EP08-04





「まったく、最も厄介な不確定要素アンノウンに目を付けられたものです」


 相も変わらぬ爆音エンドレスループの中で、サヨさんはそう口火を切った。サヨさんの言う不確定要素アンノウンとは、もちろん神奈木博士のことである。生きる治外法権パブリックアウトローの二つ名を地で行く穎才ジニアスの行動は、サヨさんの構想からも大きく外れたものだったらしい。


 「本当はテラと二人で遂行するつもりでした」──そういった趣旨の台詞を要所に挟みながら、サヨさんは解説を続ける。


「トーマ博士の組み上げた、DUMを構築する心臓部コアコンピュータの名を、『倫理の迷宮クノッソス』と言います」


 いかにも哲学的な名称をしたそれは、中央管理室コア・ルームの最上階に鎮座しているらしい。漆黒の星空プラネタリウムの先に君臨するのは、季節さえも司る想像神パンドラの函ということか。


「独自のスクリプトを連続させて構築されたそのシステムは、プログラミング言語の自己複製を元に成り立っています。"迷宮"の名が意味する通り、その内部ロジックは複雑かつ難解。倫理の迷宮クノッソスはもはや、オペレーションシステムとしてのていを成していません」

「サヨさん。早速ですけれど──意味が分かりません」

 

 控え目に申し出る私に、サヨさんは説明を加える。


「要するに、進化し続けるコンピュータだと考えてください。私たちの日常言語が日々移り変わり、新しい言葉や意味合いが歴史の中で生まれていくように、倫理の迷宮クノッソスの内部構造は日々進化している」

「つまり完成された人工生命シンギュラリティみたいなものですか?」


 機械生体学ロボトミカルを専攻していない私には、その言葉の意味に多少あやふやな部分があったけれど、サヨさんは満足気に頷いて微笑んだ。


「そうね、倫理の迷宮クノッソスは、完成された人工生命シンギュラリィを体現した姿と言っても差し支えありません。日々変容するロジック──その内部に干渉するのは並大抵のことではありませんでした。ただでさえ倫理の迷宮クノッソスへのネットワークが開通されるのは、永久複製医療術Unlimited Medicalの施術中に限られていましたから、はじめの一歩ファーストアタックは困難を極めたの。トーマ博士と同じように、世界の深淵にアクセス出来るほどの頭脳がなければ、おおよそ不可能の領域であったと思います」


 沓琉トーマ博士の名前を聞いた瞬間、また一つ頭の中のパズルが組み上げられた。その複製体であるテラが、どうしてサヨさんと手を組んでいるのか──あるいは利用されているのか。


「テラを利用したのですか?」

「言い方に語弊があるわ。私とテラは目的を共にする同士。私がテラを利用していると表現するなら、テラも私を利用しているということになります。それは悲しいでしょう?」


 サヨさんの言葉に、私は言葉を失う。そして気付けば、剣呑な眼差しでサヨさんを睨み付けていた。私を信用して手の内を曝け出している上司に対して、取るべき態度でないのは分かっている。

 それでも耐え難い嫌悪感が、私の奥深くから湧き出して抑えられなかった。


「私にはテラの目的が見えません。サヨさんもご存知でしょうが、テラはどこか昇華サブリメイションを望んでいるふしが見られます。コアコンピュータへの妨害ジャミング行為は、テラの望みを遠ざけるようにしか思えません」


 テーブルに身を乗り出し、躙り寄るようにして尋ねる私。この瞳の奥を見透かすように覗き込んでから、サヨさんはオーバーリアクション気味に肩を落としてみせた。


「残念ですが、それは私にも分かりかねます。本音を言えば私の不安要素の一つでさえある。もしかするとテラは、あなたにならば何か動機めいたものを話すのではないかと期待していましたけれど」

「それは思い違いです。テラにとって私は、他のコンダクターと同様に死神の一人に過ぎません」


 腹の中を探り合うようなやり取りが、私に物悲しさを連れてきた。ほんの少し前まで、私とサヨさんはもっと近しい距離で語り合えていたのではなかったか。


「ホムラ、妨害ジャミングだなんて幼稚な言葉を使うと、テラが嫌がりますよ。『電極エーテルの海を渡って、未開の大地を切り拓く──俺は芸術ルネサンスだと思ってる』なんてね。天才の拘りは、私たち凡人には分かりませんから」


 テラの口真似をしながら茶化すように話すサヨさんは、自嘲気味にさえ見えた。それがアルコールのせいなのか、はたまたこれが自然体のサヨさんなのか、私は測りかねている。


 それと同じように、サヨさんとテラの関係性についても、私は測りかねていた──いや、理解出来ないと言い換えても良いだろう。男女の仲といった下世話な想像もそぐわない気がするし、かと言って相手の真意も見えないまま、反政府テロ行為の共謀者パートナが成立するものだろうか。


「サヨさんはテラを信用出来るのですか? そして私のことも──このまま私が、サヨさんを告発しないとも限りません」


 これは心外といった表情で、サヨさんが反駁する。


「ホムラ、それは矛盾していますよ。あなたが先に話したのです。『アリスの昇華サブリメイションを止める手段を探している』と──あなたこそ、どうして私に話したのですか?」

「それは──」


 答えあぐねる私に、サヨさんはさらりと言ってのける。


「全幅の信頼などこの世に存在しません。私たち人間に──そしてヒュムたちに必要なものは、倫理の物差しと天秤アリアドネの導きだけ、違いますか?」


 返す言葉もなく無言で肯定する。この世界は間違っていると──この世界は狂っていると感じる私の心は、サヨさんの言葉に静かに共鳴する。


「ホムラ、肩を落とさないでください。今日ここに来て、そしてあなたと話をして──私は心底安心したのです。あなたはたとえヒュムであれど、尊い生命体として、一つの人権として慈しむことが出来る。そんな当たり前の感情を忘れた人間の多さに、私はつくづく嫌気が差していました」


 自分の胸を撫で下ろしながらサヨさんは言った。その行為は、どこか芝居がかっているようにも見える。


「サヨさんがこんなに饒舌な人だったなんて、驚きです。けれどまさか、忘れてはいませんよね? 私たちはそのヒュムたちの人権を奪う、無慈悲な加害者のさいたるものですよ」


 自戒と牽制の意味を込めて私は言った。しかしこれは、戯れ言を遥かに通り越した失言だ。ここに至るまでのサヨさんの覚悟を思えば、こんなに馬鹿げた失言はない。


 サヨさんの瞳に、深くて昏い悲しみの色が宿った。しかしサヨさんは、愚鈍の極みである私を決して咎めようとはせず、その悲しみを私の見えない場所へと沈める。


「そうね……私は私にさえも、嫌気が差したのです。ねぇホムラ、感情論はこれくらいにして、話を続けてもいいかしら?」


 自分の失言を恥じながら、ただ黙って首肯を返す。空の拳を握りしめて、覚悟のない駆け引きを仕掛けようとした自分の愚かさを呪った。





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