Absolute03

【擬態──創られた空を舞う。穎才の拍動は高鳴りに焦がれるのか】

EP09-01





 室内型太陽イン・ザ・サンの陽射しは今日も降り注ぎ、四季循環設定シーズンローテーションが少しずつ夏を呼び寄せる。広大なメインガーデンの景色に憂いの色を探そうとも、彼方から駆け寄ってくる亜麻色の髪をした天使が微笑ましさを灯すだけだ。


「ホムラちゃん、おはようございます」

「おはよう、アゲハ。アリスは? 一緒じゃないのか?」


 アゲハは、私に向かってぺこりと頭を下げる。こんなやり取りを、一体何度繰り返してきただろう。

 しかしそれも残り僅か。遅くとも三日以内に、アリスには献体告知アナンシエイションが突きつけられるはずなのだから──。


「アリスも居るよ? ほら、あそこ! 『走らなくてもホムラは逃げねえし──』って言ってた!」


 アゲハの指差す方向を見やれば、いかにも気怠そうなアリスの姿。頭上に天使の輪キューティクルリングを引き連れながら、気の乗らない動作でだらだらと歩いてくる。


「今日の講義はホムラちゃんかな? お絵かきもお喋りもしないけどねぇ」


 アゲハの大きな瞳が、子犬か何かのように物欲しげに輝く。その瞳の中に映る私は、エメラルド色に染まった困り顔を浮かべていた。


「すまん。今日の受け持ちの中にアゲハの名前は無かった。それにアリスも」


 つい先ほど、中央管理室コア・ルームでのアップデートを終えた私の携帯端末ワールドリンクに記されたのは、"特別研修エキシビジョン"という見慣れない単語だった。いかにもサヨさんらしい伝え方だと辟易しながらも、来るべき時が来たのだと揺らぐ決意を固めにかかる。


「えーっ。じゃあせめてイマリちゃんが良いかな。テラくんとも全然一緒にならないし、何か最近つまんないんだよね……」


 アゲハが思いつくままに挙げるイマリやテラの名前に、幽々たる後ろめたさを覚える。唇を尖らせるアゲハの髪の毛をくしゃくしゃと掻き回すと、それこそ彼女は子犬のようにじゃれついてきた。


「んー、なんか誤魔化されてねーか? アゲハ」


 やや遠くから、棘のある言葉が投げられる。唇の端を吊り上げたアリスが、私の腰元に腕を回すアゲハを引き離した。


「ったく、相変わらずホムラは穴だらけだぜ」

「穴だらけってどういう意味よ。アリス、おはよう」


 アリスはこれ見よがしの溜め息を吐いてから、いかにも面倒くさそうに「おはよ」と零した。それを見たアゲハの顔がぱっと明るくなる。


「ここのところテラは姿を見せねーし、ホムラに至っては毎日この辛気臭い顔。ひょっとして次の昇華サブリメイションの予定でも立ったんじゃねーの?」


 欠伸を噛み殺しながらアリスが訝しむ。その言葉の裏側には、"どうか冗談で済んでほしい"という願いが込められているはずだ。この気怠い動作さえも、本心を隠すためのカモフラージュ──アリスはそんな女の子だから。


 唇の端をきゅっと結んで、アゲハが考え込む仕草を見せる。ややあってアリスの言葉の意味を理解したらしいアゲハは、慌てた様子で私に問いかけた。 


「ホムラちゃん、ホントなの? まさか……テラくんが居なくなっちゃう?」


 大きな瞳に滲んだ雫を、私はそっと指で拭き取る。そして努めて平静を装いながら、目の前の天使たちに告げた。


「大丈夫、何の心配もない。テラの気まぐれはいつものことだろ? 誰も居なくなったりしないよ。ほら、私は批判的意見テロリズムが目立つからな。居なくなるとしたら私かな」


 私の冗談になおのこと動揺するアゲハと、より一層険しい眼差しで私を観察するアリス。やがてアリスはやれやれと肩を竦めてから、「アゲハを余計に泣かせるつもりかよ」と私を咎めた。


「──すまない。私はもう少し冗談の練習をするべきだな。今度、ゆっくり教えてくれるか?」

「……うん。ほんとに冗談だよね? ホムラちゃん、居なくならないよね?」


 再び泣き出しそうになるアゲハの肩を、アリスがそっと抱き寄せる。意外にさえ思える大人びた行動が、アリスの成長を強く意識させた。


 ──私の内側で、決意の炎が強く燃え盛る。


「はい解散。あなたたち、ホムラの邪魔をしないの」


 良く通る声を張りながら、後方よりサヨさんが現れた。本当に私たちは、こんなやり取りを何度繰り返してきただろう。永久就職リブインを果たしたサヨさんの首もとには、権力を示す綺羅びやかな頚飾バングルがはめられている。権威と信頼の象徴である頚飾バングルは、政府への忠誠を現す鎖のようにも映った。


 凛とした歩調も、淡麗な顔立ちも──不機嫌さを隠そうともしない鋭い目付きも、全てが氷の国の魔女フロズンテンペストそのものだ。サウンドホールでの出来事が、白昼夢デイドリームか何かだったのではないかと不安にさせるくらいに。


「ホムラ、あなたもあなたよ。ここでじゃれ合う暇があるのなら、特別研修エキシビジョンのシミュレーションでもしたらどうなの? あの神奈木博士ディア・ジニアスと直々に話す二度目の機会に恵まれるなんて──幸運に躓くラッキーパンチにもほどがあると思うけれど」


 凍てついた声が私を導く。

 その名女優オスカーっぷりには舌を巻くしかない。


「サヨさん、永久就職リブインされてからも変わらずに気を掛けてくださり、感謝の言葉もありません。この雪白ホムラ、必ずやそのご期待に応えてみせます」


 薄ら寒い社交辞令と共に、私の内なる決意をサヨさんへ伝えた。私の受け答えを傍で聞いていたアゲハとアリスは、なぜだか目を丸くしてお互いを見つめ合っている。


「どうしちゃったの? ホムラちゃん」

「ホムラ、なんか気持ち悪いぞ」


 どうやら私の演技力は、名女優オスカーには程遠いようだ。二人の天使は、青褪めた顔で私の正気を訝っている。そしてあろうことか、サヨさんまでもが私を鼻先でせせら笑うのだ。


「ホムラはこれだから困るわね。口先だけのお世辞よりも、私を唸らせるような報告レポートを出してみなさい」


 嘲笑を重ねながら、ふんっと鼻を鳴らすサヨさん。その鋭さが演技でなければ、私は気圧されて閉口してしまっただろう。


「私にお任せください。煙たがられるほどの啓発的な人間ストイックマンになって、サヨさんの片腕になってみせます」

「ではこれからの私は、二度と愚かで啓発的な人間ディア・ストイックマンにならずに済みそうね。思う存分に学んできなさい。


 演技とは思えないほどの迫力と重圧を残して、サヨさんは颯爽と去っていく。いつもの芳香が、少しだけ遅れて鼻先に漂ってきた。ブレザーの裾を引かれて振り返れば、アゲハとアリスが複雑な表情を浮かべて私を見つめている。


「どうしよう。ホムラちゃんが壊れちゃった」

「あ、あのさ、何か悩みがあるならあたしが聞くぜ?」


 戸惑いながらも私を心配してくれる二人に、なけなしの母性をくすぐられる。

 彼女たちを慮る資格さえもない私は、せめてその資格を手に入れるためにやれることをやるだけだ。


「ありがとう。でも私の心配は無用だ──お前たちもしっかり学んでこい」


 決して名女優オスカーにはなれなくても、ありのままの笑みで二人に答えた。ヒュムたちが学ぶ外観的歴史確認エティックヒストリィ内観的倫理教育エミックモラル──その他全ての学びを無駄にしないために、私には往くべき道がある。


「ホムラちゃん……なんか今日は本物の先生みたい」


 アゲハの無邪気な発言が私を救う──救われた気になってしまう烏滸おこがましい自分自身を憎むのはもう終わりだ。私は私を赦すために、私に出来る行動を選ぶだけ。


「アゲハ、ホムラは先生だぞ。もちろん出来損ないの先生だけどな」


 そう言った後で、アリスが小さくはにかんだ。私は思わず、アリスの小さな躰を抱きしめる。未熟なコンダクターとしてではなく、ただの一人の人間として。


 「離せよ」と抵抗する彼女の後ろから、今度はアゲハが躰を寄せた。その二つのぬくもりは、私の決断に確かな"正しさ"を与えてくれるのだった。


 



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