第66話 ニートの恋、そして
リリィ・ロッドがまたけたたましく鳴った。せっかく人間界が元に戻りつつあるというのに、そんなにも『虫』を飲み込んだ人間がいるというのか。
俺は妙に思った。だが悪さをしようとしている人間がいるのだとしたら無視する訳にもいかないと考えた。これが俺の誤算だった。
「やれやれ、リリィ・ロッド。悪しき者の元へ!」
その前に行った老夫婦とは打って変わって歳は下がり、今度は20代くらいの女性だった。
女性の隣りには、同い年くらいのブカブカのシャツを着た男性がいた。
女性は男性に詰め寄っていた。
「だって、私と結婚してくれるって言ったじゃない。約束を破るつもり?」
「結婚だなんて、そんなの幼稚園の頃の口約束じゃないか……。子どもの頃の話なんていい加減忘れてくれないか、静香ちゃん……」
今度も痴話喧嘩らしかった。
いや、この2人の場合は付き合ってはいないようで、痴話喧嘩と呼ぶには勝手が違ったか。
俺は話しかけた。
「お兄さん、お姉さん。何を言い合っているの?」
静香ちゃんと呼ばれた女性は鬼の形相でこちらを向き、男性の方はホッとした様子を見せた。
「アンタみたいな子どもには関係ないでしょう。知らない大人に声をかけないで」
「でも、お姉さんの持っているそのナイフは何? どう見てもお兄さんを襲おうとしているように見えるんだけど」
女性はますます恐ろしい顔をし、叫んだ。
ポニーテールで美しい顔立ちをした女性だったが、台無しであった。
「ああ、こんなガキにまで私の人生をとやかく言われるなんて……ゲロが出るわ!!」
ーーと、その隙をついて男性が逃げ出そうとした。ハッと我に返り、男性を追いかけようとする静香。
「フォルスン アベルトロルテイル ベル・ゼブブ!」
『虫』吐きの呪文を唱えた俺に、ゲロじゃなくて『虫』を吐き出す静香だったが、その様子を遠くから見てこちらへ走って戻ってくる男性。
何やってるんだ、まだ危ない。
逃げろ。
「静香ちゃん! 大丈夫か!?」
お人好しというのはこういうのを言うんだろうと思ったが、どうも様子が違うようだった。
男性は言った。
「ヤンデレっていうのかな。どうも静香ちゃんは僕の事を好きすぎてるようだけど、僕はまだ就職も出来てないんだ。いわゆるニートさ。それなのに彼女が結婚を迫ってくるから、困ってしまって……」
「そんなの関係ないから結婚しろって言ってるでしょ!!」
男性は困っていた。
「君、殺したい程僕の事好きなの? それは嬉しいというか……光栄だけれど、君の稼ぎだけじゃ到底結婚なんてできないよ」
「馬鹿にしないで」
静香はゲホッゲホッとむせながら反論した。
「私は中学校の体育教師よ。公務員なの、貴方をしばらくのあいだ養うくらいなんて事ないわ。見て、これを」
用意周到にも銀行の通帳を見せる静香。
どれどれ、と俺も覗いてみたが、結構な額の数字が並んでいた。
「これを見ても、断る? それとも、私の事そんなに……」
涙を浮かべる静香。
「怖い? それとも、嫌い?」
そりゃナイフを持って追いかけてくる女など怖いに決まっている。が、男性の方は覚悟を決めたように言った。
「ありがとう、静香ちゃん。僕を君の夫となる事を許してください」
静香は涙ぐんだ。
「やっと、やっと幼稚園の頃からの夢が叶うのね……」
2人は手を取り合った。
ニートと体育教師の夫婦。
どうなる事やら。
そしてこの話はこれでおしまいだ。
こんなくだらない『事件』の為に、俺は貴重な時間を使ってしまった。
一つ目の事件で終わらせていれば、いや、せめてこのくだらないカップルの事なんか無視していれば、あんな事にはならなかったかもしれないのに。
5分後、俺は心底後悔する事になった。
リリィ・ロッドに命じて魔女の世界に帰り、俺が見つけたのはーーアラディア、サマンサ、レイ、キーキ、その他複数の魔女の遺体の山だった。
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