第77話 家政婦の美歌さん

 


  「パ、マミ……」


  「やだ、マミじゃない!? お父様はどうなさったの!?」


  再び少女マミの姿にさせられた俺に、紗里子と百は呆然としていた。

  俺はあまりのショッキングな出来事に、家に着くまで言い訳の一つも考えていなかった。


  「ああ、あのね……。伯父様は、実家のおじいちゃんとおばあちゃんが急に倒れたからしばらく帰ってこれないって……。その代わりに私が来たの……」


  とっさにしてはまあまあの嘘だったと思う。

  しかし紗里子はやはりというか、何となく事情を察したようだった。

  もちろん、白井美砂=ルシフェルという答えまでは辿り着いていなかったようだが。


  「あーあ、素敵なお父様だったのにまたしばらくいらっしゃらないなんて残念……。でも、マミ! 貴女とまた暮らせるなんて嬉しいわ!!」


  魔法少女の事などすっかり記憶から消えている百がはしゃいだ。



  「パパ、『虫』の事はもういいの?」


  百そっちのけで久しぶりに『親子』水入らずで風呂に入っている最中に、紗里子が心配そうに問うてきた。


  「ああ。今度は『虫』は関係なしで働かされる事になりそうだな。……報酬ナシで」


  俺はブラック企業に勤めるビジネスマンの気持ちがよく分かったような気がした。

  しかしビジネスマンは転職すればいいが魔法少女はそうもいかない。


  『転職』するとなるとーー『人間界の神』だ。荷が重すぎる。


  それより、紗里子の身の安全。

  ルシフェルのその言葉が心を大きく占めていた。


  「紗里子、最近、危ない事はなかったか? 新しい悪魔がお前を狙って来たとか」


  広めの風呂場に立ち込める湯気の熱気が心地よい。

  紗里子は両手でお湯をパシャパシャして遊びながら答えた。


  「んー、特には無かったかな。でも、一回だけおかしな事があって……」


  「おかしな事? なんだ、言ってみろ」


  俺は不安を感じた。色んな意味でだ。


  「夜、ベッドの上で仰向けになってたら、30センチくらいかな、それくらいの大きな『目』がこっちを見てたの。グルグル回って、そのまますぐ消えちゃったけど」


  「そういう事は早く言いなさい」


  しかし紗里子はウーン、と思い出そうとしていた。


  「でもね、そんなに悪い気はしなかったの。どちらかというと、私を見守ってくれてるようなそんな感じ」


  「それは……。お母さんのサリエルさんとは違うのか?」


  サリエル、と聞いて一瞬固まった紗里子は、


  「お母さんでは……。ないと思うよ……」


  とだけ言って、湯船の中に顔を突っ込んで息止めゲームをした。



  家事手伝い魔女のサマンサにばかり甘えている訳にもいかないので、週3でお手伝いさんを雇う事にした。


  20代後半くらい、キビキビとした感じの美人だ。おまけに……。胸も大きい。大き過ぎるくらいだ。


  「天野美歌(みか)です。何でもお申し付けくださいね。食事だとか、お好みの物をおっしゃってください」


  そのキリッとした明るさに俺は一瞬見惚れたが、それを瞬時に察知した紗里子にジロッと睨まれた。

  少女の俺には女の人の色香など通じないはずなのだが、美歌さんはどこか違った。

 

  「あ、えーと。じゃあ、クリームシチューを作る時は、普通の鶏肉じゃなくて挽肉のミートボールにしてください……」


  俺は紗里子の嫉妬をそらすように、美歌さんに注文をつけた。

  子どもしかいない家だから変に思われないよう、遠山に口を利いてもらい来て頂いたのであった。


  「ミートボールね、分かりました」


  数日間、美歌さんは普通の人間に見えた。

  だが、違った。


  俺は見てしまったのだ。

  美歌さんが、キッチンで手を使わずに調理をしている所を。


  美歌さんは、俺がそれを見ていた事に勘付いていたようだった。

  というより、始めからその場面を俺に見せ付けるようにわざとやっていたようだった。


  「……アンタは……。何者だ? 魔女か?」


  「魔女ではないよ」


  美歌さんは優しい微笑みをたたえながら返答した。


  「天使のミカエルだ。ルシフェル様の言いつけで紗里子ちゃんを守りに来た。護くん、これからよろしくね」


  「ミカエル……」


  上級天使だ。


  「紗里子が言ってた、グルグル回る大きな『目』の正体は、アンタか」


  「当たり。僕だよ」


  ミカエルは悪気なく答えた。


  「何と言っても、紗里子ちゃんは次世代の魔女の女王になる子だからね。色々としがらみも多いわけだ。……と、早速ザコ悪魔のおでましだ」


  俺のリリィ・ロッドも反応していた。半年間の経験から鑑みるに、それは瘴気を持つ者の襲来だった。


  ゲームの中に出てくるゴブリンによく似たその悪魔は、まず俺に襲いかかろうとしていた。


  「リリィ・ロッドよ。この者を粉にしてしまえ」


  「ウ……ギ……!」


  ザコ悪魔は苦しげに呻き、そのまま灰となった。


  「……さすがだね、護。でも、あーあ、悪魔の粉がせっかく作ったシチューに入っちゃったね。作り直しだ」


  ミカエルは肩をすくめた。

  そして、こう言う。


  「僕はね、この姿の通りルシフェル様と違って天界でも女なんだ」


  「ちょっと待ってくれ」


  僕っ娘かよ。俺は口を挟んだ。


  「『ヨハネの黙示録』だったかな、とにかくその文献によると……。ミカエル、アンタとルシフェルは神話の時代に激しい闘いをしたんじゃなかったのか。そしてミカエル、アンタがルシフェルに勝った。そのせいでルシフェルは堕天した、違うか?」


  「……うん。そうだよ。だってルシフェル様、僕に振り向いてくれなかったんだもん」


  ルシフェルに失恋していたのか……。

  美人の顔で男言葉を使われるとゾクゾクした。別にそんな趣味は無いのだが……。

 

  「それより、護。僕は貴方のファンなんだ。なんてったって、神と悪魔と人間のチカラを併せ持っているんだからね。尊敬するよ。握手してくれないか」


  「は、はあ……」


  俺が手を出すと、ミカエルは両手で俺の小さな手を包み込んだ。白く長い指だった。


  「ああ、なんだか護のチカラが入り込んでくる感じだ」


  ミカエルはウットリと目を閉じ、


  「さあ、そろそろ可愛い魔法少女さんが帰ってくる頃だ。彼女はファザコンなんだろう? 手を握ってる所なんて見られちゃ事だ」


  と、手を離した。



  「ただいま!」



  紗里子と、買い物に行っていた百が同時に帰ってきた。「シチューだ、シチューだわ!!」と喜ぶ2人。


  「お口に合うと嬉しいんですけど」


  と慎ましやかに言うミカエル。「とっても美味しいわ!」と大喜びする紗里子と百。


  『そりゃ天使の作ったシチューだもの、美味いに決まってるさ』


  と、俺は心の中で呟いた。

  しかし、その心の声を察したらしいミカエルがこちらに向かって微笑んだので、俺は慌ててスプーンを動かした。


  俺のファン、ね。悪い気はしなかったがこれからまた面倒な事が増えるとなると気分が重くなった。


  ええい、ここは活性化の呪文だ。


  「エコエコマザラッコ、エコエコザルミンラック、エコエコケモノノス!!」


  いきなり魔法少女に変身した俺に百は目を丸くしながらスプーンを落とし、紗里子は俺がどうにかなってしまったんじゃないかと心配した。


  ミカエルは、妖艶な笑みを浮かべていた。僕っ娘だけど。

 

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