EP12-02





 激しい動悸に見舞われながら、神奈木博士の部屋を乱暴にノックした。彼女が不在ならば、それはある意味で打つ手無しジ・エンドなのかもしれない。縋るような想いで応答を待つ私に、くて扉は開かれた。


「随分と汚らしい身なりだが、姫の座プリンセスを捨て去る覚悟が出来たのか?」


 泥だらけの私に冷笑を浴びせながら、神奈木博士は問う。深く首肯を返すと、彼女はするりと廊下に出て準純白ホワイトアウトの白衣を翻してみせた。「とっくに支度は済んでいる」と言わんばかりに。


「神奈木博士、どうか私の選択を観測してください」

「──良いだろう。ところで知り尽くした真実の味はどうだ?」

「何が真実かなんて、私には分かりません。ただ、です」


 私の返答に、神奈木博士は満足気に頷く。そのまま何の示し合わせもなく、私たちは中央管理室コア・ルームへ向けて駆け出した。


 賢人の上位互換ワイズマンジェネレートを、これほど頼もしく感じる日が来るだなんて夢にも思わなかった。しかし私は、そういった甘えのような感情を慌てて抑制する。溺れてしまっては、また無意識の被愛妄想シンデレラ・コンプレックスだと笑われてしまう。


 神奈木コトハ彼女は観測者に過ぎない。

 それをゆめゆめ忘れてはならない。


 これは全て、私の物語だ。私が選択する、私の物語。

 生きとし生けるものには、不可侵の尊厳があるはずだと信じたい。

 それは──自らの生き方を選び取るという絶対の権利。

 せめてヒュムたちにも、自らが選択する自由をと願う。

 

「雪白ホムラ、お前に一つしらせがある」


 足を止めず、振り返りもせず、神奈木博士が話し掛ける。だからその表情は、私の位置からは窺い知れない。


「昨晩、エリア013の新世界の片脚お前が息を引き取った。奇しくも、お前が私に生き方スタンスを示した翌日の訃報──さすがの私も、不在の神オクトーバの実在を疑ってしまったよ」


 唐突な神奈木博士の告白に、息の根を止められそうになる。自らの複製体の死亡を知らされるなんて、そうそう出来る経験じゃない。

 乱れる呼吸の中で、からくも「死因は?」と問いかけた。


「自室での首吊り自殺ハンギング・デッドだ。私が観測すべき世界の可能性が一つ減ってしまった。いや、また一つ確定したというべきか」


 よりにもよって自死とは──が見ていたであろう絶望は、一体どれほど昏く深かったのだろう。


「私なんかが居なくても──世界は回ります。エリア013に生きる全ての人たちが、その世界を回します」


 サヨさんを、テラを、イマリを──アリスやアゲハたちの表情を思い浮かべて断言する。新世界の片脚ワールドトリガなどという大仰な名付け方ネーミングは、道を踏み外した科学者沓琉トーマの身勝手な指標に過ぎない。


 たとえ大海の潜在意識アーカーシャがどのように書き換えられたとしても、そこに生き続ける思想や理想が、世界の可能性を収束させたりはしない。


「余談になるが、エリア042の新世界の片脚お前心神喪失ロストしている。それを思えばお前の潜在能力スペックは計り知れない」


 神奈木博士の言葉に、軽い憤りを覚える。今の私を支えているものをあえて挙げるとすれば、私以外の全ての生命体が齎した感情だ。013の私も、042の私も──きっと出会いに恵まれなかっただけ。


「もしも──もしも神奈木博士あなたが、彼女たちの前に現れていたなら……何かが変わったと思います。少なくともあなたは、私に何かを示してくれた」


 神奈木博士は、そこで初めて私の方を振り向いた。驚きを隠そうともしないその表情は、無機的アンチエーテルから程遠い。


「雪白ホムラ。私も似たようなことを考えたよ。もしも──もしもお前が、私の代わりに沓琉トーマの傍に居たならば、彼は決して道を踏み外すことなく、自らの孤独を貫き通したのではないかと」


 ふいに、彼女を抱きしめたいという衝動に駆られた。その理由はうまく説明出来ない。名状しがたいこの感情は、もしかすれば母性本能のようなものなのだろうか。


 ただこの瞬間に、私は確信したのだ。

 人工生命の先導者ニア・シンギュラリティである神奈木コトハも、私たちと同じように孤独や虚無を見ているのだと。テラと同じように、賢者の絶望アブソリュート思考回路ココロに抱えているのだと。


「全てが終わったら、神奈木博士の生い立ちを聞かせて頂けますか? 益体もない私の好奇心さえも、あなたには観測する義務があると思います」


 存在理由レゾンデートルを探しているのは、穎才ジニアスも同じなのだ。烏滸おこがましくも私は、そう考えた。


 体温を持たない彼女は、とても人間らしい微笑みで答える。








 もうそろそろメインガーデンへ出ようかという時になって、一際ひときわ大きな雷鳴が轟いた。それとほぼ同時に、長い通路を照らしていたダウンライトが誘導灯のみになる。心許ない照度に眉をひそめながらも、私たちは足を止めず駆け続けた。


自動天候循環ウェザーローテーションの暴走に伴って、永久電力機関エターナルバッテリィ省電力セーフティに切り替わったのだろう。無尽蔵インフィニティどころか永久エターナルにも程遠い──我ながら名ばかりの発明品だな」


 謙遜というよりも皮肉に近い様子で、神奈木博士は電力バッテリィ切れを示唆してみせた。あれだけの雷鳴を伴って土砂降りスコールが振り続けたのだ。DUMの電力が底をつきかけているとしても不思議はない。


 やはり予定調和を乱す雨ディスコード・レインは、テラやサヨさんにとっての予定調和だった。雨と霧を用いた物理的な目隠しであり、人減らしのための陽動であり、そして電力を食い潰すための効率的な手段──つまり、今。


「博士、電子牢はどうなりますか」

「無力化されている。あれこそ大食漢ビッグイーターだからな」


 端的な問いに、端的な答え。

 あいつの不敵な笑みが脳裏に浮かぶ。


 メインガーデンに出ると、空模様は小康状態だった。室内型太陽イン・ザ・サンの姿こそないものの、放電や強い雨もすっかり鳴りを潜めている。中空に置いていかれた粘性の水蒸気ハンドメイドクラウドが、ぼつりぼつりと残雨ざんうを滴らせているだけだ。


 私と神奈木博士は、もう会話もなく直線距離をひた走った。

 やがて視界に捉えた中央管理室コア・ルームの扉は、省電力セーフティのためか人一人分が通れる程度の幅だけが開かれている。


 気力を振り絞って、とっくに悲鳴を上げていた脚の回転を更に上げた。

 私の照準は、その扉によしかかるようにして立っている、いかにも軽薄そうな男に合わされている。


「ホムラ、どうしたの? もしかして何かあった?」


 最後の距離を駆け抜けた私に向けて、事も無げに掛けられた声が癇に障る。形容しがたい様々な感情が綯い交ぜになる中で、口の端を吊り上げている意地の悪い表情に向けて言う。


「テラ、お前の心臓を貰いにきたんだ」


 私の心臓が今こうして、口から飛び出そうなくらいに暴れ回っている責任を取ってもらわなくては。


 私は要求する──鏡合わせの倫理の心臓部メタリックハートを。


 それは同時に、私がこの閉ざされた楽園の行く末を見届ける覚悟を決めたという宣言でもあった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る