EP08-05
「天賦の才というものは存在する──そう確信させるほどに、テラの演算処理能力は優れていました。人体の秘めたる才能が、その後の環境や努力に左右されるとしても、後天的な影響など瑣末な問題に過ぎないと、今の私は断言出来る」
陶酔するかのような口調でサヨさんは語った。彼女の纏う甘やかな香りを、今更ながらに意識する。
「
「自ら
「ええ。彼はそれを"
けれど──。
「サヨさんの話が真実なら、
そう、サヨさんの話に偽りがないのなら、大きな疑問が残る。サヨさんが私を勧誘する辻褄が合わないのだ。ただでさえ、これといった特技のない私を引き入れるメリットが見えない。それなのにサヨさんは、一体何を思って私にこの話を切り出しているのか。
グラスの中に溶け残った氷が結露を呼び、テーブルの上を濡らしていた。サヨさんは華奢な人差し指をその端へと伸ばし、引っ掻くようにして『N』と『O』を綴る。
「そうね。私もそう思っていました。私の役割も、一時は終わったと錯覚した──テラに必要な情報を提供し、
引き伸ばされた卓上の湖を、より激しく掻き回すサヨさんの指先。それは水溜まりで遊ぶ幼子のステップから、小さな生命を踏み潰し蹂躙する激しさへと変わる。明確な苛立ちを宿したその動きは、私が今まで目にしてきたどのサヨさんよりも人間的な感情を灯していた。
「
サヨさんの眉間が歪む。告げられた事実は、"沓琉トーマ"という天才が遺した皮肉な意思表示に思えてならなかった。誰の言葉も届かず、どんな理屈も通用しない核のような場所が、私たちの心には存在する。この心には──ともすれば脳内には、何者にも左右されない
きっとそれこそが、
「私とテラが、
「──四年、も?」
さらりと述べられた四年という月日に、思わず脱力してしまう。このDUMの中での四年間は、光陰流水の如しというわけにはいかないだろう。その
「そう、四年です。この四年間こそが、私の本当の戦いでした。私が老師に──
ダンスフロアから上がる歓声は、もはや別世界のものだ。体躯を震わせる轟音は、私たちの心の振れ幅を余計に浮き彫りにさせるだけ。
「
サヨさんの全身からは、悲壮な決意が滲み出ていた。
「まさか……まさかサヨさんは、そのために
防音フェンスの内側に響く彼女の無言が、私の言葉を肯定する。
私は狼狽の色を隠せない。確かに
サヨさんは、その
「ホムラ、あなたに想像出来ますか? 本当に、本当に長い地獄でした。不本意な
サヨさんの、震える声。それでも彼女は、強い眼差しのまま私を直視している。
その凛々しさが痛々しくて、正視に堪えなかった。
そして私は、何も出来なかった。何を言ってあげることも、出来なかったのだ。
「ホムラ、そんな顔をしないで。私やテラの全てが、まだ無駄になったわけじゃないの。この地獄を終わらせるための──ここに来るまでのヒュムたちの犠牲を無駄にしてはいけない」
精一杯に微笑もうとするサヨさんに、私は出来る限り戸惑いを隠しながら──問いかける。ここから、前を向くために。
「サヨさん。私は……何をすれば? やはりテラの救出でしょうか?」
サヨさんはゆっくりとかぶりを振って答える。
「テラの隔離については、まったく問題ないわ。神奈木博士がDUMに来訪してからテラが隔離されるまでに、全部で五日もあったのよ。それだけの準備期間があって、
今度は私がかぶりを振る番だった。そして更に分からなくなる。この状況において、サヨさんが私に託そうとしていることとは、一体何だ?
「差し当たっての課題は大きく二つ。
「神奈木博士の──退場」
理解が追いつかず、間抜けな反芻が口許から漏れる。
「あなたと神奈木博士の対談には本当に驚かされたわ。まさかあなたが、あの
「からかうのは止めてください。あれは一方的に私が振り回されていただけです」
「そうかしら? 神奈木博士は言っていたじゃないの。『私はお前を対等だと思っているよ』と。
盗み聞きを憚る様子もなく、サヨさんは言った。
掴みどころのない神奈木博士との会話を思い出す。縦横無尽に反復する思考の羅列。私を試すような、それでいて思想を手繰り寄せるかのような
「ホムラには、今回の件に対する神奈木博士の
「……それは穏やかじゃないですね」
馬鹿げた言葉を口にする私は、やはり覚悟が足りないのだろう。あるいは
「その時が来たら、私から報せます。それまでにあなたの気が変わらないことを願っていますよ」
「──素敵な上司に恵まれたことを感謝します」
サヨさんは魅力的で、同時に残酷だった。
サヨさんが耐え忍んだ月日の長さを聞かされた私が、今さらこの程度の葛藤で、
それでも私は、手段を掴みかけている。先行きは暗闇ばかりでも、アリスの
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