EP04-03
昼休みになり、生活区にある食堂でランチを摂る。ランチと言えば聞こえは良くても、栄養バランスだけを追求した食べ合わせの悪い献立を、そそくさと搔き込んで空腹を満たすだけだ。どうせ
そして今は、アリスを探してDUMの中を
アリスは結局、講義が終わるまで一言も言葉を発することはなかった。それどころか講義終了後も、無言のままでそそくさと退出してしまったのだ。双子のアゲハにさえ何も言わず──目も合わせずに。
そんな様子のアリスを、
「余計なお節介だろう」とブレーキを踏む気持ちが、私の行動力を削ごうとする。それでも空腹を満たしていくほどに、アリスが気になって仕方がなくなった。食事を摂ることで、気持ちの上でもエネルギーが充足したのかもしれない。
次の講義までの時間を使って、一度アリスと話をしてみようと決めたのだ。
服の下がじわりと汗ばむ。夏の暑さ一歩手前の気温の中、アリスが行きそうな場所を考える私。大体、過ごしやすかった午前中でさえも気怠そうに歩いていたアリスだ。好き好んで太陽光の下で過ごしている姿は連想しづらい。
私はメインガーデンでの捜索を早々に切り上げ、アリスとアゲハの部屋を訪ねるために居住区に足を運んだ。
居住区には、幾つものコテージが立ち並んでいる。ヒュムたちそれぞれに割り当てられた一人一室(一棟と言った方が適切かも)の住居だ。中にはトイレ、シャワー室、ベッド、キッチンといった基本的な生活環境が整えられていて、複製体保護法に守られたヒュムたちの生活の基盤となっている。
その中でも一回り大きなコテージのフォンを鳴らして、ドアの前で待つ。現存するヒュムの中で唯一の双子であるアリスとアゲハは、ダブルサイズのコテージを相部屋として使用しているのだ。
「あれ? ホムラちゃん? なぁに?」
フォンにて応答してくれたのはアゲハだった。顔が見えないというのに、ぽわーんっと間延びした物柔らかな空気が伝わってくる。アリスを探している旨を伝えると、「アリスちゃんなら居ないよ」と返事があった。
しかしアリスの性格ならば、アゲハに居留守を指示することも考えられるなと睨み、図々しくも部屋の中にお邪魔させてもらった。けれどもアリスは本当に留守のようで、性格が悪いのは私だけという結論に至る。アゲハの笑顔と自己嫌悪の念が、私をきりきりと責め立てる。
「ホムラちゃんがお部屋に来てくれるなんて!」
そう言ってはしゃぐアゲハが、部屋中を駆け回る。当てが外れた以上、そんなに長居するわけにもいかないのだけれど、どうにも切り出しづらい。そこでふと、部屋の中央に位置するテーブル(ブタさんの形をした可愛らしいデザインだ)の上に、開かれたままのスケッチブックが目に留まった。
「それねぇ、もーすぐ完成なの」
見て見て! と言わんばかりに瞳を輝かせるアゲハ。そのスケッチブック(その表紙もブタさんだと手に取って気付いた)に描かれていたのは、講義中にアゲハが黙々とデザインしていたウエディングドレスだった。
既に色鉛筆で彩色が施されており、その出来栄えといったら、お世辞でも何でもなく目を見張るほどだった。拙いながらも感想を述べさせてもらうと、フワフワした華やかさと、しなやかなドレスのラインが見事に融合している。格好良いのにキザじゃない、とか、色っぽいのにいやらしくない、とか、そういった感じだ。ラフ画一枚で人を唸らせるとは、最早芸術の域かもしれない。
そういえばアゲハとアリスの
普段あまり意識する機会がないけれど、考えてみればアゲハのデザインセンスの高さは、実のところ当然なのかもしれない──とにかくそのウエディングドレスには、アゲハの夢や理想がそのまま
そこで私は、ふと考える。
アリスも、
「素敵なものを見せてくれてありがとう。万が一にも私が結婚することがあれば、私のドレスは是非ともアゲハがデザインしてくれ」
そうアゲハに言い残し、私は再びアリスを探し始める。アゲハが飛び跳ねて喜んでいたことは、言うまでもないだろう。
その後もDUM内をあちこちと歩き回ったけれど、アリスを見つけることは一向に出来なかった。入れ違いで部屋に戻っているのではないかと思い至り、二人のコテージへと戻ってみる。しかしそこには、やはり楽しそうにスケッチブックにデザイン(今度はテラに着せるというタキシードを描いていた)を続けるアゲハが居るだけだった。
私がうっすらと浮かべる額の汗に気付いたアゲハは、豊かな香りのするアイスティーを入れてくれた。喉を潤した私に、「また遊びに来てね」というあたたかなお土産の言葉まで贈られる。
純粋無垢なアゲハに別れを告げ、また周辺を
居住区一番奥の突き当たり──右に折れれば、立ち入り禁止区画の発電区へと繋がるその曲がり角から、こちらに向かって歩いてくるテラに
『最近のテラには、情緒不安定な言動や反抗的な態度が観測されています』
こんな場所にテラが居る理由を推測するよりも早く、サヨさんの言葉が警告のように頭を
「テラ、人を探している。アリスを見なかったか」
いの一番に口から飛び出た質問を、我ながら間抜けだと思った。「今の場面は、『どうしてこんなところにいる?』が
「それなら人探しは無事に終了だね。アリスならこの奥に居るよ」
そう言って、今来た道を振り返り指差すテラ。この奥はもちろん立入禁止だ。そしてこの先に、脇道など存在しない。
「テラ、どういうことだ。そもそもこの先は立入禁止区画だろう」
問いかけの順番があべこべなのは自覚していたけれど、一人のコンダクターとしてヒュムに投げるべき質問を放つ。
「そうだね、立入禁止区画だ」
テラは「だから何なの?」とでも言いたげに、鷹揚に首を傾げる。余裕たっぷりのその姿に、私はアリスの言葉を思い返す。
『あるのは、テラがロリコンの可能性だけだ』
しかもその可能性は、八割を下らないという。馬鹿げているのは重々承知で、それでも脈打つ不安が私を焦らせる。
「テラ、お前まさかアリスに──相手は子供だぞ」
声を荒げる私は、剣呑な目付きをしていたはずだ。予測の範疇を出ないとはいえ、穏やかでいられる話ではない。
「ん? なんのこと? ──ああ、そういうことか。あんまり面食らうこと言わないでよ。何をしてたかって、お悩み相談だよ」
困惑の面持ちさえも、何処か芝居がかっていた。すぐに飄々とした態度を取り戻したテラは、くつくつと笑いを噛み殺す。
「誰かさんと違って、俺は優しいからね。先に言っておくと、お悩みの内容は教えられない。俺とアリスにも、尊い人権ってものがあるからね。ホムラはバカみたいに真っ直ぐだから、俺を殴ってでも聞き出したりして」
テラの態度を見て、私の両拳に力が入った。人を見下したような、それでいて見透かしているような、軽薄な微笑。殴ってでも聞き出しそうというその言葉も、必ずしも遠くはない。
「それにさ、お悩み相談は人目に触れちゃ困るだろ? それともアリスを俺の部屋に連れ込んで、二人っきりで話をしたほうが良かったのかな?」
わざわざ腰を屈めて、私の表情をまじまじと覗きこむテラ。不愉快以前の問題だ。彼のその態度は、私を挑発しているとしか思えなかった。
「分かった。聞かない。聞かないから、今すぐそこをどいてくれ」
怒りを噛み殺しながら告げた私に、寂しそうな顔を覗かせてテラは言った。
「ひどいよホムラ。君から話しかけてきたのに」
落胆した様子で、とぼとぼと場を立ち去っていくテラの後ろ姿に、サヨさんのあの言葉がもう一度浮かんだ。
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