EP10-03





 モニターの向こう側──複雑な古代彫刻レリーフが施された儼乎げんこたる扉を、テラの姿形をした彼が押し開ける。外海アンダーグラウンドとやらへの水先案内人を訝しげに眺める私に、彼は物知り顔で語りかけた。


「ホムラ、そんな顔をしないで──俺は"テラ"だよ? 君の良く知る、お調子者のアイツだ。この固定端末ターミナルの処理速度では、やはりこの思考回路に制限リミッターはかかってしまうけどね」

「馬鹿を言うな、テラは電子牢の中だ。きっと今頃は泣きべそをかいてる」


 テラを名乗る彼の妄言を、にべもなくねつける。何かを踏み躙られたような不快感が、じんわりと熱を持っていた。


 開かれた扉の向こうからは、ぐにゃりと捻じ曲がった時計盤や、いびつな形をした羅針盤の造形品エレメントが次々に飛び出してくる。一体何の暗喩メタファーなのか。出足から続く過剰演出にうんざりだ。


「もちろんこの会話内容ログを、後で本体俺自身と共有する必要はある。でもそれまでの間、本体テラにホムラの相手を任されている代替知能テラなんだ。そこに論理的矛盾はないよ」

「矛盾はなくても、私がお前をテラとすることに抵抗がある」


 モニターの中の彼を睨み付けながらも、さめざめと考える。こうして私に与える不快感までもが、テラ本人にそっくりだと。本当によく出来ている──嫌になるくらい。


「やれやれ、本当にホムラは堅物だな。じゃあ俺のことは、テラもどきテクスとでも呼んでくれれば良いよ」

「──いや、面倒だからテラと呼ばせてもらう」


 へそを曲げる私に、「面倒なのは君だろ」と言ってはくつくつと笑った。


「さぁ、さっさと案内してくれ。扉とか造形品エレメントとか、思わせぶりな演出パフォーマンスは全部スキップしてくれて構わない」

「せっかくの二人きりなのに、ホムラはつれないね。雰囲気ムードは大切だと俺は思うけれど」


 そう言いながらも、テラの背後を騒がせている古代彫刻レリーフ造形品エレメントが一斉に消失デリートされた。薄い笑みでぶつぶつと文句を垂れるテラだったけれど、大層残念なことに聞き取ることが出来なかった。是非とも字幕テロップ機能を実装するべきだ。


「テラ、果たして二人きりになる必要があったのか?」

「んー、それはどういう意味だい? もっと分かりやすく言ってくれると助かるな。処理能力不足で頭がぼんやりしててね」


 とぼけて言っているのか、本当にそう思っているのか分からない。私はこれ見よがしの溜め息を一つ挟んでから、噛み砕いて言い直す。


「こんなに手の込んだことをする必要があったのか、と聞いている。一朝一夕インスタントでここまでのことが出来るなら、サヨさんを通じて私と意思疎通コンタクトを取ることも出来ただろう」


 するとテラは乾いた笑い声を上げた。


「それは駄目だよ。サヨの目に付かないために、この方法を選んだんだ。俺だって試行錯誤してるんだよ? サヨは大切な協力者パートナではあるけれど、それは一蓮托生フィアンセって意味じゃないからね」

「お前のほうこそ──もっと分かりやすく言ってくれ」


 テラの言葉の意味を、詳しく問い直す。サヨさんの悲壮な決意を知る私には、聞き捨てならない発言だった。

 『死の匂いを知らない子供イノセントゲリラが、氷の国の魔女フロズンテンペストと同じ夢を見ているとは限らない』──引っ掛けミスリードだと判断した神奈木博士の言葉を、ほとんど同時に思い出す私。


「サヨはヒュムたちを解放したい。俺はヒュムたちを守りたい。その違いさ」

「それは同じ意味じゃないのか?」


 今度は、テラが溜め息を吐き出す番だった。


「ホムラ、君は今まで何を見てきたのさ。ヒュムたちを楽園DUMから解き放った後、この狂った世界にその受け皿があるとでも?」


 私は思わず言葉を失くす。それはつい最近、私が思い至ったばかりの思考だった。DUMを崩壊させたとしても、その先に明るい未来を思い描くのは難しい。人々が献体される為の生命ドナーズヒューマンを受け入れるためには、それこそ雪白ミツキ母さんのように何度も講演を重ねる必要があるだろう。


「俺はね、ヒュムたちを守りたいんだ。このDUMを乗っ取り、そこに新たな国家を作る。国家を失くしたこの時代に、唯一の国を作るのさ。人類の可能性Human Materiaが笑って生きられる楽園──誰も悲しまない死の匂いを知らない子供イノセントゲリラの国」


 理想を語るテラの瞳には、少年のように無邪気な輝きが灯っている。しかしともすれば、それは狂気の炎のようにも映った。そして彼は言い放つ、気高く雄弁に。


「俺たちは、この世界から独立する。永久複製医療術Unlimited Medical──それに永久電源機関エターナルバッテリィを用いて、俺たちは俺たちだけでこの世界を循環するんだ」


 独立──その言葉は、孤立と紙一重だ。それを知りながら私は、「馬鹿げた理想だ」と笑い飛ばすことが出来ない。

 循環──永遠の被献体者エターナルチャイルドが見ている世界を、爪の先ほども否定することが出来ない。


「壮大な夢を教えてくれて感謝する。実に複雑な気持ちだ」


 私が絞り出した一時凌ぎの答えに、テラの表情が僅かに陰る。

 しかしそれも一瞬。

 テラは無邪気に言う。


「ホムラ、他人事みたいに言わないでよ。俺はその新しい国家に、君を招き入れたいんだから」


 テラは片膝を付いて、かしずく従者のように跪いた。そう、あの時のように──。私に差し出されたのは、テラの鷲掴みで取り出された哀れで不衛生な心臓ブリキックハート


鏡合わせの倫理アンチクノッソスを──その心臓部コアコンピュータを、ホムラに受け取って欲しいと考えてる。君が導く世界なら、俺はどんな結末だって受け入れるよ」


 それは悪夢のような冗談だった。

 サヨさんの気持ちを踏み躙る、恐ろしく軽薄な冗談だった。

 モニター越しに隔たれていなければ、躊躇わずに胸ぐらを掴んでいただろう。テラが吐き出した世迷い言は、理解不能を遥かに越えていた。


「──誰にでもプロポーズするんだな。お前がそれを言うべき相手は、私じゃなくてサヨさんじゃないのか?」


 唇を噛み締める痛みで、怒りをどうにかやり過ごす。しかし私の胸中を渦巻くどす黒い感情を他所よそに、テラは口元を緩めてあっけらかんと言うのだ。


「ホムラ、俺の話をちゃんと聞いてた? 俺は今さっき、人類の可能性Human Materiaの国を作るって言ったばかりだ。サヨには俺たちの国に生きる資格はないんだよ」

「っ……! ふざけるのも大概にしろ!」


 私の腹の底から怒声が飛ぶ。やはり目の前の存在は、テラではないのだと思った。思考回路に制限リミッターがかかっているどころか、蟲喰いバグだらけの欠陥品プロトタイプだ。


「ホムラ、怒れてくるのも無理はないよね。俺も最初はそうだったから」


 深遠な目をした欠陥品プロトタイプが、私に怯むことなく悠然と語る。


「この外海アンダーグラウンドに沈む世界の真実を知った時、俺も怒りに震えたものさ」


 その表情に、私は恐怖する。

 無機的アンチエーテルだなんて──そんなに生易しいものじゃない。


 彼が映しているものは、ゼロだ。

 虚無を覗き込んでしまった賢者の絶望アブソリュート


 そこでモニターは暗転し、彼の姿も消え去った。

 やがてぼんやりと、軍旗を思わせる濃厚な赭色クリムゾンの幕が現れる。

 

 カタカタとフィルムの回る音を背後に、どこからともなく彼の声が響いた。


「ホムラ、一つずつ順に紐解いていこう。政府の検閲が覆い隠した、継ぎ接ぎだらけの世界を──」





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