【透過──言葉の価値をすり抜ける者。人類は未だ、大禍の途中】

EP04-01





 ──大禍ヴォルテクス


 それが俗にいう"第三次世界大戦"の総称だ。開戦の正確な月日は不明。今よりおよそ六十年前に起こったとされている。"世界大戦"という呼び名自体を二十年前に政府が非公式化アンロックしてからは、"大禍ヴォルテクス"という曖昧な言葉だけが人類の共通項として歴史に名を刻んでいる。


 貧困、宗教、食糧難──ありとあらゆる不協和をトリガとして引き起こされたその厄災には、核弾頭や生物兵器といった、人類の不名誉な発明たちが惜しみなく使用された。

 まるで自分たちの歴史の足跡を塗り潰すかのように、広大な地獄絵図を大地に描いていく不毛な争い。


 その争いは、僅か七百日の間に終息したというけれど、あろうことか人類はその二年足らずの間に、自らの生息域の三分の二以上を未来永劫の汚染区域アフターマスへと変えてしまった。


 汚染区域の増加により、国境という国境は瞬く間に曖昧になり(地形自体が変わってしまい判別がつかなくなった所も多数)、ほとんどの国家は崩壊を余儀なくされた。奇跡的に国土が無傷であった国々くにぐにでさえも、後々のちのちに国家としての形を保てなくなる。これには、国家で在ろうとする意味を失った曖昧な集合体は、自然と解体されていくのが摂理だという見方が強い。

 つまり、貧困、食糧難、疫病──といった負の無限ループが、国家の崩壊を促すと同時に、更なる人口の激減に拍車を掛けたのだ。


 消失に次ぐ消失。

 厄災に次ぐ厄災。


 今も政府によって厳重に非公式化アンロックされた未来永劫の汚染区域アフターマスは世界各地に点在し、『死の独り歩く地デスウォーカロン』と忌避され大禍ヴォルテクスの代償を背負っている。

 草一本生えない永遠の砂漠。真空のように大地に穿たれた空洞。潮の流れだけが徘徊する毒の海。吹き抜ける風が肌を病む台地。その爪痕は正視に耐えない。


 世界全体が犯してしまった人類共通の大きな過ち。"戦争"という言葉のレベルをうに超えた"崩壊"。争う理由など、始めの数日で失われていただろう。勝利もなく、敗北もない──復讐に復讐を重ねるだけの報復活動の連鎖。

 自分たちの求める理想を、武力行使によって勝ち取る行為こそを"戦争"と定義するのであれば、私たちに語り継がれているその厄災には、確かに"大禍"という言葉こそが相応しい。大過にして大禍──償い方の見つからない過ち。


 守るべき価値を失くした大地。誇るべき精神を失くした兵士。国家の解体と国境の分解。イデオロギーとヒエラルキーの混濁。


 それほどに人類は疲弊した。ただ単に人類は疲弊した──そして今。






「ふああああ」


 アリスの大仰な欠伸あくびが講義室に響き渡る。「ううーん」と両手をクロスさせて、後ろにけ反って伸びをする彼女。もう少しでひっくり返りそうなその姿からは、コンダクターである私に対する敬意は露ほども感じられない。アリスの上体と心がこちらへ返ってくるのを待ってから私が言う。


「アリス。アクビをするならせめて私に分からないようにやってくれ。ちっぽけな私のプライドが多少なりとも傷付く」

「ほわってねみぃんだもん。大体、意味ないじゃん、昔話べんきょーしたってさ。ふわああ……ねみぃ」


 悪怯れた様子もなく、両目を擦って眠い眠いアピールをしてみせる彼女。私の中で徐々に色濃くなっていく学級崩壊カタストロフの予感。


「アリス、ティーチャーホムラに失礼だろう。態度を改めるべきだ」

「うるさいよ優等生。そのイガグリ頭についた寝癖こそ改めろ」


 私の援護射撃をしてくれたツムギに対しての容赦ない迎撃。アリスの剣幕に押し黙ってしまったツムギは、その後頭部を探って寝癖の有無を確認している。


「アリス、ちびっ子のくせに今日はやたらと好戦的ね。アゲハちゃんはしっかりノートに取ってるわよ。双子って似ないものね」


 カリンがすかさず助け舟を出した。カリンの立ち位置は大体こんな感じで、皆のお姉さまというところ。


「おい巻き髪、ちびっ子って何だよ。そのうち伸びるよ」

「ちびっ子だからちびっ子と言ったまでよ。このちんちくりん」


 デスクを叩いて悪態をつくアリスだったけれど、"巻き髪"と称されたカリンお姉さまは、鼻で笑って目も合わそうともしない。


「ア──は、ら──き──てるだ──よ」

「アゲハは、落書きをしているだけだそうだ」


 ボソボソと呟いたマシロの発言を、ツムギが通訳してくれた。間にカリンを挟んでいても今の声が聞き取れるとは、相当に地獄耳のようだ。ツムギの左手は後頭部に置かれている。どうやら寝癖の部分を見つけ出したらしい。


「ううん、落書きじゃないよー。ウエディングドレス、デザイン中です」


 ほわーん、と。そうまさにほわーんっとアゲハが言った。バチバチとした講義室内の空気なんて何のそので、笑顔の花を満開に咲かせるアゲハ。黙々と私の講義をノートに取ってくれていたと思いきや、そうじゃないのか。私の講義が好きだと言ってくれていたのに──アリスの欠伸よりもこちらの方が傷付くかもしれない。


 ──しかし、ウエディングドレスとは。


 意味不明なアゲハの発言に、室内の誰もが沈黙を覚えた。その沈黙、ざっと三十秒。その間にも、せっせとお絵描きを続けるアゲハ。やがてキリの良いところを迎えたのか、その筆を止めてから嬉々として言った。


「アゲハは、もうすぐお嫁さんになるからね」

「「「「「は?」」」」」


 その瞬間、皆の心が一つになった──というと少し大袈裟過ぎるけれど、皆の声が一つになった。一同揃って、全身全霊を込めた渾身の「は?」が響き渡ったのだ。


「テラくんがねぇ、お嫁さんにしてくれるって。こないだ言ってたの」


 恥じらいを滲ませながら、「えへへへ」と照れ笑いを浮かべるアゲハ。


「あり──いし。そ──の──わけ──し」

「ありえないし。そんなのあるわけないそうだ」

「そうよ、アゲハちゃん。あんなに軽薄な男を選んだらダメだよ。アゲハちゃん可愛いんだから、ひん剥いて捨てられるわよ」


 マシロ、ツムギ、カリンの絶え間ない口撃──いや、ツムギはマシロの通訳をしているだけだが。心底呆れたふうなカリンの台詞だったけれど、彼女の表情には優しさが入り混じっていた。


「……テラ、あいつはロリコンだったのか? 軽薄と軽蔑の極みだな」


 そう呟いた私は、ロリコン容疑によって病棟に隔離されるテラの姿を思い浮かべてみた。ロリコン容疑では隔離も仕方あるまい。さすがの私もサヨさんの方針に潔く従おう。


「ホムラちゃん。ろりこんってなぁに?」


 "ロリコン"という言葉をしっかりと聞き取ったらしく、屈託もない笑顔でアゲハが問いかけた。






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