第35話 まさ彼の

 


  その3日後。菜乃花(なのは)との約束の日。某駅。

  俺達は待ち合わせ時間の30分前には着いたのだが、菜乃花とその母親は1時間前には来ていたらしかった。


  「なーんだ、そっちの人も来たの」


  菜乃花はあからさまにガッカリしたように白けた顔で言う。ちなみに『そっちの人』とは紗里子の事を指しているようだった。


  「来ちゃいけなかった?」


  ジロリと菜乃花を睨みつける紗里子。魔法少女として悪者を前にした時よりももっと恐ろしい目つきだった。


  と、菜乃花の母親が丁寧に挨拶した。


  「菜乃花の母でございます。先日は、菜乃花が事件に巻き込まれた所を救って頂きましたそうで……。何と御礼を申し上げたらよろしいのやら……」


  その挨拶とお辞儀に俺はかえって恐縮した。あの時、魔法少女の変身を解かないままでいた方が良かったんじゃないかと思ったくらいだった。

  そうすれば、菜乃花の中で俺の記憶がなくなっていたはずだから。


  「いえ、そんな……。偶然通りかかって、警察に連れて行っただけですから……」


  菜乃花は喜び勇んでお母さんに報告する。


  「母さん、マミ姉さんは空手習ってるんだって。それであのクソ男をやっつけてくれたんだよ」


  菜乃花の中ではそういう事になっているらしい。


  招待された『お刺身屋さん』は木造建築の老舗らしく、中にはカウンター席とテーブル席があった。俺達はテーブル席に案内された。

  「何でも注文してくださいな」と菜乃花のお母さんに促され、じゃあ、という事で刺身盛りと蓮根のはさみ揚げを注文させて貰った。


  「蓮根のはさみ揚げなんて、お若いのに渋いんですのね」


  と笑うお母さんに、「しまった、おっさんの時の癖が」と慌ててしまったのだった。ともすればビールまで頼んでしまいそうな所だった。

  飲み物は無難に烏龍茶を頼んだ。


  「……それでね母さん、あたし、こんななりだけどマミ姉さんとお付き合いしたいんだ。いいでしょ?」


  ブッ、と飲んでいた烏龍茶を吹き出してしまった。そこで紗里子が毅然として言い放った。


  「悪いけれど、菜乃花ちゃん。マミはとっても忙しいの。(私以外の)女の子と百合やってる暇なんか無いわ。絵のお仕事だってあるし」


  「アンタには聞いてないだろ」


  紗里子と菜乃花の視線がぶつかり合う。あわや店の中が大惨事となった所である。魔法少女に変身してしまえば一気に片付けられるが、紗里子は人間が出来ているのでそういう事はしなかった。


  「ッチ、大体なんだよその『百合』ってのは」


  菜乃花が紗里子を睨みつけ、例の白けた顔で呟いた。


  「あら、貴女『百合』って言葉すら知らないでマミに交際を申し込んでいるの? 物を知らないのね、いい? 『百合』っていうのはね……」


  ここで菜乃花のお母さんが慌てて口を出す。


  「いやだ、菜乃花ったら話してないの? ……全く、男の子の癖にスカートなんて履いてるから……」


  ーーハ?

  ……『男の子』?


  「母さん、それは今日は言いっこなしだって言っただろ。まずはマミとの愛を育んでからって」


  菜乃花の顔が紅くなる。


  「性別も明かさずにお付き合いも何もないでしょ! ほら、マミさんも紗里子さんも困っていらっしゃるわ」


  菜乃花のお母さんがピシャリと『息子』を注意してから、俺達に向き直る。


  「ごめんなさいね、この子ったら性格は男の子なのに、女装癖というのかしら、そういう所があって……。『あたし』なんて言うし。この子のさっき言った事は、忘れてくださいな」


  「…………」


  俺と紗里子は返す言葉も無かった。

  菜乃花は言う。


  「でもさ、マミ姉さんとあたしは女と男だっていう事が分かったし、何も問題ないでしょ? 法的には結婚だって出来るんだから」


  「…………」


  「菜乃花!」


  菜乃花とお母さんがやんややんやとやっている。何とものんきな親子だ。


  ……っておいちょっと待て。菜乃花はいわゆる『男の娘』ってやつだったのか?

  そして俺は、子どもとはいえ野郎なんかと唇と唇でキスしたっていうのか?

  いや相手は子どもだしキスくらいいいんだけどさ。でも何か騙されたような複雑な気分だ。


  「マミ姉さん、あたしの事気持ち悪いと思ってる? そうだったら、スカートやめるよ」


  「いや、気持ち悪いっていうか……。私の(女としての)ファーストキスを返せっていうか……」


  お母さんが吃驚仰天した。


  「んまー! この子ったら、キスなんてしたの!? マミさん、本当にごめんなさいね! きつく叱っておきますから、どうか許してやって頂けませんでしょうか……」


  「はあ……」


  しかし、それでも紗里子は納得いかず菜乃花を睨みつけたままでいた。それを見て、菜乃花はまたもや紗里子に対してアッカンベーをしたのであった。怒りに打ち震える紗里子の様子に、今回はここでお邪魔した方がいいなと俺は判断した。



  「全く、あの菜乃花ってヤツは何なの!?」


  帰り道、紗里子はまだ憤懣やるかたないといった調子で叫んだ。


  「いや、パパもショックだったよ。まさか『男の娘』だったなんて……」


  「ショックなんてものじゃないでしょ!? ああ、私、中身がパパのままなら女の子の姿でも構わないと思っていたけど、早く元のカラダに戻ってほしい!!」


  俺は力なく笑う。


  「……ああ。その為には、コツコツと『虫』退治に励まないとな……」


  しかして『男の娘』である菜乃花からのメールは暫くの間途切れる事はなかったのであった。

 

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