EP09-04





 私が突きつけた一世一度バーサークの駆け引きは、とても狂気の沙汰じゃない。覗き魔ピーピングトムを許さない四組の電子パラソルに、有り難みさえ感じる。そう思えば、あのサウンドホールでの状況に割と近いのかもしれない。

 さぁ、どうする。いかに穎才ジニアスの思考回路とあれど、さすがに逡巡を強いられる場面だろう。


 しかし私の予想に反して、神奈木博士に沈黙はなかった。

 そして──。

 私を糾弾する言葉も、あるいは説得を試みる様子も、神奈木博士には見られなかった。

 

 では、彼女はどうしたのか。

 

 彼女はただ、お腹を抱えて笑った。

 子供のように破顔しながら、甲高い声を上げて。


 初めて目にする賢人の上位互換ワイズマンジェネレートの様子に、私は戸惑いを覚える。その瞬間、名女優オスカーの熱が逃げていくのを自覚した。とんでもない肩透かしを食らったような、それ以上の鈍痛を味わったような──つまりは化学反応ケミカルリアクションのように複雑な計算式を経て笑い転げる神奈木博士を、私はただの一片たりとも理解出来なかった。


「博士、これは冗談ではありません。私は本気です。人を虚仮こけにするのはやめてください」


 スツールから立ち上がりざまに絞り出した私の声は、空気が抜けていく風船のように間抜けだった。すらりと伸びた脚を組み替えた神奈木博士は「悪い、思わず」と謝辞を述べる。その姿はどこか鷹揚で、友好的ラフな雰囲気を纏っていた。


「まさかこんな形でお前の生き方スタンスが決定するとは、完全に想定外だった。天才の上位互換エジソンジェネレートが聞いて呆れる。あはは、駄目だ。笑いが止まらん──」


 私に一切の遠慮がないその笑い方は、あの日の母さんを連想させた。前髪が切り揃った私を見て、屈託のない笑顔を見せてくれた母さん。

 気恥ずかしさと憤りを混ぜ合わせて私が詰め寄ると、神奈木博士は私を片手で制して言う。


「お前が初めてだ。雪白ホムラ──確立した生き方スタンスを私に示した新世界の片脚ワールドトリガは、お前が初だよ」


 新世界の片脚ワールドトリガ──またその単語。目の前の穎才ジニアスは、何を言っている? 私が知りたいのは、神奈木博士の立ち位置スタンスだ。そのために私が示したのは、私の決意と覚悟。決して生き方スタンスなんかじゃない。


 湧き立つ感情に任せて、神奈木博士の両肩を掴んだ。ひんやりと冷えたその肩の、見た目以上に華奢な感触に戸惑いながら、怒声一歩手前の声で問う──「どうか、私に分かるように説明して頂けますか」と。


反乱分子テロリストだと告白ドロップアウトしたお前に教える情報などない」


 懇願にも似た私の訴えを、神奈木博士は易々と突っぱねる。今さっきまでの大笑いが嘘のような、淡々とした口調だった。一向に主導権を掴めないこの状況に、私は思わず歯噛みする。

 両肩を掴んだままの私の手をそっと払い除けて、神奈木博士は続けた。


「そうそう、約束だった。不在の神オクトーバに代わって、私がお前を祝福しよう。残りの99.07パーセントも、なるべく早く祝福してやりたいものだ」


 神奈木博士は、意味不明な数字を提示してみせる。もはや故意に嫌がらせをしているのではないかと疑いたくなるほど、彼女がもたらす情報は断片的だった。しかしらちが明かない苛立ちとは裏腹に、形容し難い安堵感も覚えている私。

 神奈木博士の立ち位置スタンスは、依然として不確定アンノウンのままではあったけれど、決して絶望的ではない。

 神奈木博士に私を告発するつもりはない。早々にそう結論付けようとする私は、お人好しというよりも愚か者なのだろうけれど。


「神奈木博士、聞きたいことが山ほどあります」

「だろうな。神の啓示ダウンフォールのように全てを話してやりたい気持ちが、少なからず私にもあるよ」

「だったらっ!」


 神奈木博士は唐突に立ち上がり、口元に人差し指を立ててみせた。彼女の口元にではなく、私の口元に。

 その仕草は、


「その役目は辞退させてもらう。姫君プリンセスに心臓を捧げたい騎士ナイトの出番を、老婆が奪うのは野暮というものだろう?」


 ──私はつくづく邪険に思う。この人もまた、名女優オスカーなのかと。


 声を荒らげる理由の全てを、根こそぎ奪われたかのような気持ちだった。


「意外と情熱的なのですね。私はあなたを、もっと無機的アンチエーテルな人物なのだと見誤っていました」

無機的アンチエーテルだったさ。雪白ホムラ──お前に感化されるまではな」


 神奈木博士は、しみじみとした様子でそう答えた。たった二度の対談で、私が与えられる影響など、たかが知れているというのに──。


 それでも私は、漠然と確信する。

 私と神奈木博士の未知との遭遇スペースファンタジアは、やはり偶然ではないのだ。


 自嘲気味に、私は問う。


「博士、これは一体何の小芝居ですか?」


 断定的に、彼女は答える。


「小芝居などではない。世界全体を巻き込んだ超大作だ」


 もはや私は、何も問うまい。

 その代わりに一つ、神奈木博士に願う。

 私が理解出来ない、私の良き理解者に。


「また会えますよね」

「無論。願わくばこの砂場の外で」


 神奈木博士はそう答えると、慈しむように私を抱き寄せた。

 その行動に戸惑いながらも、私は身を預ける。






 ──予感はあったのだ。理屈は説明出来なくとも。いつからか私は、深層心理でそれを予測していた。


 神奈木博士の懐は、やはりひんやりと冷たかった。彼女のその躰の冷たさは、まるで──。


 まるで遊泳生物ネクトン底生生物ベントス

 それでも私は、嫌悪感を抱くことが出来なかった。




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