EP10-05





 無数の少女が消え去った後に、『Anno西 Domini 2065』の表記が現れる。信じたくもないの誕生から、4年の月日が流れたことになる。


「13年前、雪白ミツキの活動が実を結び、DUMの設立が公式化ロックされた。これについては、ホムラが一番よく知っているよね」


 私は無言で首肯する。母さん雪白ミツキが、自らの体調と引き換えに手に入れた大きな勲章。私のような考えテロリズムを秘める者にとっては、取り返しのつかない負の痕跡アーティファクト


「身も蓋もないことを言うと、DUMは先進医療に革命を起こす希望の槍であると同時に、世界経済に革命を起こす最強の切り札だった。経済循環マネーサーキュレイションと言ったら、とても悪趣味だけどね」


 その言葉の真意が掴めず、「どういう意味だ」と問う。


夢見る老人たちビューティフルドリーマーが蓄えた巨万の富を、経済市場に引きずり出すための手段だったのさ。健康で穢れのない最高級の臓器を、自身でも使い切ることの出来ない潤沢な資金で購入させる。これによって経済循環マネーサーキュレイションを引き起こそうという狙いが、当時の政府やトーマにはあったと記録アーカイブされてる」


 重たい塊が胸につかえる。それは憤慨にもっとも近い感情だ。


「胸糞が悪くなるけど、老人たちに向けて制作された青春映画ユースフルムービーもあるよ。その宣伝パートだけでも見るかい?」


 テラは私の同意を待たずして、青春映画ユースフルムービーとやらを投影し始めた。


 一瞬の乱れノイズが走り、モニターに映し出されたのは千切れかかった空。分厚い雲海の隙間から射し込む一条の陽光が、何よりも希望を連想させた。やがて風が雲を追い払うと、狙い澄ましたかのようなタイミングで管楽器パイプオルガンの音が鳴り響く。過剰なまでに神秘的エレメンタルな、世界の夜明け。


 ゆっくりと暗転してから、残響効果リバーブをたっぷりと効かせたアナウンスが挿入される。落ち着き払った男性の声ドランマティコだ。


大禍ヴォルテクスが過ぎ去り、数々の苦難を乗り越え、あなたがたは輝かしい世界を手に入れた。旧世界を新世界へと導いたあなたがたを、我々政府は、夢見る老人たちビューティフルドリーマーと呼び称えたいと思う】


 明転。金屏風ゴールドがあちらこちらに散りばめられた重厚な部屋に、ぽっこりとお腹の膨れ上がった老公が寝込んでいる。彼をぐるりと取り囲むのは、その家族たちか。誰もが悲痛に満ちた表情で、老公の姿を窺っている。

 

 老公が激しく咳き込むと、孫娘と思しき金髪の少女がその手を握り込んだ。まるであの夢の中の私のようだと、吐き捨てるように思う。

 気品のある顔立ちながらも、黄濁して濁りきった老公の瞳──二つの眼球が、胡乱な様子で虚空を彷徨っている。


【しかし誠に残念なことに、あなたがたに残された時間は多くない。夢見る老人たちビューティフルドリーマーが夢を見るその時間は、僅か爪の先ほどしか残されていないのだ】


 私の胸の奥で、ざらざらと毛羽立つ感情が警告アラートを鳴らす。この映像の全てを見るまでもなく、この後に続く展開は容易に想像出来た。


「テラ、もういい。分かった」


 片手を挙げて口を挟むと、瞬時にしてモニターは暗闇に戻された。もう充分だ。私たちの苦悩が、経済循環マネーサーキュレイションを引き起こすための副産物に過ぎないということは解った。母さん雪白ミツキの理想が、こうして密かに踏み躙られていたということも。


「ホムラ、だいぶ顔色が悪いよ。一度休憩を挟もうか?」

「いや、続けてくれ」


 何らかの要因アクシデントによってこの機会を逃してしまったら、次はいつになるか分からない。サヨさんがアリスに献体告知アナンシエイションを行う前に、全てにかたをつけられる展開が何より好ましい。


 音もなく『Anno西 Domini 2067』の表記。

 途端に迫り上がる吐き気を必死で堪える。

 2067──その年に起きた出来事といえば。


「そして11年前、とても悲しいことがあった。そう、君の保護者であり、同時に観測者でもある雪白ミツキが生命いのちを落としたんだ」


 予想通りの話題をテラが切り出した。けれど想定外だったのは、テラのその声があからさまに震えていたことだ。彼の声色には、かつて感じたこともないような動揺と悲しみが溢れている。その表情を窺えない今の状況を、私は酷くもどかしく思った。


「テラ──意外だよ。まさかお前が、母さん雪白ミツキの死を尊んでくれるなんて。母さん雪白ミツキの功績が、お前たちをこの地獄へ導いたというのに」

「ホムラ、母さんと呼んでやれよ。せめて俺の前では、母さんと呼んでやってくれないか」


 懇願するような口調に、私は尚のこと戸惑った。そんな私を、きっと慮ってくれたのだろう。テラは努めて明るい声を作って、言う。


「実はね、俺とミツキは面識があるんだ。彼女が本格的に体調を崩してしまう前に、ミツキは何度かDUMに足を運んでいたからね」

「そうなのか? まさか、テラとに繋がりがあるなんて──」

「──繋がりなんて、そんなに確かなものじゃないよ。ミツキからすれば、俺は大多数のヒュムのうちの1体さ。ミツキは、とても誇らしげに笑う人だった。そしていつだって、自分の作り上げたこの楽園を、慈しむように眺めていた」


 懐かしむようなテラの台詞に、私もそのまま引き込まれていく。濤声とうせいのように寄せては返す、母さんのやわらかさとあたたかさを思い出す。


「昨日のことのように覚えているよ。俺はぼんやりと、自分が昇華サブリメイションされる時はこんな綺麗な人に献体されたいなと思ったんだ。後になって気付いたんだけどさ、これはきっと俺の初恋だね」

「……初恋」


 独白のようなテラの言葉を、ぼそりと反芻する。


「ませてるだろ? あの頃の俺はまだ成長因子を残していたし、そもそも昇華サブリメイションされる資格なんてなかった。それにミツキの横には、いつもトーマの姿があったんだ。俺は子供ながらに、二人は特別な関係なんだと思ったよ」


 衝撃的だった。母さんが一人の生体学者として、沓琉トーマ博士に心酔しているのは知っていた。けれど、まさか女性として──私にその発想はなかった。


 前髪が切り揃ったあの頃の私も、テラと同じように子供だったということか。


「まさかそのミツキが、本当に躰を病んでいたなんてね。こっそり探ってみれば、彼女は重度の心疾患だった。彼女に永久複製医療術Unlimited Medicalが施されると知った時、俺は心底驚いたさ。そして同時に、悔しくて仕方なかった。自分の躰にまだ成長因子が残されていたことが、悔しくて堪らなかったんだ」


 複雑な感情が私の中を渦巻き、さらりと混ぜ込まれた不正探知スイープの示唆を見逃しそうになる。テラはやはり、生まれながらにして穎才ジニアスだった。その躰を幼くしても、沓琉トーマの複製体は鏡合わせの穎才アンチジニアスだったのだ。




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