EP10-04





 濃厚な赭色クリムゾンの幕がゆっくりと上がり、そこに記されていたのは『Anno西 Domini 2061』の文字。劇場仕立ての演出パフォーマンスが、やはり些か余剰だったけれど、テラの性格を思えばこれも致し方ないのだろう。


 ややあってから、絵本で見られるようなアナログの投影機が現れ、暖色のヘッドライトが闇を照らした。そこに浮かび上がったのは赤髪の少女。彼女ははちきれんばかりの笑顔を浮かべながら、両手で作ったハートマークを撮影者カメラに向けている。


 即座に理解する。あれは──私。

 夢の中の私よりも、更に幼くあどけない姿。


「──サヨさんよりも趣味が悪い。外海アンダーグラウンドとやらには、情報権限プライバシーの存在は皆無なんだな」


 背筋を這う不快感を隠そうともせず、私は剣呑な眼差しで訴えた。薄闇の向こうからは、彼──テラの穏やかな口調が返ってくる。


「ここに接続コネクト出来る技術があれば、どうせどんな情報権限プライバシーも意味がないさ。ふふ、それにしても──ホムラにもあったんだよね。こうして無邪気な笑顔を浮かべられる時代が」

「私は今でも無邪気に笑うよ。お前の前じゃなければな」


 笑いを噛み殺す声が響く。顔をしかめる私を見て、テラは面白がっている様子だ。


「今から17年前、ホムラ──君はこの世界に生み落とされた」


 続いて放たれたテラの言葉に、私は首を傾げる。『Anno西 Domini 2061』──それは確かに今から17年前だ。つまりこの映像が当時に撮影されたものであれば、スクリーンの中の私は4つか5つのはず。


 いや、わざわざそんな計算をするまでもなく、私の年齢は21だ。生まれ年はA.D2057。

 漠然とした不安感が、足元まで這い寄る。


「ホムラ──気持ちは分かるけどさ、恣意的に理解を遠ざけるのはやめてくれよ」


 テラの言葉を断絶シャットアウトしようと、私の心臓が悲鳴を上げた。

 『人類の可能性Human Materiaの国を作る』、『新しい国家に君を招き入れたい』──先ほどのテラの言葉が、理解から逃げ出そうとする私の退路を断つ。


「俺の言ってる意味が分からなくはないだろう? 君は生まれながらにして、すでに5歳児程のカラダだったのさ。人類の可能性Human Materiaは、不測の事態を避けるために新生児の状態を早送りキャンセルされる」


 テラは滔々と説いた。彼が語った内容は、一聴する限りどこも破綻していない。天鵞絨の繭ベルベットルームにある疑似子宮ヒステリアの中で、ヒュムたちの成長は早送りキャンセルされる──コンダクターである私にとって、それは一般常識。

 事実、DUMの内部に赤子は存在しない。


 ──だが。


「テラ、私をからかうのは楽しいか? そもそも、ヒュムがDUMの外に出るのは禁忌行為タブーだ。ましてや私の肉体は、日々こうして成長している。成長因子を残したままのヒュムの存在が、政府にやすやすと見逃されているわけがないだろう」


 動揺を悟られまいと、出来るだけ雄弁に言い放つ。反駁の機会を与えないために、私の防衛本能がそうさせたのかもしれない。


「ホムラ、どうか冷静に考えてくれよ。まずその当時、DUMはまだ設立されていない。それにいずれかの人工生命シュレーディンガー実社会に擬態メタモルフォーゼだよ」


 テラの理屈に打ちのめされそうになる。

 取るに足らない屁理屈だと信じたい私は、その抜け穴を必死で探した。


「そうだ、生体管理IDタグはどうする? 私たちの携帯端末ワールドリンクと強固に括りつけられている生体管理IDタグは、存在証明にも等しいものだ。これは私がヒュムではない証拠に──」


 少しずつ言葉尻が萎んでいく。全てを言い終わる前に、私は悟ってしまったのだ。と。

 のち永久複製医療術Unlimited Medicalを完成させる沓琉トーマの頭脳が、生体管理IDタグの偽造などに躓くわけがないのだ。


「──ホムラ、俺は悲しいよ。君がヒュムだったら、何か不都合があるのかい?」


 テラの悲しげな声色に、はっとして顔を上げる。

 私は何をこんなに動揺している?

 私はどうして、私がヒュムであることを頑なに拒む必要がある?


「結局のところ、君も奪う側の人間なんだ」

「テラ、違う。私は──」


 私は──。私は。

 私は。


 言葉を失った私に、テラは続けた。感情を覗かせない淡々とした口調で。


「雪白ホムラ。俺はただ真実を告げる。君は17年前、沓琉トーマの手によって創られた人類の可能性Human Materiaだ。107体の複製体姉妹と共に、君は創り出された」




 ──ひゃ、ひゃく? テラは、テラは今、何て言った?




「君の言うとおり禁忌行為タブーだったのさ。ヒュムやDUMの概念がまだ無い時代においても、いずれかの人工生命シュレーディンガーに対する倫理ジャッジは厳しく定められていた。閉鎖的な研究所ラボ以外の場所に人型の人工生命ヒューマノイドを放つことは、硬く禁じられた行為だった」


 遠く近く、テラの言葉が頭の中をすり抜けていく。


「だが沓琉トーマは──俺の遺伝子提供者ホルダーであるあの大馬鹿野郎アスホールは、自身の好奇心を抑えられなかった。政府が定めた禁忌行為タブーを躊躇なく破り、あいつは自分の創作物の完成度を測ろうとしたんだ」


 アナログの投影機が映したままの無邪気な私が、天使のような笑顔を向けている。その頭には、紛れもない天使の輪キューティクルリング。何も知らない少女の、純真無垢な姿。


「さぁホムラ問題だ。人型の人工生命ヒューマノイドの完成度を測るために、トーマはどうしたと思う? ヒントは数字、君も含めて108体の人型の人工生命ヒューマノイド──108という数に聞き覚えはないかい?」

「……広報用球体型全面液晶イクリプスビジョン


 消え入りそうな声で、そう答えた。

 するとテラは声を弾ませて言う。

 心底楽しそうに、とても嬉しそうに──それなのに悲しそうに、言う。


「正解だよ。108基の広報用球体型全面液晶イクリプスビジョンがそれぞれに聳え立つ108つのエリアに、人型の人工生命ヒューマノイドたちは別々にかくまわれたのさ。この数字の偶然は、一致というよりも意図されていたものだろう。つまりトーマは、最初から君たちを世界に放つつもりだった」


 耳を塞いでしまいたい衝動が、何度も押し寄せる。


「そしてホムラ──君はエリア004で、雪白ミツキの保護観察下に置かれた。


 私は、もう何も考えられなかった。私を寝かしつける際の母さんのおとぎ話のように、ふわふわとした浮遊感だけがある。テラは、その母さんさえものだと言う。雪白ミツキ私の母さん私の観察者母さんでないならば、雪白ミツキの遺産に悩まされる私はとんだ道化者だ。


 投影機が、カタカタと忙しなく音を立てはじめた。その音の数だけ、モニターの中に無数の私の姿が映し出される。

 泣き顔の私。ピースサインの私。無表情の私。怒っている私。アイスクリームを食べている私。後ろを向いたままの私。ボブカットの私。シャギーレイヤーの私。眼鏡をかけた私。被り物をしている私。


 どれが私で、どれが私じゃないのか、全く分からない。

 もしかすれば、その全てが私でない可能性もあるのだろう。


 胸を掻きむしるような想いが、私を押し潰しそうだった。窮屈な椅子に腰掛けたまま、大きく躰を仰け反らせる。するとそこには、水彩画の青空が広がっていた。仮眠室で見たものと全く同じ、不自然に塗り潰された空。コテージの中までもこの仕様ならば、電子牢の天井も、きっと同じ色をしているのだろう。


「ホムラ、つらいね。苦しいね。ごめんね。俺の我儘を、どうか許さないで。それでも俺は、君に知ってほしかった。神奈木コトハの介入で、随分と順序が狂ってしまったけれど──全てを知った上で、君に新しい国家の設立俺の描くシナリオを選んで欲しいんだ」


 私をモニターへと呼び戻すその声は──あまりにも沈痛で。

 姿の見えないテラが、今も私に差し出しているであろうその心臓を、心に思い浮かべた。


 その心臓に──私は指先を伸ばす。


「はは……続けてくれ。そして何が起きる? 今のところ、お前が怒りに震えるような事件は起きていないぞ」


 自分の声の弱々しさに、思わず嘲笑が漏れた。 


「その通りだ。この時点のトーマは、まだ狂っていない。自らが作った人型の人工生命ヒューマノイドが、どのくらい実社会に擬態メタモルフォーゼ出来るのか。それを確かめたかっただけの、ある意味で純粋な科学者だ」


 私はさめざめと思う。純粋であることが免罪符なら、その好奇心の果てに生み出されたこの身が報われないと。


「この頃の世界は、まだ狂ってなかったんだよ」


 テラが続けた不吉な言葉を、迎合するように私は微笑んでみせた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る