EP01-02





 スバルに張り巡らされた強化ガラスの向こうに、都市部の風景が流れていく。


 世間一般的に"都市部"と認識されている小奇麗な街並みは、どこもかしこも代わり映えのしない、似偏った色と造りをしているものだ。

 街を行く人々も大体同じ。若者の多くは、今年の流行色として公式化ロックされたサンライトグリーンの衣類や小物を競い合うようにして身に着け、ホタルの光(実物を見たことはないけれど)みたいにこの街並みを浮遊している。

 ちなみに去年は、ルビーレッドが流行色として公式化ロックされていて、松明たいまつ(これも実物を見たことはないけれど)を思わせる暖色が街並みを照らしていた。


 一体どうしてなのか、人々は他の人と同じ服装をすることに安心する傾向があるように思う。極稀に、個性的な出で立ちをした人を見かけても、大抵が音楽家バロックだとか芸術家ルネサンスだとか、稀有レアな職種に就いていたりするのだ。私が今着ている教員服だって、何よりも同調を重んじる人たちからすれば、突飛なファッションに映っているのかもしれない。


 味気ない風景は毎日のことで、私は退屈を覚えずにはいられない。けれど"退屈"とは、換言すれば"平和"そのものなのだと、私たちの誰もが道徳調和機関ロースクールで学んでいる。善悪の区別も付かぬ幼い頃から、たった一人の例外もなく、たっぷりと存分に言い聞かせられているのだ。


 それこそ今日という日にだって、道徳調和機関ロースクールは変わらずに素晴らしい模範的な考え方ベーシックモラルを説いているに違いない。その素晴らしすぎる考え方が、端的に言って私は嫌いだけれど。


 道徳調和機関ロースクールの教えを聞いているだけで、まるで母さんと話しているような気分になって滅入ってしまうのだ。息の詰まるようなあの感覚が、この人生を生きていく上で欠かせないものだと、私にはどうしても思えない。


 極めて個人的な感傷に浸りながら、流れ去っていく街並みに溜め息を吐いた。

 自動走行ポッドは、どの型式タイプでも座面より上の高さが全面強化ガラスになっていて、つまり例外なく視界良好なのだ。乗客は目を瞑りでもしない限り、否応なしにこの街並みを眺めさせられることになる。

 似たり寄ったりの都市部の風景は、決してテンションが上がるものではないにしても、真っ暗闇の中をひた走る集団地下走行メトロポッドの風景を眺めるより幾分かはマシか。


 完全に余談になるけれど、自動走行ポッドはテロ(そもそも国家という概念のないこの現代に、テロという呼び方が適切であるかどうかは疑問である)防止のために、このような構造をしているという一説がある。要するに、乗り手が景色を楽しむためにではなく、外部の人間から乗り手の様子がよく見えるようにするために、開放的な作りを徹底しているというのだ。


 出所不明のその説の真偽は定かでないにしても、確かにこの透過具合と開放感では、銃器を隠せるようなスペースは見当たらない。それに精神的にも、「反政府行為テロを起こしてやろう」という継続的衝動モチベーションは失せるだろう。刃物や拳銃などの原始的な武器や、少なくともまともな精神構造を保っている犯罪者予備軍に対しては、少なからずの抑制効果を発揮しているのではないだろうか。





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