EP09-02
神奈木博士の仮住まいは、居住区と真反対に位置する資材庫の一角に作られていた。
「神奈木博士、本日は貴重なお時間を割いて頂き感謝します。それにしても驚きました──まさかこのように、通信機器の一つも配備されていない部屋にお住まいだなんて」
私は第一印象を正直に告げる。そう、内装の雰囲気よりも意外なことに、この部屋には
「
自分が休暇中だと主張する神奈木博士。その言葉を証明するように、初対面の際に印象的だった
「つまりあくまでも、自分の意思による
『
「いや、ここで良い。こうして再びお前と顔を合わすことも出来た。こんな私でも誰かの
「──やはり皮肉なのですね。神奈木博士はいつも謙遜が過ぎます」
相も変わらず手応えのない問答が、カウンセリングルームの時と同じように繰り広げられた。神奈木博士に促されるままに、幾何学的な形をしたスツールに腰掛ける私。
サヨさんがどんな手順を踏んだにせよ、スキルアップのために私が
「雪白ホムラ、何が聞きたい? 繰り返しになるが、私は
私の思考の細部までを、先読みされているかのような心許なさを覚える。神奈木博士の
「……テラが起こした今回の騒動について、神奈木博士はどのようにお考えでしょうか。哲学的な観点から、そして倫理的な観点から──
私はあらかじめ想定していた設問の一つを繰り出した。コンダクターであれば誰もが
そしてこれは、神奈木博士の現在の
「雪白ホムラ──愚にも付かぬことを聞くのだな。
鋭い反問が私を打ちのめす。神奈木博士の理屈は、酷く正論のように思えた。たとえ複製体であれど、テラの躰を構成する遺伝子が沓琉トーマ博士のものである以上、安易な憶測が通じるはずもない。それにサヨさんも言っていたはずだ。『天賦の才というものは存在する。後天的な影響など瑣末な問題に過ぎない』と──。
「申し訳ありません──浅はかな質問でした。けれど神奈木博士──あなたは私に、
足りない頭を
あれこれ企てる私の面持ちは、よほど強張っていたのだろうか。神奈木博士はふいに立ち上がると、私の目前に近付いてこの両頬を
「なっ、何を?」
「雪白ホムラ、何度も言わせるな。お前たちのことは、何も分からない──私は
神奈木博士は、どこか陰りのある表情で告げた。そして再びソファーに体重を預けると、予想だにしないことを口走る。
「お前、性欲はあるか?」
「……え? ま、まぁ人並みには──」
神奈木博士からの突拍子もない質問に、声を上擦らせながら答える私。彼女の表情には、先ほど覗かせた陰りの色などすでに微塵もない。
「そうか。私には無い。性欲どころか、私の生殖器官は完全に機能を失っている」
独白のように淡々とした口調で、感情の抜けた言葉が並べられた。まるで自分自身を分析した
「──神奈木博士、それが事実であれば残念な限りですが……その、今は本題から外れているかと」
「続けて尋ねる。お前は、子孫繁栄の手段を持たない生命体を"優"だと言えるか?」
私のはぐらかしなど歯牙にも掛けず、神奈木博士は質問を重ねる。いつの間にか、立場が逆転しまったようにさえ思った。私が学ぶべき
しかし考えようによっては、神奈木博士の思想の片鱗を引き出す好機でもある。頭の片隅であざとい駆け引きを繰り広げる私に、嫌悪感を覚えないと言ったら嘘になるけれど。
「博士、正直に申し上げます。それは差別的思考です。世の中には、自分の意思とは関係なく生殖機能を失った人たちが多数存在します。ですから"優"でもなく"劣"でもなく、
私はあえて強い口調を意識して断言する。しかし
「この場に感情論は不要だ。答えろ」
「私の知る限り、神奈木博士は人類の誇りです。技術を──未来を開拓している」
諦めが悪い私の返答に、神奈木博士が嘆息にも似た落胆の吐息を漏らす。彼女との会話の中で、ここまで露骨な感情を浴びせられたのは初めてだった。
「雪白ホムラ──私は『生命体』と言ったのだ。誰が
私を叱責するような──それでいて諭すような視線で、神奈木博士が私を見やる。その瞳から、
ようやく負けを認めた私は、おずおずと本音を零す。
「──"優"ではありません。ええ、もちろんあなたも、ヒュムたちも」
その言葉を口にすると、途方もない脱力感に見舞われた。周知の事実を、こうして言葉にして認める行為が、どうしてこんなにも残酷なのか。
「そうだ。"優"ではない。この私も、楽園のヒュムたちも、だから──」
神奈木博士が、躊躇いがちに言葉を選ぶ。それは
僅かな沈黙の中に、彼女の体温を感じる。
「だから雪白ホムラ──道を見誤るな。お前はまだ、触れるべき真実に触れていない。
「神奈木博士、仰る意味がよく──」
神奈木博士は、私の言葉を片手で制すると、視線の動きで電子パラソルを確認した。
ややあってから、神奈木博士はこう独りごちた。「ルール違反も、私が自由であるがゆえか」と──。
そして続ける。これは独り言ではない。私へと向かって、神奈木博士は語りかける。
「
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