EP09-03





 ──死の匂いを知らない子供イノセントゲリラが、氷の国の魔女フロズンテンペストと同じ夢を見ているとは限らない。


 空白ホワイトアウト動転ホワイトノイズが入り交じる中で、神奈木博士の言葉を反芻する。死の匂いを知らない子供イノセントゲリラ──その言葉をテラのことだと仮定して、神奈木博士の真意を推量しにかかる。


 テラとサヨさんの反政府計画テロリズム終着点ゴールは、似て非なるもの。

 直球で捉えれば、当然そういう意味だろう。

 

 思えばサヨさんは、DUMの運営を鏡合わせの倫理アンチクノッソスへと移行させた後の計画ビジョンを、明確には口にしていない。停止フリーズ破壊クラック解放フリーダム根絶ジェノサイド──彼女がどのような手段を選ぶにしても、テラが思い描く終幕フィナーレとの差異が存在する可能性は多分にあるだろう。


 だから問題はそこじゃない。神奈木博士に、こちらの思惑が全て気取られているということ──死の匂いを知らない子供イノセントゲリラ氷の国の魔女フロズンテンペストが、共犯者パートナであることが筒抜けである可能性。真の問題はそちらのはずだ。


 つまり今の発言は、神奈木博士からの牽制行為。事を起こす前にここで踏み留まるのだぞという、恩情にも似た警告。

 ならば私は、全力でしらを切る必要がある。神奈木博士の発言の意味を、一片たりとも理解出来ていないと示す必要が──。


 そう結論付けそうになって、すんでのところで撤回した。

 違う、そうじゃない、落ち着いてよく考えろ。


 これははったりプラフだ。丸ごと引っ掛けミスリードだ。『穎才ジニアス穎才ジニアスの思考を知れるのなら苦労はない』と、先ほど神奈木博士本人が言ったばかりじゃないか。

 今の発言は、神奈木博士の仕掛けた罠。だから私は決して、彼女に動揺を見せてはならない。いや、それさえも違う。


 私は──

 その


 決断。そして回答。


「神奈木博士、あの──どうして今ここでサヨさんの名前が出るのでしょう? 永久就職リブインを済ませたサヨさんが、テラの更生方針リザレクションを決める一端を担っているのは事実かもしれませんが──」


 更生方針リザレクション──虫唾の走る言葉をあえて選んで、歯切れ悪く問いかけた私に、神奈木博士は冷笑とも嘲笑ともつかない笑みを返した。

 今のは危なかった。私は後ほんの少しで、テラとサヨさんの水面下の繋がりを晒してしまうところだった。最大の窮地をひとまず回避し、内心では安堵の息を吐き出す。


「そうか、お前がこれからも無意識の被愛妄想シンデレラ・コンプレックスに溺れていたいというのなら、それで構わん。政府は世界を救わない。九流くりゅうゲントクも、天語あまことサヨも、テラも──もちろんこの私も」


 賢人の上位互換ワイズマンジェネレートの思考回路が、一気に回転を早めた。私がテラならば、あるいはサヨさんならば、その言葉の意味を即座に理解し、対等にやり合えるのだろうか。もっとうまく、駆け引き出来るのだろうか。


 神奈木博士は続ける。私の理解を待たずして。


残悔リグレットの渦に足を踏み入れようとするお前を、私は決して止めはしない。幾つもの倫理観フィルターに濾過されたその瞳で、世俗に染まるのも一興だろう」


 何かを言わなければ、何かを返さなければ──そんな焦燥が胸を逆巻くばかりで、言葉が見つからない。目の前の穎才ジニアスは、私に何を訴えているのか。神奈木博士ディア・ジニアスは、『道を見誤るな』と言っておきながら、一向に

 そこまでを思い至って、私はようやく理解した。


 つまりこれが、無意識の被愛妄想シンデレラ・コンプレックス

 受動的な──あまりにも受動的な卑しさ。


 今回の対談における、私の主観の不在。

 前回の取り調べチェックアップの際に、私が確かに持っていたはずの、主張するべき意見エゴの喪失。

 私は私の役割ミッションを意識するあまり、神奈木博士の真意を尋ねられる距離にいないのだ。及第点を叩き出したつもりの私の返答は、正答マニュアルをなぞっただけの陳腐な付け焼き刃に過ぎない。


 神奈木博士は、さぞかし落胆しただろう。

 腑抜けた私を前に、生きる治外法権パブリックアウトローである必要はないのだから。


 私は肺いっぱいまで空気を吸いこみ、出来る限りゆっくりと吐き出した。

 そこから更に心臓の鼓動が静まるのを待ち、ようやく口を開く。


「……世俗には染まりません。私は永久複製医療術Unlimited Medicalの正しさに懐疑的です。この楽園DUMの価値にも、白か黒モノクロームしかない政府の取り決めジャッジにも、極めて懐疑的な立場です」


 賢人の上位互換ワイズマンジェネレートの第一印象を、そっと思い返す。清廉というよりも純潔で、純潔というよりも無私──そして、無私どころか無心。

 彼女には、関係がないのだ。私がどんな人物でも、たとえ危険思想の保持者テロリストでも──生きる治外法権パブリックアウトローにとっては、些末な問題でしかない。いや、


 そして私にも、関係ないのだ。テラの意志がなくても、サヨさんの意志がなくても──たとえ誰の協力や後ろ盾がなくても、私はアリスを救いたかった。

 私は私の意志で、DOMEドーム がた Unlimitedアンリミテッド Medicalメディカルを終わらせたいのだ。


 だからこそ、成立するはず。

 私がたった今思いついたこの駆け引きは、きっと成立する。


「神奈木博士。私はアリスというヒュムの昇華サブリメイションを止めたいと考えています。今もこうしてあなたと対峙しながら、その手段を探っている最中です」


 私は滑らかな口調で言い放った。

 嘘偽りはない。私はそのために神奈木博士を探していた。だからこそ、賢人の上位互換ワイズマンジェネレートと再び対峙出来たこの機会を、腹の探り合いで終わらせるわけにはいかない。


 乾いた笑いを僅かに零しながら、「反逆行為だぞ」と神奈木博士は言う。私を値踏みするような目線が、そこにはあった。それは確かに、生きる治外法権パブリックアウトローの眼差し。


「裁きたければ、どうぞ裁いてください。しかし私は最大限抵抗します。と言っても、私には護身用の熱照射銃ブラスタくらいしかありませんけれど」


 緊張も恐怖もうに通り越して、もはや笑みさえ溢れた。支給品の熱照射銃ブラスタを、私は部屋のどこに仕舞い込んだっけ。そんなことを呑気に思い巡らす余裕さえ生まれる。


「そうだ。お前には何も出来ない。何も変わらない。変えられはしない。不条理な世界の仕組みインビシブルウォールは、隙間なく積み上げられている。その強大な壁を前に、お前はあまりにも無力だ」

「そうですね、私は何も出来ません。ですから最悪の場合は──熱照射銃ブラスタをゲントク老師に突きつけましょうか。ふふ、あくまで最終手段ですけれど」


 名女優オスカーに成った私の口から、次々と言葉が溢れる。この言葉の一つ一つが、私が持ち得る覚悟の全てだ。

 私が差し出せるものは──駆け引きの天秤に釣り合うものは、この身くらいしかない。私は私の危険リスクと引き換えに、神奈木博士の立ち位置スタンスを見極める。そこにテラやサヨさんの意志はない。ただの一欠片も。


「さぁ、どうされますか。私は反乱分子テロリストです。この楽園の危険因子です。神奈木博士、あなたはどうされますか」






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