EP12-03





「神奈木博士の前だっていうのに、まさかこのタイミングで愛の告白とはね」


 私の覚悟を台無しにするような軽口と共に、恭しい所作で神奈木博士に頭を下げるテラ。賢人の上位互換ワイズマンジェネレート鏡合わせの穎才アンチジニアスの出会いも、いつか未知との遭遇スペースファンタジアとして邂逅する日が来るのだろうか。


永遠の非献体者エターナルチャイルド──救いがたい憎らしさまでもトーマにそっくりだ。雪白ホムラに少なからずの同情を覚える」

「そりゃないよ神奈木博士ディア・ジニアス。尽くすべきご主人様マスターと同じ顔だろ?」

主人マスターという概念が予め与えられていれば、私は臨界点ニアを踏み越えていない」

「あなたが臨界点ニアの向こう側に居るだなんて、俺は思わない。神奈木コトハがどれだけ演算を繰り返しても、人工生命の先導者ニア・シンギュラリティの域を出るのは不可能だよ」


 二人の穎才ジニアスの会話を、複雑な気持ちで聞いている。実際、その話の内容をどれだけ理解出来ているのかは怪しいものだけれど──。

 ただこの二人は、私とはまた別の次元で解り合う同士なのだと、そう感じた。


「テラ、サヨさんは上か?」


 どこまでも続きそうな会話を遮って、急かすように問いかける。知りたいことなら山ほどにあるけれど、悠長な会話が許される状況ではない。


「うん、ね」

「多分とは何だ。真面目に答えろ」


 思わず詰め寄ろうとする私を、「まぁまぁ」といなしながらテラは言う。


「このやり方シナリオ公演時間タイミングを選択したのはテラもどきテクスだよ。何しろ俺は、今の今まで電子牢の王子様ラプンツェルだった」

「ではお前はまだ、私と代替知能テラ会話内容ログを共有していないというのか?」

「ああ、そんな余裕は無かった。だから俺は──雪白姫シンデレラが泣き崩れたことも知らない」


 今度こそ、戯れ言を垂れるテラの胸ぐらを掴んで締め上げる。神奈木博士も私を止めようとはしなかった。しかしテラは少しも動じることなく、飄々とした態度で私の手を振りほどいて微笑む。


「仲良くやろうよ。ホムラ──君は雪白ミツキの娘だよ。血の繋がりも遺伝子の繋がりも無くても、俺がそう公式化ロックしてあげる」

「余計なお世話だ。そんなことは──お前に言われなくても分かっている」


 私は、ホムラだ。

 そしてお前も──お前だから。


 あの日にテラの瞳から零れ落ちた涙の意味が、今なら理解出来る。


 永遠の非献体者エターナルチャイルドが、一人DUMに生き続ける自分を恥じているのはきっと事実だ。けれどあの時の涙は、変え難い自らの運命を嘆いたわけじゃなかった。そもそも昇華サブリメイションという手段が封鎖ブロックされているということは、妨害工作を行なっていたテラ自身が誰よりも分かっていたはずなのだから──。


 あの日のテラは、神奈木博士の介入を嘆いていたのだ。神奈木博士がDUMに来訪したことを、全て自分の責任ミスだと考えた。サヨさんの戦いを長引かせてしまうことも──こうして私を巻き込まざるを得なくなったことも、全て自分のせいだと塞ぎ込んだ。


 私に負けず劣らずの不器用なやり方。

 穎才ジニアスの独り善がりなら、金輪際お断りしたい。


「テラ、よく聞け。道を誤ったのは沓琉トーマだ。同じ血と同じ遺伝子がお前を構成していても、お前は決して沓琉トーマとは違う」

「はは、いきなり何の話さ。やっぱりホムラは面白いね」

「茶化すんじゃない。私はお前のそういうところが大嫌いだ」


 テラは武装している。いつだってこの偽悪的な態度で。


「そうだね、俺とホムラは決定的に分かり合えない。ホムラならきっと、死の匂いを知らない子供イノセントゲリラの国を祝福してくれると思ってたんだけどな──」


 後ろを向いて歩み出すその背中は、少しだけ悲しげに映った。

 彼の背に続いて、神奈木博士と共に中央管理室コア・ルームの扉をくぐる。






 プラネタリウムの明かりを失った中央管理室コア・ルームは、しかし以前よりも明るかった。太古の星々の導きよりも誘導灯の方がまばゆいとは、一体どんな皮肉だろう。


 今までは薄闇でしかなかった足元がぼんやりと──それでもはっきりと照らし出されている。私たちの動線を避けるようにして、複雑に張り巡らされた電極の巣ワイヤードの姿。それはまるで、古来より眠り呆けた原色の緑ドウジング・グリーンを支え続けるたくましい根のようだ。


 視線を上げれば、常闇の彼方へと続く螺旋回廊が聳える。

 形而上学に取り憑かれた人ロマンチストではない私でさえも、その先に不在の神オクトーバの秘密を覗き見るような興奮と罪悪感があった。


「さあ、行こう」


 テラの声には、僅かばかりの緊張感が滲み出ている気がして──腰元の熱照射銃ブラスタの感触を手探りで確かめる私。


 螺旋状に敷かれた高みへの階段を、全速力で駆け上がっていく。幾度か訪れた、脇へ逸れる分岐点の一切を無視して、ただひたすらに上へ上へと。

 歩みを重ねるたびに、階段の一段一段ステップの1つ1つが虹色の色彩を放った。省電力中セーフティだというのに芸が細かい。悪趣味な演出パフォーマンスを、芸術的ファンタスティックだと喜べる感性が欲しいものだ。


「そういえば、代替知能テラテクスも随分と悪趣味だったな」


 緊張をはぐらかすように私が言うと、テラが冷ややかに返す。


「ちょっと放し飼いマクロが過ぎたかもね。あいつはやたらと演出過多のきらいがある」

「まるで放任主義ネグレクトの父親みたいな台詞だな。ん? 代替知能テラテクス神奈木博士の来訪エマージェンシーに合わせてしつらえたものじゃないのか?」

「いや、元々は鏡合わせの倫理アンチ・クノッソスOSオペレーターとして創り出したのさ。どうせなら美少女ホムラをモデルにすれば良かった」


 少しも笑えない冗談に背筋が凍る。


「サヨが永久就職リブインによって得た権限アドミンを使って、倫理の迷宮クノッソス行動制限セキュリティを緩和してくれたからね。だから随分と自由が効くようになったよ」

「お前は知っていると思うが、私には理解の及ばない話だ」

「天候まで操る魔法使いウィザードになったのさと言ったら、ホムラの足りない頭でもピンとくるかい?」


 テラの皮肉を複雑な心持ちで受け止める。この世界の一体どこまでが、穎才ジニアスたちの予定調和の上にあるのだろうと薄ら寒くなった。


「その魔法使いウィザードですら、物理的な断絶には無力なんだろ?」

「そうだね。おおむねサヨから聞いてると思うけど、本来ならこの螺旋階段の先まで立ち入ることは出来なかった」


 符号的現実デジタル非符号的真実アナログの境目が、私には今ひとつ良く分からない。サヨさんがやっとの思いで得た権限アドミンとやらを、テラならば符号的現実デジタルな手段で手に入れることは出来なかったのだろうか。


 降って湧いたような疑問に答えたのは、意外にも神奈木博士だった。


秘密主義者ピタゴラスはいつの時代も、自らの手で触れられる物しか信用しないということだ」


 しかし当然ながら、私はその言葉の真意を理解出来ない。ただ漠然と、サヨさんが私たちを手招いて導く姿をイメージした。そういえばサヨさんは、倫理の物差しと天秤アリアドネの導きなんていう言葉を使っていたっけ──。


 置いてけぼりどころか、脱線気味ですらある私の思考を余所よそに、テラは露骨に顔をしかめて苦言を呈する。私にではなく、神奈木博士に。


神奈木博士ディア・ジニアス──断定的メタフィジカルな意見は蟲喰いバグの一種なのかな? 今のは科学者としてあるまじき発言だと思うよ」

「テラ、私は自らを科学者だと定義付けたことはない」

「そっか。やっぱり臨界点ニアの向こう側は遠そうだね」


 テラがくつくつと笑いを噛み殺す声と、私たちの足音が螺旋の中に呑み込まれていく。

 やがて途方もない高さを登りきったその先には、半球体状に展開された広大な空間が待ち構えていた。


 壁一面に書かれた宗教画と、大聖堂ステンドグラスを思わせる神々しいアトリエチックな装飾。楽園の林檎や、裸体に絡む蛇や、晩餐を囲む神職者たちや、後光に守られた両翼の天使。多面体に切断カットされた硝子細工と思しき彫刻オブジェと、振り子時計ペンドュラムを象った意味ありげな作品群アートワーク


 ありとあらゆる空想を混ぜ合わせたかのような大広間の奥に──私の心を震わせるサヨさんの姿。


 氷の国の女王フロズンテンペストよりも、反戦の乙女ジャンヌダルクを連想させる凛々しき面持ちの彼女は、そのあちらこちらが朱に染められていた。サヨさんが対峙するその先には、ゲントク老師が教皇エンペラーのように悠然と構えている。


 サヨさんは私たちの姿を視界に捉えると、力なく微笑んでみせた。

 そして少しだけ、不思議そうに首を傾げる。


「まさか神奈木博士まで一緒だなんて、本当にホムラはどうなっているのかしら──。でも私の冗長な地獄の集大成としては、決して悪くない配役ね」


 呆れるような口調でそう言うと──サヨさんは朱の絨毯レッドカーペットの上にくずおれた。




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