EP10-07





 9年前のある日、複数の広報用球体型全面液晶イクリプスビジョンが一斉に爆破された。途端に輻輳する大海原ワールドウェブは潮の流れを失い、世界的規模の通信障害アクセスエラーが起きる。数分の後に障害が復旧すると、ありとあらゆる通信媒体メディアでトーマ博士の犯行声明が流れたという。


 しかし奇怪なことに、トーマ博士はそのまま投降した。彼は自らの反政府思想テロリズムを端的な言葉で述べると、お別れの挨拶さようならでもするかのようにあっけなく投降の意思を告げたのだ。

 "隣人の裏切りネオクレーター"と呼称されるテロ事件は、気まぐれな首謀者によってすみやかに幕が下ろされた。


 実を言えば、私はその瞬間もDUMの前に佇んでいた。生々しい芳香を放つ深緑の景色に埋もれ、益体もなく母さんのことを思い出していたように思う。

 だから、実感に欠けるのだ。私が去りし日の思い出に囚われる中、集団生息圏ストロベリーフィールズの中心部で前代未聞の騒動が起きていただなんて──今でも信じ難い気持ちがある。


 噴煙を上げる各地の広報用球体型全面液晶イクリプスビジョンが、モニターに次々と映し出された。続いて、険しい表情で演説するトーマ博士の様子。なるほど、成長因子を取り除かずにテラが成熟すれば、このような精悍な顔立ちに育つのか、といった印象を抱いた。


「ホムラも知っているように、隣人の裏切りネオクレーターは真意不明の一人芝居だ。この直後、沓琉トーマはその存在を非公式化アンロックされ、実体なき牢獄プリズンへと幽閉されている。やれやれ、真実は永遠に闇の中だよ」


 途端にテラが芝居がかる。実体なき牢獄プリズンの存在ならば、神奈木博士も示唆していた。けれど、都市部と郊外エリアの境目すら知らない私たちにとって、その概念は神話的アトリエでさえある。


「トーマ博士は、世俗を捨てたかったのか? 何を想ってその結論に辿り着いたにせよ、彼が仕出かしたことはどう受け止めても自罰的に思える」


 何を想って──とはあまりにも他人事だろうか。母さんを失ったことで、トーマ博士の中にも何らかの痛みが残った。私はせめて、そう信じたいのではないだろうか。『裁かれたいがために罪を犯す心理は、決して破綻してはいない』──いつかのサヨさんの言葉を思い返しながら、テラの返答を待つ。


「ははは、自罰的か。なるほど、トーマがそのくらい内向的なら良かったね。彼は世俗を捨てるどころか、世俗を手に入れたかったんだよ。トーマの狂気は、引きこもるどころか放射状に拡散している──今この瞬間にも、トーマの狂気は世界中に満ち満ちているのさ」


 私が怪訝な表情で首を傾げると、モニターの画像が切り替わった。映し出されたのはシンプルな世界地図ワールドマップだ。ただどういうわけか、隅から隅まで余すところなく 、その縮図は原色の赤レッドに染まっている。


「ホムラ、これは電極の走り書きエーテルノイズと呼ばれるものだよ。俺たちの生活に欠かせない電極エーテルの運用を記録し、世界の発展状況を表すために用いられる。一般居住区ブルー政府機関イエロー工学関連施設グリーンといった具合に、使用する電極エーテルの周波帯域は明確に分けられているからね。この図も、およそ三色の濃淡で染まるのが普通だ」


 見渡す限りの原色の赤レッドに、説明を求めようとする。しかし私を遮るようにして、テラは続けた。


「これは隣人の裏切りネオクレーターが起きている瞬間の電極の走り書きエーテルノイズだ。見ての通り、世界中に未知の電極エーテルが走ってる。輻輳する大海原ワールドウェブを蹂躙する赤潮プランクトン。これが何を意味するか分かるかい?」


 テラの話に言葉を失うのは、これで何度目だろうか。荒唐無稽なおとぎ話フェアリーテイルの行く先を、固唾を飲んで待つことしか出来ない私。

 雄弁な口調でテラが告げる。


隣人の裏切りネオクレーターの混乱に乗じて、沓琉トーマは大海の潜在意識アーカーシャを書き換えたのさ。大海の潜在意識アーカーシャとは文字通り、この輻輳する大海原ワールドウェブ心臓コアだ。人々が今日に至るまでの記録。歴史を鑑みては編み直されてきたことわり。膨大な知識と事実──トーマは、ありとあらゆるものに干渉出来る存在となった」


 テラが言っていることは、まるでデタラメで──。

 私は思わず失笑する。しかしテラは、歯牙にも掛けようとしない。


「信仰や宗教は完全に抹殺され、死に体だった哲学は再生され、恣意的な歴史が随所に挿し込まれた。多くの公共的な認識パブリック・システムが変わり、かつて選択制度セレクティブだった道徳調和機関ロースクールは義務化された。外観的歴史確認エティックヒストリィ内観的倫理教育エミックモラルが幅を利かせ、根拠のない善悪が多くの人々に配膳デリバリーされた」


 私は、笑い続ける。

 いつしかその笑いは──乾いていく。


「ホムラ、機械仕掛けの皇帝デウスエクスマキナを連想しないかい? 夢見る老人たちビューティフルドリーマーを中心に構成されている政府も、今やどれだけの正気を保てているか怪しいものさ」


 話の内容が、妄想に侵食された人メガロマニアそのものだ。やはり処理能力が足りていないのだろう。思考回路に制限リミッターがかかると、代替知能テラはあらかじめ念を押していた。


 だけど、だけど──だからといって。

 私はテラの言葉を疑う理由を持たない。

 信じられないような真実なら、すでにこの身に起こっていたのだから。


「テラ、詳しく答えろ──この世界の中で、果たして何が本物で、何が偽物なんだ」

「本物と偽物か……。困ったな、ホムラはとても難しいことを尋ねるんだね」


 私が訥々と問うと、狼狽にも似た感情を声に忍ばせてテラは言った。


「例えばサヨもイマリも、何かしらの哲学思想に基づいて行動してるだろ? 彼女たちの思想のうち、何処から何処までがトーマの干渉によって意図されたものなのか、それは俺にも判断しかねる」

「──なぜ? その詳細をこの外海アンダーグラウンドで見つけることは出来ないのか?」

「ううん、逆だね。この世界には、情報が溢れすぎているんだよ。人々は物心ついた時から、携帯端末ワールドリンクによって輻輳する大海原ワールドウェブと繋がっているだろ? そこから得た情報を元に、人格というものは形成されていくわけさ。だからその1つ1つを取り分けて、真偽や影響を精査するのはおよそ不可能だ」


 テラの口から放たれた事実は、世界中の人々の自我の土壌アイデンティティを崩壊させるものだった。


「宗教どころか、哲学や倫理学モルペウスの領域までもか──そもそも情報それ自体が侵されているのなら、私たちには、もう信じられるものが残っていないじゃないか……」


 窮屈な椅子の上で、私は深く項垂れた。

 足元に穿たれた深淵の穴が、私を手招いている錯覚さえ覚える。

 しかしテラは、私の不安を拭うように「それは違う」と断言した。


「人間はそんなに簡単なものじゃないさ。事実、サヨのような人間が現れた。そしてあのサヨが、ホムラみたいな跳ねっ返りに自らの思想テロリズムを打ち明けた。何も洗脳されてるわけじゃないんだ。機械仕掛けの皇帝デウスエクスマキナに、人の心を乗っ取ることは出来ない」

「──まったく、誰が跳ねっ返りだ」


 私が顔を上げると、いつの間にか電極の走り書きエーテルノイズが消えていた。その代わりに、不敵な笑みを浮かべたテラの姿。


「トーマは宗教が大嫌いだったから、宗教家に関しては洗脳とかされててもおかしくないけどね──それよりかは非公式化アンロックしてしまう方が手っ取り早いか」

「ああ、そうか。母さんも言っていたな──『世の中には神様なんていません』と。あれは狂人からの受け売りだったわけか」

「その狂人の複製体に、『私がお前を非公式化アンロックするぞ』って凄んだのは誰だったっけな」


 テラの軽口に、頬が熱くなる。代替知能というものは、そんなにくだらない出来事まで入力インプットされているものなのか。


「──沓琉トーマは、実体なき牢獄プリズンで高みの見物。一体何をしようとしている?」


 テラの話題から逃げるようにして、私は最も肝要な質問を投げる。私たちの尊厳を踏み躙ってまで、穎才ジニアスはこの世俗に何を望んでいるのか。


「トーマは現在進行系で実験に没頭してる。それは人間の本質を探るための思想実験だよ」


 テラが苦虫を噛み潰すような顔をする。いつも飄々としたテラがこうして嫌悪感をあらわにすることは、私の知る限りとても珍しいことだ。


「108のエリアに与えられた108のジレンマ。108体の人型の人工生命ヒューマノイドと、それを観測する観測者ザ・ワン。──神奈木コトハとの接触は、とっくに済ませたんだろ?」


 驚きよりも得心がまさった。間を置かずに無言で首肯する。


大海の潜在意識アーカーシャを巧みに捻じ曲げながら、トーマはジレンマを作り続けた。このエリア004に元々DUMというジレンマが存在したのは、不幸中の幸いなのさ。ここは他のどのエリアよりも被害が少なかった。わば聖域サンクチュアリだ」


 たっぷりと皮肉が込められたテラの言葉が、頭の中をぐるぐると回った。その聖域サンクチュアリで苦しみ続けた幾つもの想いが、沓琉トーマを呪い殺せば良いとさえ思った。


外海ワールドウェブ潜航ダイブすれば、トーマの趣味の悪さが覗えるぜ。自由時間の獲得を巡る永遠の内戦。メビウスの輪の形状で連なったループする階級制度。子供が大人を裁く夢のようなピーターパンエリアもあったな。誰しもが『大人に成りたくない』と膝を抱えた陰鬱なエリアさ」


 吐き気を堪らえながら、私は言う。


「そのそれぞれのエリアに、が居るというわけか。それぞれのがどんな結論を導き出すのか、神奈木博士が観測していると」


 テラは大きく頷いてから続ける。


「その通りだ。この思想実験が開始された直後、ホムラたちは新世界の片脚ワールドトリガと名付けられた。ホムラたちがこの世界で何を考え、そして何を見つけ出すのか──観測者ザ・ワンである神奈木コトハが観測している」


 反乱分子テロリストだと告白ドロップアウトした私を、神奈木博士は祝福した。残りの99.07パーセントの私は、世界各地で何を見ているのだろうか。どうにかしてそれを知ることは──。


 私の気付きに先回りをするように、テラが話し始める。


「驚くべきことに、この9年間エリア間の移住記録はゼロだ。移住どころか、渡航記録さえもゼロだよ。エリア間を跨がれることは、トーマの思想実験にとって一番の妨げとなる行為だ。だからこそ、この一点はかなり念入りに管理されている。エリア間の移動に膨大な手続きが義務付けされているのに加えて、思想や思考の誘導、場合によっては妨害工作もあったはずだ」

「ああ、だから──生きる治外法権パブリックアウトロー


 私がエリア004に住み続けている事実さえも、それとなく沓琉トーマの掌の上なのか。いよいよ何を信じていいか分からない。


「ここまでくれば、その生きる治外法権パブリックアウトローが突然DUMに干渉してきた理由も導き出せる。004──それはトーマの思想実験にとって最大の妨げだ。


 神奈木博士とサヨさんの会話を思い返す。確かにその解釈ならば、全てに納得がいく。賢人の上位互換ワイズマンジェネレートはDUMの心臓部コアコンピュータに干渉し、永久複製医療術Unlimited Medicalをこの世界に取り戻したのだ。エリア004のジレンマを、新世界の片脚ワールドトリガである私に再び与えたのだ。


「この考えに至らなかったのは、俺の最大のミスだ。俺が順序を誤らなければ、何事もなく終わったものを──結果、ホムラは最悪なカタチで俺たちに巻き込まれてる」


 そう言って、テラは肩を落とした。もしも触れられるものならば、私はその背中を力強く張っていたことだろう。


「私を馬鹿にするなよ。巻き込まれたなんて考えたことはない。ただの一度も」


 これは元々、私の問題だ。

 そして全て、の問題だ。

 それは決して108体の私のことじゃない。

 人間もヒュムもいずれかの人工生命シュレーディンガーも含めた、私たち全員の問題だ。


 顔を上げたテラに告げる。


「テラ──約束してくれ。私たちの会話内容ログを、必ず本体テラと共有してほしい。人類の可能性Human Materiaの国とやらに、こんな私を誘ってくれて感謝する」

「じゃあホムラ──君は」


「私はその国では暮らせないよ。だってまだ、107人の私が迷子なんだろ?」


 縋るような笑顔を浮かべたテラに、私はこうして別れを告げた。










 アリスとアゲハのコテージから出て、オートロックを確認する。

 世界を疑い続ければ、私はまだ私でいられるだろうかと、暗澹とした憂鬱を掻き分けるようにぼんやりと思った。



 背後から、強い声。

 それは、私の良く知る声だ。


「二人は今も講義中のはずだけど、その留守中に何してるの?」


 振り向けば、イマリの冷ややかな目線。

 その手には、真っ直ぐに私を狙う熱照射銃ブラスタが青黒く輝いている。



 もう一度、強い声。

 私は大きな溜め息を吐き出しながら、壊れていく世界を自覚した。





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