第5話 黒髪少女

 


  けんれいもんいんさんは警察に引渡した。


  俺と紗里子は第1発見者という事で、随分色んな事を聞かれたが、何とか乗り切った。

  魔法で出口さんを生き返らせた等という事は勿論秘密だし、けんれいもんいんさんも出口さんもその時の記憶は無くなっていくだろう。

 

  出口さんも警察に連れて行かれてしまったが、そもそも魔法のおかげで外傷は消えた訳だからけんれいもんいんさんに何をされたのかも碌に説明も出来なかったはずだ。


  だがけんれいもんいんさんには、出口さんを殺した直後の記憶はあるはずだ。罪は償わなければいけないし、今後出口さんの仕事場に出入りをさせるのは危険だ。


  警察に行く前に、口元の血をきれいに拭った出口さんから、約束どおり『おまじないのブローチ』を受け取った。

  ハート型で、表面にはビーズや何だかキラキラしたイミテーションの宝石があしらわれた、かくも若い娘の好みそうな可愛らしいブローチであった。


  残念ながら俺は中身がおっさんなので「何か、派手だな」としか思わなかったが。出口さんによると、


  「これを身に付けていれば、願い事が叶いやすくなるわよ」


  との事だった。



  自宅。


  「人の恨みなんて買うもんじゃないわね、パパ」


  2人分のココアを入れてきた紗里子がボソリと呟く。紗里子の入れてくれるココアは俺の事を考えて甘さ控えめだ。


  「そうだな。特に、恋人を見つけるには人を見る目を養わないといけないぞ」


  偉そうに言ってみたが俺は彼女がいた事なんて数えるくらいしかない。


  「私の恋人はパパだよ」


  紗里子は屈託なく笑った。



  ーーそれにしても。

  あの時けんれいもんいんさんの口から吐き出された蛭ひるのような物は何だったのか。


  魔法少女アニメ的に考えると、何か魔王みたいなヤツが人間界を征服しようとして『人』の悪意を引き出すよう放たれた小物みたいなアイテムに思えるが。

  あの虫はけんれいもんいんさんの肉体から離れると同時に蒸発してしまった。

 

  もしかしたら、けんれいもんいんさん以外にもあの虫を体内に宿してしまった人間達が他にいるかもしれない。

  というより、確率的にそう考えた方が危険を避けるのには無難だ。


  やれやれ、俺は紗里子の実の親を探しているだけだったというのに、面倒臭い事に巻き込まれそうな匂いがプンプンする。

  小さめのソファーの上でくつろいでいたオス猫のルナが口を開く。


  「その魔王とやらに紗里子の両親が捕まってなかったらいいんですけどもニャー」


  「……不穏な事を言うな」


  しかして13年前、まるで逃げるように姿を消した紗里子の父親に思いを馳せた。

  彼は一体、何から逃げようとしていたのか。


  「でも、呪文唱えてる時のパパ、カッコ可愛かったあ!! 青ビキニさんから貰ったこのブローチ、お揃いだねっ。パパも付けてね!!」


  「何だか抵抗があるなあ」


  可愛い『娘』からのお願いだから、ブローチくらい付けてもいいが。

  紗里子の胸元には、既にそのハート型が煌めいていた。




  そうこうして、何の手ががりも無いまま過ごしている内に、俺の個展の日がやって来た。

  準備を全部遠山に任せていたから、ヤツには頭が上がらない。



  「何だ、結局出口のヤツは何の役にも立たなかったって事か」


  「そうでもないけどな。このブローチもくれたし。紗里子は喜んでたよ。それに、偶然だったが人間界に何かが起きそうだって事も分かった」


  俺の作品『紗里子と花』の額縁の前に立って、例のけんれいもんいんさんの件を遠山に話す。『紗里子と花』はこの個展の中では最大サイズの作品だ。

  遠山は「魔王は良かったな」なんて笑っているがこっちとしては笑える出来事じゃない。


  「まあまあ。ほら、あそこに随分可愛らしいお客様がいるぜ。熱心にお前の作品に熱い眼差しを送ってる」


  見ると、艶やかで長い黒髪を垂らした、今の俺の姿よりちょっとだけ年上っぽい少女が『紗里子の世界』と名付けた作品を微動だにせずに見つめていた。

  その日はざんざん降りの雨で、他に客はいなかった。


  「お嬢さん、その絵が気に入りましたか」


  遠山が少女に声をかける。少女からの返答は無い。


  「僕はこの作者の友人です。ゆっくり鑑賞していってくださいね」


  「ーーこの絵、嘘が無いわね」


  急に話し出したから俺も遠山もびっくりした。よくよく見ると彼女は、白い肌と大きくちょっとつり上がった透明な目の持ち主であった。


  『紗里子の世界』は、モデルたる紗里子を体育座りさせ、首を内側に折り曲げた格好を背中側をメインにして描写した、俺の作品としてもちょっと変わった代物だった。


  「『嘘が無い』ってどういう事? ……です、か?」


  たまらず俺は敬語で聞き返す。


  「他の絵には嘘があるんですか?」


  「そういう事じゃないわ」


  少女は首を振った。


  「この絵には、特にモデルへの愛情が感じられるって事」


  「それは光栄……だと思います。作者であるおじ様には」


  対外的に俺は昂明護おれの姪という事になっていた。

  こんな若い女の子が俺の作品を見て感動してくれているらしいのが、素直に嬉しかった。

  只でプレゼントしたいくらいだった。


  「この絵、頂けるかしら」


  「え!?」


  『紗里子の世界』は18万円の値段を付けた。これくらいの歳の女の子にはちょっと高額過ぎるだろう、と心配した。

  遠山が助け舟を出す。


  「失礼だけどお嬢さん、中学生くらいだよね。ご両親に相談しなくていいのかな」


  「私、こう見えてお年玉貯金が凄いの。18万でこの絵が買えるのなら安いものだわ」


  大人びた口調に似合わず『お年玉貯金』なんて言葉が飛び出した。


  何だかホッコリする。さすがに只ではな、でも10万円くらいにまけてあげようかな、なんて思って少女を観察するようにしていた俺の目にギョッとするような光景が映った。


  陸野百(りくのもも)と名乗ったその少女の唇からは、けんれいもんいんさんの中に宿っていたアレと同じ蛭のような虫の尻尾が覗いていたのであった。

 

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