第41話 海野百と陸野百

 


  「メリークリスマス!!」


  紗里子が、ノンアルコールのシャンパンを注いだグラスを片手に明るく叫ぶ。

 

  だがいつもならそれに乗って……いやそれ以上にはしゃいだ様子を見せたであろう姉百が、白けた顔でいた。


  実の妹である海野さんの方には一切視線を向けなかった。

  海野さんはじっと姉百の顔を切なげに、泣きそうな顔で見つめているというのに。


  「ほらほら、百ったらそんな顔しないで、せっかく一緒に過ごすイブなんだから!」


  紗里子が気を使っているのがよく分かる。一番年少なのにな。紗里子はあえて海野さんの方には話の矛先を向けたりしなかった。


  テーブルの上には紗里子と百が作ったご馳走と、パティシエ何とかいう有名なケーキ屋で買ったというクリスマスケーキが並んでいた。


  氷よりも冷たい姉百の醸し出す空気に耐えるように、海野さんはギュッと制服のスカートを握って震えていた。


  「私、パパ……じゃない、マミにクリスマスプレゼントがあるの。百にもあるわよ。少し早いけど出しちゃうね!」


  そう言って紗里子は赤と緑のリボンで結ばれた紙袋を後ろから取り出して、俺と姉百に手渡した。

  紙袋を開けてみる俺。


  「わあ、可愛い……マフラー! ブルーって大好きな色よ、ありがとう紗里子!!」


  紗里子は俺の好みをよく覚えていてくれた。


  「百、貴女も開けてみなさいよ」


  紗里子が姉百を促す。気の無い様子で紙袋を開ける姉百。


  「……あら、赤い手袋。可愛いわ、紗里子ありがとう」


  棒読みだった。

  俺はだんだん腹が立ってきた。


  「私からも紗里子と百『姉さん』にプレゼントがあるのよ」



  「『姉さん』と呼ぶのは止めて!!」



  けしかけた俺に予想以上の反抗的な態度を見せた姉百。


  「……ごめんなさいね。ちょっと悪ふざけが過ぎたわ」


  素直に謝る俺。だが注意する事も忘れない。


  「……でもね、せっかくのイブを百、貴女のせいで台無しにしたくないの。ね?」


  「私がいけないんです。お姉様が嫌がる事くらい想像はついたのに、こうして来てしまったから……」


  それまで口を閉ざしていた海野さんが絞り出すように喋り始めた。


  「あの、ええと、海野さん……も、詳しい事情は分からないけれど、いらっしゃったからには楽しんでください……」


  さすがの紗里子も声のボリュームが下がっていった。

  俺はわざとおどけて言った。


  「そうそう、楽しく、ね! 百、紗里子から貰った手袋はめてみなさいよ」


  すると、予想どおりというか、姉百の反応は妹の海野さんに向けられた。


  「私だって楽しく過ごしたいわ。でもこの子がいると、ダメ。どうしたって嫌な事を思い出してしまうから」


  「お姉様」


  「お姉様と呼ぶのは止めてったら! 貴女は海野家の人間でしょ。陸野家にいる私とは赤の他人だわ」


  「だけどお姉様……、いつまでもお家を出てこのお宅にいたら、陸野家の人間ですらなくなるわ」


  百は激昂した。


  「そんな事、貴女には関係ないでしょ!」


  「関係あります! だって私、お姉様が私のお姉様じゃなくなるのが嫌なんです……!」


  「お姉様お姉様って、うるさいわ!!」


  俺と紗里子は目配せした。

  産まれた時から違う家に住んでいるとはいえ、この2人にだって仲が良かった時期があるはずだ。

  そうでなければ、海野さんがこんなにもお姉様お姉様と執着する訳がない。


  「リリィ・ロッド!!」


  俺は紗里子と共に魔法少女に変身した。

  相変わらず目を丸くする姉百と、それにそっくりな顔で唖然とする妹百。


  「リリィ・ロッド。この2人を眠らせて昔の思い出の夢を見せろ」


  姉百と海野さんーー妹百はソファに身体を預けて、眠り込んだ。


 

  姉百と妹百の記憶が、俺達の頭の中にも流れ込んでくる。

  幼い2人は花畑にいた。


  シロツメクサの花冠を幼いながらも器用に作りあげて、妹百の頭にかぶせてあげている姉百。


  『おねえさま、ありがとう』


  妹百は本当に嬉しそうにしていた。

  そして姉百に問う。


  『ねえ、どうしておねえさまと私は違うお家に住んでいるの?』


  その時は、家の事情を知らなかったのだろう。姉百は妹百に優しく言った。


  『〝けっこん〟してないからじゃない? だって、けっこんした人達って、おんなじお家に住むんでしょう?』


  『ええっ。〝けっこん〟してないと、おんなじお家に住めないの?』


  2人とも〝結婚〟というものをよく分かっていなかったのだろう。姉百と妹百は腕を組んで何事かを考えている様子を見せた。俺の心の中に温かいものが溢れた。


  『じゃあ私達、オトナになったらけっこんしましょう』


  と、姉百が提案した。妹百は喜んで、


  『うん! けっこんしましょう! そうしたら、同じお家に住めるのね』


  『そうね! きっとね!!』


  そう言って、姉百は妹百の為に四つ葉のクローバーを探し、こんな可愛いセリフを言った。


  『〝けっこん〟する人達は、指輪を贈りあうんだって。この四つ葉を指輪のかわりにしようね。ちいさい百ちゃんにあげる。けっこんするまで、大事にとっておいてね!』


  『わあ、ありがとう、おねえさま!!』


  場面は妹百の視点に移る。

  妹百は、その四つ葉のクローバーをしおりにして大事に保管し、肌身離さず持っていた。

  そしてその日も……制服の胸ポケットに大事に身に付けていたのだ。


  その妹百の視点が、姉百の脳にも映り込んだ……。


 


  「2人とも、お疲れ気味なのね」


  目を覚ました姉妹に、俺は声をかけた。

  見せた昔の記憶は、2人の脳に留めたままだろうか。

  姉百も妹百も、泣いていた。


  「眠ってしまってごめんなさい……。何だか、昔の夢を見ていた気がします」


  時刻は夜の9時だった。


  「た、大変、早く帰らなきゃ! ごめんなさい、今日はお邪魔しました……!!」


  「もう来ないでよね」


  だが憎まれ口を叩く姉百の目が、妹百が着ている制服の胸ポケットに視線を送ったのを俺は見逃さなかった。

  妹百は、もう震えたりしていなかった。



  「心配だから」という理由で、俺は海野百を駅まで見送った。


  「今日は、散々なイブでしたね」


  俺は海野百の様子を伺う。

  しかし、海野百はホッとため息をつき、こう返した。


  「でも、とっても素敵な夢を見ていた気がします」


  「素敵な夢?」


  俺はわざと問う。


  「ええ。お姉様……姉と一緒にいたような。私……」


  かじかむ手に息を吐きながら海野百は告白した。


  「私、姉を姉以上の存在だと思っている所があるんです。恥ずかしいですけど……

 」


  海野百は続けた。


  「『依存』っていうんでしょうか? 姉は本当は優しい人ですから、昔からそんな姉に甘えていたんです」


  「本当は優しいって、何となく私にも分かります」


  俺は相槌をうった。


  「私、いつか姉と暮らしたい。だから、私諦めないんです」


  兄弟のいない俺には分からない感情だったが、この2人が心の深い部分で結ばれている事を察した。


  まだチラホラと粉雪が舞っている。


  その次の日のクリスマス本番の日に、それまで以上に人間達がおかしくなっていく事も知らずに、俺は「良いイブになったな」と呑気に構えていたのだった。


 

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