第74話 百の日記
「え? あ……。貴方が、紗里子のお父様……なのですか?……」
人間界に帰って家に着き、留守を守っていた百がびっくりし、かしこまって言った。
百は、本当の姿である男の俺を一度も見た事が無かったのであった。
「ああ。君が陸野百ちゃんだね。紗里子から聞いているよ」
半年間の海外出張という名目で家を空けていたという事にしていたのだ。
「あ、あの……。はじめまして、お邪魔しております、陸野百と申します。紗里子ちゃんやマミちゃんには大変お世話になっていて……。……あれ? 紗里子、マミは?」
「マミなら、実家に戻っているわ」
紗里子が口裏を合わせる。
「この数日間、マミの実家に行くって言ってなかったっけ? 私もちょっと泊まってきちゃった。丁度パパも帰ってくる日程だったし」
「そうなの……」
百は憂鬱げな表情をした。
一家の主人が帰って来たからには、もうここにはいられないと思ったのだろう。
しかしそれを悟った紗里子が話題を変えた。
「百は、この数日間何をしていたの?」
すると百はニヤリと不敵な笑みを見せた。
「漫画を描いていたのよ。マ・ン・ガ。まだ途中だけど、結構上手にいっていると思うわ」
ほう。『漫画家になりたい』という夢は嘘ではなかったのか。「わー! 見せて見せて!!」と騒ぐ紗里子に、今取ってくるわと言って部屋に戻る百。
「パパ! まさか、百が真面目に描いていたなんてね!」
「ああ。アイツの事だから冗談かと思ってたんだがな」
なんて話しながら待っていると、百が階段から降りてきた。B4サイズの茶封筒を腕に抱えていた。
百は照れながら茶封筒を俺に渡し、
「プロの画家の方に見て頂けるなんて、光栄です」
とはにかんだ。
早速中身を開ける事にする。
百は俯いた。
その原稿は……、俺が想像していたよりも絵がずっと上手かった。いや、デッサン的にはまだまだだったが、何というか『今時の絵』を描いている。
俺はアニメオタクでもあるからこういう他方面のジャンルの絵柄にも敏感なのであった。
ネームというのか、吹き出しにセリフが書かれていなかったからストーリーは判然としなかったが、絵柄からいって少女漫画らしい。
隣りで見ていた紗里子が驚いていた。
「百! すっごく上手じゃない!? 一体どうやってここまで上手くなれたの!?」
「うふふ、前から絵を描くのは好きだったんだけども……」
そう言えば、初めて百と出会ったのも俺の個展会場だった。
百は顔をポッと赤らめて言った。
「ライバルができたの」
何故それで顔を赤らめるのか知らないが。
「へえ、ライバルかい。良い事なんじゃないのかい」
確かに良きライバルの存在は何事かを目指す人間にとっては有効だ。絵の方向性は違うが俺にとっては遠山がそれに当たる。俺はそんな百を素直に褒めた。
「ええ。ライバルは弱ければ弱いほど良いと思うんですの」
百は両手を膝の上に重ねて呟いた。
「え? 『弱い』って……。自分より実力の無い者をライバルと呼ぶの?」
紗里子が不思議がって問うた。俺も不思議だった。
「違うわ、実力は無きゃいやよ。そんなのライバルにならないわ」
百は首を横に振った。ますます分からなかった。
「そうじゃなく、実力があっても評価されていない人をライバル認定するのが気持ちいいんじゃない」
「最低だ」
「最低だわ、百」
「っなっ……」
俺は口を出した。
「百ちゃん、何よりカッコ悪いよ。百ちゃんの考えてることは4〜50代の『キモヲタ』がアニメの中の女の子や10代の芸能人をネットで叩いているのとおんなじ事だ」
こういう事はきちんと大人が教えなければなるまい、と俺はなるべく分かりやすい例えを挙げた。
すると……紗里子が行儀悪くあくびをしながら呟いた。
「あーあ、お友達がお年を召した『キモヲタ?』だったなんて……」
「……え?」
「え?」
俺と百が同時に反応した。『友達』? 紗里子が、あんなにウザがっていた百の事を『友達』と認めたというのか?
「紗里子、今私の事を『友達』と呼んでくれたの?」
百が無表情のまま問うと、紗里子は、
「今のナシ! 今のナシ!!」
と、ブンブンと思い切り腕を振り、猫の(悪魔だが)のルナを抱いて一目散に自室へと走って行った。
百は、『父親』である俺が帰って来た以上この家を出て行くつもりだろう、と再度思った。何より、百としては居心地が悪いだろうとおもんばかった。
「百ちゃん、夕食だよ」
俺は百の部屋をノックしたが、返事は無かった。手洗いにでも行っているのか、と思い何気なくドアを開けた。
そう言えば、こうやって百の部屋に入るのは初めての事だった。
百の部屋は年頃の女の子らしく片付いていた。本棚の中には、沢山の漫画と一緒に純文学の本も垣間見えた。
「……あ……」
見つけてはいけない物を見つけてしまった。
それは、机の上に置いてあった百の『日記』。
女の子の日記なんて見ちゃいけない。
それは当たり前の事ではあったが、なにぶん百はルシフェルに魅入られた『虫を飲んだ者』。
しかも家出中の身だ。
『保護者』としては、あの子の本心のようなものを把握しておかなければならない。
俺はそう自分に言い訳して、日記を手に取った。
1ページ目の、1行目。
『恥の多い人生を送ってきましたわ』。
いきなりの中2病全開さにかえって微笑ましく思い、思わず頰を緩めた。
だが百は複雑な家庭に育った事を思い出し、笑ってはいけない、と律した。
本当に恥の多い人生だったのかもしれない。
パラパラとめくっていく。言語に乱れのあった頃の日記は省かれていた。
最後のページ、日付け的にはまさにその日の内容が書かれていた。
それは、前ページまでの暗さの残った内容とは打って変わり……。大きな文字で、ページいっぱいに
『紗里子が私を友達と呼んでくれた!! 嬉しい!! 嬉しい!! 嬉しい!!』
と、あった。
俺はノートを閉じて、階段を降りダイニングへと向かった。
そこには、既に百がいた。きっと紗里子かルナに呼ばれたのだろう。
その日の夕食はカレーライスだった。にんにくを摩り下ろした我が家独自のカレーライスだ。独自と言いつつも特に珍しい物でもないのかもしれないが、他人とカレーの話をした事が無いから分からない。
3人で黙々と食べる。紗里子は常に俺の隣りの椅子を陣取っていた。
沈黙を破り、向かいの席に座っていた百が口を開いた。
「あの……。紗里子ちゃんのお父様」
「うん? なんだい」
俺は何食わぬ顔でとぼけて言った。
「長い間、お世話になっていてごめんなさい。荷物を片したら、すぐに出ていき……」
「こちらの方は、別にいつまで居てもらっても構わないよ」
「……え?」
百は驚いた様子だった。
「何か悩み事があるんだろう? すぐに出ていく事はないよ」
紗里子は俺の方を見て、嬉しげな表情を浮かべた。百は静かに泣いていた。
ただ、中3だった百は高校受験をしなくてよかったのかな、と、それだけが心配だったが、なに、大検もある。行きたくない所には行かなければいいのだ。
恥の多い太宰と同じように自殺なんか図る方よりもよっぽどいい、と思った。
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