EP10-06





「しばらくすると献体告知アナンシエイションがあった。昇華サブリメイションに選ばれたのは、"メル"という名前のヒュムさ。彼女は寡黙な少女だったけど、面倒見が良くてね。自身に訪れる紛れもない死への恐怖も、あるいはその身が外界へと解放されることへの希望も──何一つ俺たちに感じさせることはなかった。そうやって中立の立場を貫くことが、後に続く俺たちへの精神的な負担が最も少ない選択だと考えていたんだと思う。メルはとても聡明だったんだ」


 メルという名の少女を、頭の中に思い浮かべる。外海アンダーグラウンドにはおそらく、彼女の姿も記録されているはずだ。それでもモニターの中には、2067の表記だけがある。テラが吐露する痛みの記憶を、私はこうして眺めていることしか出来なかった。


「俺がミツキへ寄せていた想いにも、メルはきっと気付いていた。だって最後に会った時、メルはこう言ったのさ。『良いでしょ。私はミツキ博士の中で生きるの』って──初めて見せる悪戯っぽい笑みを浮かべながら。見透かされたのが気恥ずかしくて、憎まれ口を叩くことしか出来なかったよ。メルがミツキを救ってくれることへの感謝も、本当は俺がミツキに献体されたかったということも、何も伝えられなかった。情けない話だろ?」


 自嘲気味に問いかけるテラに、返す言葉が見つからない。


「ホムラ、先に言っておくけど、劇的な展開ドラマティック夢物語ファンタスティックなんて起きないぜ。メルを待ち構えていたのは、どうしようもない現実だけだ」

「──やはり失敗したのか? 永久複製医療術Unlimited Medicalの施術歴の中で、唯一の医療事故。それを匂わせるような覗き魔の投稿フォーカスクラスタが、私の部屋にある」


 この年、母さんはDUMの中でその生涯を終えた。重く昏い、変えることの出来ない過去。

 メルという少女が予定通りに昇華サブリメイションされたのなら、どうして母さんは帰らない? 想像を巡らせても、行き着く先は医療事故アクシデントくらいしかなかった。


「違うよホムラ。永久複製医療術Unlimited Medicalは、施術されなかった。より正確には、んだ。ミツキ本人が、受け入れを拒んだから」

「──な?」

「メルの臓器は、とても有用に役立てられたと記録アーカイブされてるよ。彼女のは、それぞれがそれぞれに昇華サブリメイションしたんだ。ホムラも知ってるだろ? 献体される為の生命ドナーズヒューマンくまなく使用するために、解体されたヒュムは一度に複数人の躰に献体される。これも、ミツキが唱えた複製体保護法に倣った行為さ」


 少しの躊躇いを振り切るように、苦しげな声でテラは続けた。


「メルのカラダは、無駄なく利用された。一番高価な心臓を除いて、隅から隅まで売却された」


 私は、思わず立ち上がって訴える。


「母さんは、どうしてそんなに馬鹿なことを? 無慈悲にヒュムの生命いのちを奪ったのなら、せめてその生命で一つでも多くの生命を救ってやるのが、私たちに残された最後の道徳アフターモラルのはずだ。。なのに、母さんはどうして──」


 長い沈黙の中に、荒くなった私の呼吸だけが響いた。


「ホムラ──君と過ごした6年間が、ミツキの何かを変えたのさ。そして皮肉にも、メルは赤髪のヒュムだった。自らの正しさを疑い始めていたミツキが、メルの姿に君を重ねてしまったことは想像に難くない。この点においては、トーマの配慮が足りなかったと言わざるを得ないね」

「──そんなものは、ただの偶然だろ? それに母さんは──母さんは沓琉トーマの正しさを誰よりも信じていた。永久複製医療術Unlimited Medicalが世界を救うと、心の底から信じてやまなかった」


 突きつけられた真実が、私の思考を掻き乱す。私がヒュムで、雪白ミツキ母さんは母さんではなくて──その上、母さんへの憎しみまでも失ってしまったら、私は私でなくなってしまいそうだった。


 自我の土壌アイデンティティが崩壊しかけた私に、テラは続ける。


残悔リグレットに苛まれたミツキは、全てをやり直そうとしたんだ」

「……やり直すって、何を」

「ミツキは、トーマの罪を告発しようとした。トーマが大々的に禁忌行為タブーを破って、108体のホムラたちヒューマノイドを世に放っている事実を公にし、彼を失脚させようとしたのさ。トーマを無力化することで、DUMの今後の活動に大きな弊害が出るだろうと──そうミツキは考えたんだ」


 それは酷く身勝手で──。

 そして酷く浅はかな──。

 一時の感情に身を任せた愚かな行為。

 もしもそうなったら、ヒュムたちはどうなる?

 もしもそうなったら、私たちヒューマノイドはどうなる?


 終着点の見えない改革思想リベラリズムは、まるで私じゃないか。


「彼女の穴だらけの心臓が、結局それを許さなかったけどね」


 それっきり、テラは何も言わなかった。

 なぜなら、私が泣き崩れたからだ。


 その衝動を抑えることは不可能だった。嗚咽は間もなくして慟哭に変わり、私の感情は堰を切ったように延々と流れ続けた。テラが見ている前だというのにも構わず、私は声を上げて泣き続けた。


 決壊したダムを思わせるような思想の濁流。暗闇に溺れそうになる中で必死に正しさを探す。掴めそうな枝葉さえ、どこにも見当たらない。母さんが救ったはずの世界の上澄みは、夢見る老人たちビューティフルドリーマーとやらを潤すためだけに悪戯に消費されていくのか。生まれるはずのなかったいずれかの人工生命シュレーディンガーたちは、一握りの穎才ジニアスたちの理想に蹂躙されるしかないのか。


 絶望。憤慨。喪失。悲愴。

 不信。冷徹。嫌悪。盲目。


 やがてあらゆる感情が抜け落ちた頃、この部屋が静寂を取り戻す。

 滲んだ視界の向こうには、すでに『Anno西 Domini 2069』の文字があった。慰めの言葉を最後まで決して掛けなかったテラに、最大限の敬意を払って前を向く。


 真実が一つ明かされるたびに、たくさんのものが壊れていった。つまり私はほんの少しだけ、母さんの見ていた景色に近付けたのだろう。縋るようにそう結論付けて、言葉を吐き出す。


「テラ、すまなかった。どうか続けてほしい」

「了解だよ雪白姫スノウホワイト外海アンダーグラウンドの旅路も、そろそろ佳境だね」


 くつくつと笑いながらも、彼は紳士的な水先案内人だった。私が見せた弱さには、やはり指先一つ触れようとしない。


「今から9年前、歴史上で最も有名な反政府テロ、"隣人の裏切りネオクレーター"が起きた。ミツキを失ったその日から、トーマは少しずつ狂っていったのさ。隣人の裏切りネオクレーターは、トーマの狂気が爆ぜた結果なんだよ」


 トーマ博士の起こした隣人の裏切りネオクレーターによって、永遠の非献体者エターナルチャイルドという不名誉な立場に追いやられてしまったテラは、さも迷惑とばかりの口調で語る。


 穎才ジニアス思想基準パラダイムに振り回され続ける私とテラは、もしかしたらとても良く似た生き方を強いられてきた同志なのかもしれない。何となくそう考えたら、私の思考回路にはまだ微かな光が残されている気がした。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る