩寝てなかったのか、いつの間にか眠ってしまっていた。やれやれだ。




  「だーれだ?」


  小さな手に覆われて、眼の前が暗くなった。


  「紗里子。お帰り」


  振り返ると、俺の『娘』がセーラー服姿で立っていた。


  「そんな子、描かなくてもいいのに」


  多少嫉妬の炎が見え隠れしている。


  「まあな。でも、百のおかげで『黒幕』がいるという裏は取れたぞ」


  「だから、そういうのも、実の両親の事も、どうだっていいのに」


  分からないぞ。

  例えば、百のように『虫』を飲み込まされた人間を100人助ければ、俺は元の身体に戻れるという謎の約束事があるのかもしれないし。


  俺は寝てしまった百を叩き起こして、貸している部屋に戻し、紗里子といつもの『仕事』を始めた。

 

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