EP09-02





 神奈木博士の仮住まいは、居住区と真反対に位置する資材庫の一角に作られていた。情報漏洩対策ピーピングキルとして電子パラソルが四隅に貼られている以外は、極々一般的な内装をしている。おそらくこの部屋は、元々客間として存在していたのだろう。そうでなければ、女性的ファンシー一歩手前の家具の彩色や壁紙の色が、賢人の上位互換ワイズマンジェネレートには似つかわしくないように思える。それともそれは偏見というもので、神奈木コトハ個人の趣味が反映された結果なのだろうか。


「神奈木博士、本日は貴重なお時間を割いて頂き感謝します。それにしても驚きました──まさかこのように、通信機器の一つも配備されていない部屋にお住まいだなんて」


 私は第一印象を正直に告げる。そう、内装の雰囲気よりも意外なことに、この部屋には輻輳する大海原ワールドウェブへコネクト出来る機器の一切が見当たらなかったのだ。その事実をきちんと確認するためにも、私はあえて冒頭で触れておくことを選んだ。


一般領域オープンスペース潜航ダイブしたところで何がある? それに私は休暇中の身だ。無論それは、私が自身に与えた自由の形態の一つに過ぎないが──今は能動的アクティブに何かをするつもりはない」


 自分が休暇中だと主張する神奈木博士。その言葉を証明するように、初対面の際に印象的だった準純白ホワイトアウトの白衣を、目の前の穎才ジニアスは着用していなかった。壁際に置かれた柑橘色シトラスオレンジのソファーに、濡羽色ブラックデプスのキャミソール姿で寛いだ様子の彼女。


「つまりあくまでも、自分の意思による休息バカンスだと仰りたいのですね。休暇を取られるのならば、もっと他に適した場所があるように思いますが──」


 『能動的アクティブに何かをするつもりはない』──その言葉が本心であれば、それはサヨさんや私にとって有益な心積もりマインドになるはずだ。私はそう考えて、しつこく食い下がってみた。


「いや、ここで良い。こうして再びお前と顔を合わすことも出来た。こんな私でも誰かの知恵の循環インテリジェンスの手助けが出来るなら、存外悪くない気分だ」

「──やはり皮肉なのですね。神奈木博士はいつも謙遜が過ぎます」


 相も変わらず手応えのない問答が、カウンセリングルームの時と同じように繰り広げられた。神奈木博士に促されるままに、幾何学的な形をしたスツールに腰掛ける私。


 サヨさんがどんな手順を踏んだにせよ、スキルアップのために私が特別研修エキシビジョンを申し込んだという形式を取っていると推測される。度を越えた失礼は、サヨさんにとっても致命傷だ。しかしながら中途半端な浅い踏み込みでは、神奈木博士の秀逸な思考回路の先を捉えることは出来ないだろう。


「雪白ホムラ、何が聞きたい? 繰り返しになるが、私は能動的アクティブに何かをするつもりはない。お前が踏み込まない限り、お前の望む知恵の循環インテリジェンスは得られないだろう」


 私の思考の細部までを、先読みされているかのような心許なさを覚える。神奈木博士の無機的アンチエーテルな微笑みと、キャミソールの裾から覗く蠱惑的な太腿とが対照的アンバランスに私を揺さぶる。


「……テラが起こした今回の騒動について、神奈木博士はどのようにお考えでしょうか。哲学的な観点から、そして倫理的な観点から──天才の上位互換エジソンジェネレートと称される穎才ジニアスならば、一体どう裁かれるのかと」


 私はあらかじめ想定していた設問の一つを繰り出した。コンダクターであれば誰もがいだいて当然の疑問──つまりこの問題に関しては、私が深く踏み込んだところで不自然さはない。

 そしてこれは、神奈木博士の現在の立ち位置スタンスを知る上で最も有効な設問でもある。


「雪白ホムラ──愚にも付かぬことを聞くのだな。穎才ジニアス穎才ジニアスの思考を知れるのなら苦労はない。それとも、お前は隣人の考えを千里眼アン・オプティカルのように見通せるとでも? そしてその上で、自らが裁けるとでも考えているのか?」


 鋭い反問が私を打ちのめす。神奈木博士の理屈は、酷く正論のように思えた。たとえ複製体であれど、テラの躰を構成する遺伝子が沓琉トーマ博士のものである以上、安易な憶測が通じるはずもない。それにサヨさんも言っていたはずだ。『天賦の才というものは存在する。後天的な影響など瑣末な問題に過ぎない』と──。


「申し訳ありません──浅はかな質問でした。けれど神奈木博士──あなたは私に、政府解体リベラルの実現を仄めかしました。あの時の一連の発言は、隣人の正しさを計測し、隣人の過ちを裁く行為の正当性を示唆しています」


 足りない頭を最大稼働フルスロットルさせて、神奈木博士に必死で食らいつく。屁理屈トップヘビーでも分からず屋ボトムヘビーでも構わない。私は神奈木博士から、を引き出す必要があるのだ。そして可能な限り、神奈木博士を安全牌セーフティに近付けることが出来れば満点評価パーフェクトである。


 あれこれ企てる私の面持ちは、よほど強張っていたのだろうか。神奈木博士はふいに立ち上がると、私の目前に近付いてこの両頬をつねりあげた。賢人の上位互換ワイズマンジェネレートが取った予想外の行動に、私の口から「ひゃいっ?」と頓狂な声が漏れる。


「なっ、何を?」

「雪白ホムラ、何度も言わせるな。──私は全知全能オールマイティであると同時に、粗悪品オルタナティブなのだ。政府の方針を知ることは容易くても、生体の心を識ることは叶わない」


 神奈木博士は、どこか陰りのある表情で告げた。そして再びソファーに体重を預けると、予想だにしないことを口走る。


「お前、性欲はあるか?」

「……え? ま、まぁ人並みには──」


 神奈木博士からの突拍子もない質問に、声を上擦らせながら答える私。彼女の表情には、先ほど覗かせた陰りの色などすでに微塵もない。


「そうか。私には無い。性欲どころか、私の生殖器官は完全に機能を失っている」


 独白のように淡々とした口調で、感情の抜けた言葉が並べられた。まるで自分自身を分析した診断書レポートでも読み上げるかのように。


「──神奈木博士、それが事実であれば残念な限りですが……その、今は本題から外れているかと」

「続けて尋ねる。お前は、子孫繁栄の手段を持たない生命体を"優"だと言えるか?」


 私のはぐらかしなど歯牙にも掛けず、神奈木博士は質問を重ねる。いつの間にか、立場が逆転しまったようにさえ思った。私が学ぶべき特別研修エキシビジョンの時間は、神奈木博士からの取り調べチェックアップの延長戦になってしまっているのだ。


 しかし考えようによっては、神奈木博士の思想の片鱗を引き出す好機でもある。頭の片隅であざとい駆け引きを繰り広げる私に、嫌悪感を覚えないと言ったら嘘になるけれど。


「博士、正直に申し上げます。それは差別的思考です。世の中には、自分の意思とは関係なく生殖機能を失った人たちが多数存在します。ですから"優"でもなく"劣"でもなく、穎才ジニアスが得意とされる皮肉にすることも許されません」


 私はあえて強い口調を意識して断言する。しかし安い目眩ましチートアウトに騙されるはずもない神奈木博士は、極めて淡々と追求を続けた。


「この場に感情論は不要だ。答えろ」

「私の知る限り、神奈木博士は人類の誇りです。技術を──未来を開拓している」


 諦めが悪い私の返答に、神奈木博士が嘆息にも似た落胆の吐息を漏らす。彼女との会話の中で、ここまで露骨な感情を浴びせられたのは初めてだった。


「雪白ホムラ──私は『生命体』と言ったのだ。誰が私自身神奈木コトハを慰めろなどと言った」


 私を叱責するような──それでいて諭すような視線で、神奈木博士が私を見やる。その瞳から、無機的アンチエーテルを感じることは出来なかった。

 ようやく負けを認めた私は、おずおずと本音を零す。


「──"優"ではありません。ええ、もちろんあなたも、ヒュムたちも」


 その言葉を口にすると、途方もない脱力感に見舞われた。周知の事実を、こうして言葉にして認める行為が、どうしてこんなにも残酷なのか。


「そうだ。"優"ではない。この私も、楽園のヒュムたちも、だから──」


 神奈木博士が、躊躇いがちに言葉を選ぶ。それは賢人の上位互換ワイズマンジェネレートが見せる初めての逡巡だった。


 僅かな沈黙の中に、彼女の体温を感じる。


「だから雪白ホムラ──道を見誤るな。お前はまだ、触れるべき真実に触れていない。人間ヒューマンは自由を支払い、人間もどきヒューマンマテリアは臓器を支払い続ける。ならば私は──お前は何を支払い続けるのだ?」

「神奈木博士、仰る意味がよく──」


 神奈木博士は、私の言葉を片手で制すると、視線の動きで電子パラソルを確認した。情報漏洩対策ピーピングキルは、正常運転を示すサンライトグリーンの点滅を繰り返している。


 ややあってから、神奈木博士はこう独りごちた。「ルール違反も、私が自由であるがゆえか」と──。

 そして続ける。これは独り言ではない。私へと向かって、神奈木博士は語りかける。


死の匂いを知らない子供イノセントゲリラが、氷の国の魔女フロズンテンペストと同じ夢を見ているとは限らないということだ」





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