【選択──箱詰めの魂が世界を焼き尽くしても】

EP13





 テラに導かれ、大広間の一角にある扉をくぐった先は、真っ白に塗り潰された不気味な空間だった。神奈木博士の准純白ホワイトアウトの白衣よりも、更に混じり気のない潔白の間。あまりの白さに遠近感が狂いそうになる。


 そこにはもちろん、宗教画も装飾品も、彫刻オブジェ作品群アートワークの一切も置かれていない。夢の中の母さんの病室のように無機質な静謐が、ただ白いだけの空間に満ち満ちていた。


「うん、これはこれで悪趣味だね」

「残念ながら、私も同じことを言おうと思っていた」


 隣の穎才ジニアスも、この場所に抱いた感想は同じのようだ。「どうして残念なんだよ」と悪態をつく彼に、「残念だと感じるから残念なのだろう」と答える。


 視界一面に広がる純白の彼方に、ぽつんと佇む大型の固定端末ターミナルが一基。しかし大型といっても、私が頭に思い浮かべていたものとは天と地ほどの差がある。


「なぁテラ──だいぶ想像と違うんだが」

「もしかして幻想的メトロポリスなやつを期待してたの?」

「まぁ、そうだな。もっと固定観念的ステレオタイプな電脳空間を想像していた」


 決して期待していたわけではないにしても、どこか拍子抜けした感は否めない。扇状に配置された変形鉄条メタルラックに積まれた膨大な集積回路や、広大な部屋一面を使って展開された連結端末リンクターミナルなど──立響映画スクリーンの中で表現されてきたような禍々しいまでの電脳空間の面影は微塵もない。


「……念のため確認しておく。これが倫理の迷宮クノッソスで間違いないんだな?」


 一抹の不安に晒された私が問いかけると、テラは物知り顔で頷いた。


「そうだよ。固定端末ターミナルに対しての初期位相イニシャルが存在するように、DUM全体の方針ベクトルを司る代数的概念トポス──それが倫理の迷宮クノッソス

「……つまり、どういう意味だ?」


 テラの難解な説明からは、悪意しか感じられない。


処理速度クロックを出すための土台バッファなら別にあるってこと。肉体や頭脳は他の階層にあって、魂だけが目の前に露出していると言ったら理解イメージ出来る?」


 くすくすと笑うテラを睨みつけながら、頭の中に思い描く。

 解明不能にして解析不能──そして観測不能な魂のカタチを。


 そもそもサヨさんから、倫理の迷宮クノッソスの内部に存在する不可侵の領域ブラックボックスの話を打ち明けられた時、私は考えたはずだ。私たちの心には──ともすれば脳内には、何者にも左右されない不可侵の善悪ブラックボックスが宿っているのではないかと。


 しかし今の私たちの視界の向こうには、触れられるかたちとしての物理的な端末がある。テラの比喩を真に受ければ、魂に触れられてしまうのだ。


「考えれば考えるほど、夢とうつつの境界線が分からなくなるよ。正直な気持ちを吐露すれば、凡人で良かったとつくづく思う」

「ホムラが凡人? 俺には充分な能力を備えているように見えるけれど」

「ふん。つまらない世辞は要らない」

刷り込まれた先入観イドラのサーカスに囚われないホムラの思考回路は、きっと筋肉質ファイターなんだろうね」


 益体もない会話を交わしながら、私たちは倫理の迷宮クノッソスの前に辿り着いた。こうして間近にまで来てみれば、私たちを見下ろすくらいの大きさはある。


「知ってのとおり、俺はここから排出アウトプットされる軌跡ローカスを歪めていた。ホムラに分かりやすく言えば妨害工作ジャミングだね」

「ああ、そのことについては礼を言う。テラ、本当にありがとう」


 深く頭を下げると、テラは目を丸くさせた。私が頭を下げることが、そんなに珍しいことだろうか。


「んー、何について感謝されているのかちょっと分からないな」


 そう言ってテラは、唇の端に手をやって考え込む仕草をみせる。どうやらとぼけて言っているわけではないらしい。


「お前の頭脳が無かったら、私はきっとアリスを失っていた。あるいは他のヒュムたちを──もっとずっと早くに昇華サブリメイションの毒牙に引き渡していただろう」

「ああ、そういう意味ね。ふふふ、もしかして俺に惚れそうな感じ?」

「それは全然ない」


 軽薄な笑顔をにべもなく跳ね除ける。危うくもう少しで襟元に掴みかかるところだった。


「──俺にもっと力があれば、犠牲者は少なかった。優先権プリオリティの高い重要な信号シグナルほど遠い深度デプスを走ってるからね。自己破棄と自己構築ウロボロスを繰り返す倫理の迷宮クノッソスの内部ロジックに、俺と鏡合わせの倫理テラテクスが追いつくまでに本当に手を焼いた」


 一転して神妙な面持ちを見せるテラを、複雑な気持ちで眺める。どんな言葉をかけたところで、免罪符には成り得ない。少なくとも私はそうだった──それでも。


「それでも、お前は感謝されるべきだよ。サヨさんや代替知能テラテクスと共に、ずっと戦っていたんだろう? それに少なくともお前は──私に真実をくれた」

「──あれ、やっぱり惚れそうな感じ?」

「そうだな、代替知能テラテクスにな」


 いちいち茶化さなければ人と向かい合えないテラを、少しだけ哀れに思う。それと同時に、可愛いやつだとも──。


「さぁ、惚れ込む前にさっさと始めてくれ。自慢じゃないが、私は何も出来ない」


 テラの作業をふんぞり返って眺める私に、雪白姫シンデレラの要素は少しもなさそうだ。テラもテラで、騎士ナイトというよりもひねくれた従者の方が似合っている。


 倫理の迷宮クノッソスの裏側に回ったり、時には底面に這いずりこんだりしながら、変形鉄条メタルラック部位パーツを手際良く分解していくテラ。その原始的な作業にも、私が思い描いていたようなイメージはなかった。やはり固定観念的ステレオタイプな電脳空間は、創作の中だけで誇張された夢幻ファンタジーなのかもしれない。


「ホムラ、見て──これだ」


 したり顔で手招くテラに近付き、促された部分を覗き込む。するとそこには、不思議な光沢ラメを纏った金属の箱が位置していた。その大きさは、私の両の手のひらを広げたほどしかない。ともすれば可愛らしい宝石箱のような外観だ。


「これが──不可侵の領域ブラックボックス?」

「ああ、最上級の不導体デス・コンダクターに守られた倫理の迷宮の心臓部メタリックハートさ。どおりで絶縁破壊オーバーホールが出来ないわけだ」


 どこか興奮を滲ませたテラが息を呑む。私に穎才ジニアスの素養があれば、少しはその高鳴りに同調してあげられるのだろうか。


 テラは懐から取り出した平鑿マイナスのような工具で、不可侵の領域ブラックボックスの解体を試みる。その動作には、淀みも迷いも見られない。テラが金属の隙間を巧みに広げていくと、やがて中から剥き出しの集積回路マザーボードの姿が覗く。


「よし、終わった」

「えっ? 何だかあっけないな」


 最後の最後まで拍子抜けの連続だった。少なくとも人々が思い描くような反政府テロ行為とは、大きく掛け離れている。


符号的現実デジタル非符号的真実アナログ絶対性アブソリュートを未だに越えられないのさ。だから秘密主義者ピタゴラスは、触れられる物しか信用しない。神奈木博士も言ってただろ?」

「つまり電極による駆逐ファイアウォールよりも、物理的な遮断の方が手強いという意味だろう? もちろん理屈は分かるが──」


 釈然としない気持ちに、私は眉をひそめる。好奇心の灯る眼差しに、あらわになった集積回路マザーボードを映しながらテラは言った。


「サヨはさ、どうしてもこれを破壊したかったんだろうね。だからこそ抜け駆けフライングした。ホムラはともかくとしても、俺との合流を待っていれば怪我なんて負わずに済んだのに──」


 サヨさんが抜け駆けフライング──考えてもみなかったけれど、言われてみれば最もだった。もしかせずともサヨさんは、自分の理想とテラの理想が乖離していることに気が付いていたのだろう。


「なぁ、ホムラはどうしたいんだ?」


 問いかけるテラの声色は、酷く冷たい。集積回路マザーボードを眺めていたはずの彼の視線は、いつの間にか怜悧な光を宿して私を射抜いていた。


電極エーテルは開通された。こうして話している間にも、鏡合わせの倫理テラテクス倫理の迷宮の心臓部メタリックハート侵食アクセスしているはずだ」


 代替知能テラテクス鏡合わせの倫理アンチクノッソス水先案内人オペレーションだと、テラは言っていた。つまり共通言語を持つテラテクスに何を願うか──それで全てが決まるということか。


「私は──」「──ホムラの答えによっては、君の最後の敵は俺になる」


 哀しい呟きと共に、テラは片膝をついて私にかしずいた。

 そして右の手のひらを私に差し出して、言う。


「ホムラ、俺自身の口からもう一度言うよ。これは求婚プロポーズだ。俺と一緒に、人類の可能性Human Materiaの国を創らないか。俺と鏡合わせの倫理テラテクスが、世界の安寧を約束する。もう皆、充分に苦しんだだろう? 俺たちは、DUMの中だけで永遠を循環し続ける。俺が創り出すのは、アリスやアゲハが笑って暮らせる世界だ」


 此度のそれは、少しも芝居がかっていない。

 その手のひらに乗っているものは──テラのハートだ。


 それは決して、不衛生な心臓ブリキックハートじゃない。むしろ、誰よりも高貴な魂。


 かしずくテラは無言のまま、ただ私がその手を取るのを待っていた。

 永遠なんて語らなくても、永遠を思わせる時間なら今ここに流れている。白い世界だけが、私たちの行く末を見守っていた。

 

 しかし張り詰めた沈黙の中でさえ、倫理の迷宮の心臓部メタリックハートが書き換えられていくのならば──。

 まったく私たちは、おちおち悩むことも出来ないじゃないか。


 だから私は──。


 ──私は。


 この熱照射銃ブラスタを突きつけて、世界中の穎才ジニアスを敵に回しても。

 たとえ何度だって、テラに同じ答えを返すのだろう。




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