EP12-02
激しい動悸に見舞われながら、神奈木博士の部屋を乱暴にノックした。彼女が不在ならば、それはある意味で
「随分と汚らしい身なりだが、
泥だらけの私に冷笑を浴びせながら、神奈木博士は問う。深く首肯を返すと、彼女はするりと廊下に出て
「神奈木博士、どうか私の選択を観測してください」
「──良いだろう。ところで知り尽くした真実の味はどうだ?」
「何が真実かなんて、私には分かりません。ただ、そう学んだだけのことです」
私の返答に、神奈木博士は満足気に頷く。そのまま何の示し合わせもなく、私たちは
それをゆめゆめ忘れてはならない。
これは全て、私の物語だ。私が選択する、私の物語。
生きとし生けるものには、不可侵の尊厳があるはずだと信じたい。
それは──自らの生き方を選び取るという絶対の権利。
せめてヒュムたちにも、自らが選択する自由をと願う。
「雪白ホムラ、お前に一つ
足を止めず、振り返りもせず、神奈木博士が話し掛ける。だからその表情は、私の位置からは窺い知れない。
「昨晩、エリア013の
唐突な神奈木博士の告白に、息の根を止められそうになる。自らの複製体の死亡を知らされるなんて、そうそう出来る経験じゃない。
乱れる呼吸の中で、からくも「死因は?」と問いかけた。
「自室での
よりにもよって自死とは──私が見ていたであろう絶望は、一体どれほど昏く深かったのだろう。
「私なんかが居なくても──世界は回ります。エリア013に生きる全ての人たちが、その世界を回します」
サヨさんを、テラを、イマリを──アリスやアゲハたちの表情を思い浮かべて断言する。
たとえ
「余談になるが、エリア042の
神奈木博士の言葉に、軽い憤りを覚える。今の私を支えているものをあえて挙げるとすれば、私以外の全ての生命体が齎した感情だ。013の私も、042の私も──きっと出会いに恵まれなかっただけ。
「もしも──もしも
神奈木博士は、そこで初めて私の方を振り向いた。驚きを隠そうともしないその表情は、
「雪白ホムラ。私も似たようなことを考えたよ。もしも──もしもお前が、私の代わりに沓琉トーマの傍に居たならば、彼は決して道を踏み外すことなく、自らの孤独を貫き通したのではないかと」
ふいに、彼女を抱きしめたいという衝動に駆られた。その理由はうまく説明出来ない。名状しがたいこの感情は、もしかすれば母性本能のようなものなのだろうか。
ただこの瞬間に、私は確信したのだ。
「全てが終わったら、神奈木博士の生い立ちを聞かせて頂けますか? 益体もない私の好奇心さえも、あなたには観測する義務があると思います」
体温を持たない彼女は、とても人間らしい微笑みで答える。
もうそろそろメインガーデンへ出ようかという時になって、
「
謙遜というよりも皮肉に近い様子で、神奈木博士は
やはり
「博士、電子牢はどうなりますか」
「無力化されている。あれこそ
端的な問いに、端的な答え。
あいつの不敵な笑みが脳裏に浮かぶ。
メインガーデンに出ると、空模様は小康状態だった。
私と神奈木博士は、もう会話もなく直線距離をひた走った。
やがて視界に捉えた
気力を振り絞って、とっくに悲鳴を上げていた脚の回転を更に上げた。
私の照準は、その扉によしかかるようにして立っている、いかにも軽薄そうな男に合わされている。
「ホムラ、どうしたの? もしかして何かあった?」
最後の距離を駆け抜けた私に向けて、事も無げに掛けられた声が癇に障る。形容しがたい様々な感情が綯い交ぜになる中で、口の端を吊り上げている意地の悪い表情に向けて言う。
「テラ、お前の心臓を貰いにきたんだ」
私の心臓が今こうして、口から飛び出そうなくらいに暴れ回っている責任を取ってもらわなくては。
私は要求する──
それは同時に、私がこの閉ざされた楽園の行く末を見届ける覚悟を決めたという宣言でもあった。
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