EP03-03
私の
旧式の
講義室に入ると、すでにヒュムたちが着席して待っていた。階段一段分くらいの高さの壇上に立つ私は、スチール製の教壇を挟んで彼らと向かい合う。
向かって右から順に、ツムギ、カリン、マシロ、アゲハ──そしてそこからたっぷりと三~四人くらいが座れる充分なスペースを空けて、アリスが着席していた。
十人程度が一度に座れる横長のデスクだけれど、一つの講義の定員が五名までと決められているために、全ての椅子が埋まる事はない。けれどもアリスのこの座り方は、今や地方の
「あ! ホムラちゃんだ! 良かった~」
間延びした声と共に、アゲハが満開の笑顔を咲かせて手を振ってくれる。先ほどのアップデートで手に入れた
「おはようみんな。待たせてすまない」
「おはようございます、ティーチャーホムラ。自分はほとんど待っていません。故に問題ないかと」
私の挨拶に真っ先に返事をくれたのは、この講義の中で唯一の男性ヒュムであるツムギだ。彼は少々理屈っぽい所があるものの、礼儀正しくて模範的な好青年である。推測の域は出ないけれど、「待っていません」などと言いながら、この中の誰よりも先に来て着席していたのではないか。
他の者に対しての気遣いを常に忘れないツムギは、自分のこととなると途端に無頓着な一面が目立つ。今だって、短く刈り上げた頭髪の後頭部が寝癖で盛り上がっていた。後でこっそりと教えてあげよう。
「ゆっき、焦って講義始めないでよ? まだあと五分あるわ」
両手の人差し指でバッテンを作り、「ダメ」の意思表示をしたのはカリンだ。内巻きにカールした髪が、しっとりと艶を帯びている。
彼女の言う『ゆっき』とは、もちろん私のこと。『雪白ホムラ』の『雪』だけを切り取ってゆっき。カリンは私たちコンダクターに対して、いつも独特のあだ名を付けたがる。
今日もメイクに余念がない様子で、手鏡を机の上に広げてメイクの続きに
──本当に美意識の高い女の子は、人前でメイクしないと思うんだけどなぁ。
いつもそう思うだけで口には出来ない私。そんな私が、カリンみたくふんわりとした完璧な巻き髪を作ろうと思ったら、今よりも一時間以上早起きする必要があるだろう。不慣れさを差し引いても、不器用な私にはとても真似出来そうにないし、そういった意味では同じ女性として見習うべきところが多分にあるはずだ。
「お──う──います」
マシロが耳元で囁くよりもか細い声で言った。部分部分しか聞き取れないものの、今のは「おはようございます」で間違いないはず。マシロは極度の引っ込み思案で、同時に極度の人見知りだ。私の目線から逃げるように俯き、静かにかぶりを振る彼女。これは「別に待ってないですよ」という意思表示だと思うけれど、こちらに関しては確信が持てない。
いつも強引なイマリではなく、いつかマシロがランチにでも誘ってくれたら、私はコンダクターとしての自信を持つことが出来るだろう。もしもそんな日が来たら、私たちはどのような会話を交わすのだろう。今はまだ、私が一方的に喋り続ける光景がまざまざと浮かぶだけだ。
マシロは次の言葉を発することもなく、人形みたいにピクリとも動かなくなった。人形といっても、小さな女の子が好むようなメルヘンチックなものではなく、日本人形と呼ばれる貴重な歴史的骨董品の類だ。ぴしゃりと水平に切り揃った前髪が彼女の両目を覆い隠し、外界と彼女とを完全にシャットアウトしているようにも見える。
「アリス、おはよう」
一人離れた場所に座っているアリスには、
「なんだよ、挨拶ならさっきしただろ」
にべもなく吐き捨ててそっぽを向くアリス。どうやらまだ引きずっているようだ。サヨさんの分析を疑うわけではないけれど、私にはテラよりもこの子が心配でならない。いつも強がって隠していても、本当は誰よりも感受性が強くて繊細なのだから。
「さっきも『おはよう』とは言ってくれなかったと思うぞ」
「言ったし。ホムラって耳が聞こえないの?」
まるで今しがたのイマリのような台詞を、明後日の方向を向いたままで吐き出すアリス。その声色は、冷たく刺々しい。
「ホムラちゃんとアリスって仲良いよね~」
ほんわかと間延びした声で、アゲハが見当違いな合いの手を入れた。果たして今のやり取りのどの部分が仲良しに見えたのか、私には不思議でならない。何度も大きく頷いて同調しているツムギと、我関せずを決め込んでメイクを続けるカリン。本当に人形なのではないかと疑いたくなるくらい微動だにしないマシロと、誰も居ない方向を虚ろな視線で眺め続けるアリス。
──とにかく無性にやりづらいので、無理矢理にでも講義を始めてしまおう。
「そろそろ講義を始めようか。この枠は
私が切り出すと、ぱちぱちぱちぱち──とアゲハから可愛らしい拍手が起こる。するとツムギが、謎の気遣いを見せてアゲハの拍手を真似だした。よく見れば、マシロまでもが膝の上で小さく手を叩いている。
私を小馬鹿にするように疎らに鳴り響く拍手の中で、カリンがいそいそとメイク道具を片付け始める。私は零れそうになった嘆息を無理矢理に飲み込み、カリンの準備を見届けてから講義に入ることにした。
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