第85話 紗里子の一生懸命

 


  紗里子は、あんまり絵が上手くない。

  それは画家(俺)の『娘』である紗里子としては劣等感の一つであるらしかった。



  「パパ! ハッピーバースデー!! お誕生日おめでとう、パパ!!」



  その日、紗里子にこんな感じで起こされた。

  そうか、今日は俺の誕生日だったか……。すっかり忘れてた。

  ええと、何歳だったっけ。36か。もう完璧におっさんだな。


  歳を取る度に何歳になったか判然としないというのはこういう事か。


  そんなおっさんことお父さんの誕生日を毎年心待ちにしている紗里子は、一日中ハッピーバースデーモードだ。


  今日は家政婦のミカエルーー美歌さんはお休みにしてもらって、俺と紗里子、百、猫(悪魔)のルナと誕生日を過ごすつもりらしい。


  なんたって、百は紗里子の認める『お友達』だから追い出すような事はしないと決めたのだろう。


 

  「エビとブロッコリーのタルタルソースよ。お誕生日の朝ご飯には洒落てて丁度いいでしょう」


  百が腕によりを掛けて作ってくれたサラダだ。


  こちらとしてはいつもの布海苔の味噌汁にきんぴらごぼうの方が良かったのだが、俺の誕生日のために心を砕いてくれたものとしてありがたく頂く。美味かった。料理の腕が上がってるな。



  「今日はおあつらえ向きに学校が休みだからねー! 一日中パパの『お誕生日』ができるよ!!」


  「だから何よその『パパ』ってのは」


  百が相変わらずツッコミを入れた。

  百は俺の正体が『あのおじ様』だって事に気付いてないのだった。



  昼は、久しぶりに紗里子のヌードを描くという画家としての仕事をやる事にした。

  「随分描いて貰ってないよね」と、紗里子も大喜びだ。


  紗里子の身体も成長してきていっている様子だった。高校生くらいになったら、もう描けないだろう。

  何より紗里子が恥ずかしがって嫌がるに違いない。


  「ああ。今は何とか食っていけてるけど、早くまた男の姿に戻らないとヤバいんだよな。個展の準備とか」


  「それでも、画商さんや遠山たんが口をきいてくれてるんでしょ? 絵は売れてるんだよね?」


  絵は売れてる。そこがラッキーなところだ。

  紗里子はポーズを取りながら言った。


  「お夕飯の時に、プレゼントを渡すね。それと……」


  紗里子は口ごもる。


  「それと、何だ」


  「そのまた後で、私からのプレゼントがもう一つあるの。百の前じゃ恥ずかしくて。眠る前に、この部屋に届けに来るから……」


  「それは楽しみだな」


  俺は手を動かしながら相槌を打った。紗里子からの別口のプレゼント。何だろう。


  紗里子はゆっくりと立ち上がって、俺の向かっていたキャンバスを見た。


  「う〜〜〜」


  何やら唸っていた。


  「パパの絵、最高過ぎ!!」



  夜は豪勢に黒毛和牛ヒレ肉のステーキだった。


  「どんなに下手に焼いても美味しい」と評判の肉だった。美味い。レアで焼いてるから口の中でとろける。


  プレゼントは洒落たハンカチだった。女の子モノの……仕方ない。


  そしてお決まりのバースデーケーキ。

  ケーキだったら甘くても嫌いじゃない俺には素敵なプレゼントだった。


  「そういえば、マミは今日でいくつになるの?」


  ろうそくを数えながら百がしごく当然の事を聞いてきた。


  「え〜っと……。14歳、かな?……」


  「14歳ね。それにしては小さ過ぎるようだけど……。えーと、大きいろうそくを1本と、小さいろうそくを4本ね」


  ろうそくに火が灯され、部屋の中が暗くなった。


  「パ……、マミ、ろうそくの火を吹き消す前に願い事を思い浮かべるのよ」


  願い事、か。

  早く男に戻りたいなあ。

  しかしそこは無難に『家内安全』を祈った。紗里子や百やルナ、3人と一匹で平穏無事に暮らせれば御の字だ。


  『ハッピーバースデートゥーユー……♪』


  家族の歌声と同時に、俺は願い事を強く祈ってろうそくの火を吹き消した。


  それにしても、この願い事を叶えてくれるのは誰なんだろうな。

ゼウスか?

  あんまり頼りにならないな。

  八百万の神様達にでもお願いしよう、と思った。



  「マミ、誕生日おめでとう!!」



  拍手と共に電気が付いて、日常に戻った。



  ……いや、まだ日常には戻っていない。

  日付け的に誕生日が終わろうとする30分前に、紗里子がアトリエにやってきた。


  背中に何か隠し持っていた。

 

  「百はもう寝たのか」


  「うん、大丈夫。あのね、パパ……」


  「ん?」


  俺は促した。『それ』は茶色い封筒の中に入っているようだった。


  「こ、これ!! 絵が下手で恥ずかしいんだけど、描いてみたの!!」


  紗里子はじわじわと後ずさり、後ろ手でドアを開けた。


  「わ、私が出て行ってしばらくしたら開けてみて!!」


  紗里子はそのままこちらの方を向きながらドアを閉めたが、もう一度ドアを開けて「パパ、誕生日おめでとう」と囁いた。



  さて、この茶封筒はなんだろう。

  開けてみて、中に入っていたのは……。


  水彩画で描かれた男性らしき顔と、金髪を垂らした女の子の絵。

 

  最初は何かな、と悩んだが……。


  これ、俺じゃん。『俺』と『マミ』。


  絵が苦手ながら、一生懸命描いてくれたんだ。

  確かにちゃんと見なければ男の顔か女の顔かどうかすらあやしい画力ではあったが、まるで幼稚園児がパパの日に描いてくれるような絵のようで微笑ましかった。


  そして、絵の周りにはこんなメッセージが大きく添えられていた。



  『パパ、大好き!! ずっとずっと私をパパのモデルにしてね!!』

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