【遺産──世界の上澄みに取り残された私】

EP08-01





「なんかホムラさ、ここ最近よそよそしくない?」


 完璧なテーブルマナーとナイフ捌きで、目の前の皿メインディッシュを平らげてからイマリが言った。訝しさを少しも隠そうとしない彼女に、私は清々しいまでのふてぶてしさを感じる。イマリが鋭いのか、それとも私が大根役者なのか──どちらにせよ私は、サヨさんとのあのやり取り以降、イマリだけに限らず周囲の全てと必要以上の接触を避けていた。


 けれど今日は、少しだけ例外。


「それは気のせい。本当によそよそしかったら、食事に誘ったりしないだろ」


 卓上のテーブルクロスに、淡い青色の光が波状に揺れた。イマリとの最後の晩餐にと私が選んだのは、上下左右360度全てが水槽に囲まれたレストランだ。

 水槽という言葉では到底間に合わず、まるで自身が海底に沈められたかのような心細さすら感じる圧倒的スケールは、仮想現実テーマパークのアトラクションを凌駕していると言っても良い。


 以前、何かの情報網メディアの片隅でこのレストランを見かけた時、なんて悪趣味な場所があるのだろうと驚いたものだ。そのような場所に自分が訪れることになるとは、更に驚くべき話だけれど、こうして実際に食事をしてみても、悪趣味な場所であるという感想はまるで変わらない。そんな自分に少しの安堵感を覚えた。


「ホムラが奢るなんて言い出したらさ、余計に怪しいわけよ。浮気でもしてるんじゃないの?」

「人をとんでもないケチみたいに言わない。そして私はまだイマリの彼氏じゃない」

「ふーん。でもあれね、ご馳走してもらっといて悪いけど、青色って食欲が湧かないものね」


 イマリの意見には全く同感だった。見渡す限りのディープブルーの片隅で、拳大にも満たない小魚たちが回遊魚に呑まれる姿が目に留まる。人工的に再現された生態系の球体──その中心で優雅な食事を嗜んでいる私たち。これが滑稽じゃなければ、一体何を滑稽だと笑えるだろう。


「私の貯金の心配ならしなくて良いのよ。だってほら、アリスの昇華サブリメイション発表アナウンスされたわけだし、暫くは安泰よ」


 アリスの昇華サブリメイション──少しも悪びれずに話すイマリの態度に、一瞬だけ嫌気が差す。それが常人の感覚なのだと、もちろん理解してはいるけれど、咀嚼する口が思わず止まってしまった。イマリは怪訝そうな表情を垣間見せて、「やっぱり最近のホムラは何か変よね」と独りごちる。


 サヨさんの衝撃の告白から、早くも九日が過ぎた。"衝撃の告白"という言葉が陳腐に聞こえてしまうほど、重大であるまじき告白コンフェッション


 サヨさんは私に告げた通り、あれから七日後に永久就職リブインを始めた。そしてその日からも、私に対する表立ったコンタクトはない。アリスやアゲハたちの様子を見る限り、テラが電子牢へ隔離幽閉されている事実も拡散されてはいないようだ。


 ──つまり平和そのもの。まるで全てが夢。


 しかしこうしている間にも、アリスの昇華サブリメイションの日程が刻々と近付いていることを忘れてはならない。D U M偽りの楽園は、いつだって死の匂いをひた隠しにしながら、今日こんにちまで運用されてきたのだ。


 ──あなたとプライベートで顔を合わすのはこれで最後。


 サヨさんの口真似をしながら、イマリにそう言ってみたくなる衝動に駆られる。それこそ「私、反政府行為の具現者テロリストになるかも」とイマリへ告げたら、一体どんな反応が返ってくるだろうか。たちの悪い冗談を思いついた私だったけれど、悪い冗談としてさえ受け取ってもらえない可能性が高そうだ。


 イマリの享楽主義ヘドニズムを叶える生活基盤は、他ならぬ私の手によって破壊される──後ろめたさの裏側に、今ならまだ踏み止まれるという葛藤が蠢いていた。危険思想テロリズムを実行へと移してしまえば、イマリと友人関係で居られなくなることは明白なのだ。


「そういえば、アリスへの献体告知アナンシエイションってまだよね」

「おそらくはまだだと思う。サヨさんも永久就職リブインしたばかりで、手が回らないんじゃないかな」


 抜け抜けと答える私は、サヨさんがそもそも献体告知アナンシエイションを行うつもりがない可能性を視野に入れている。


永久就職リブインだなんて、本気で理解しかねるわ。せっかくの富も名声も、DUMに閉じこもっちゃったら何の意味もないじゃない」

「そうだな。享楽主義者ヘドニストに同調出来ない私でもそう思うよ」


 あらかたの食事を終えて振り返ると、野菜料理と肉料理ばかりだったということに気が付いた。海洋を模した生態系の中心で、魚料理を提供するのはさすがに悪趣味が過ぎるということか。


「サヨさんって、何考えてるか分かんないところがあるわよね。冷徹クールなあの感じ、正直言って私は苦手。上司があの人じゃなくて本当に良かった」

「はは、確かにイマリとは相性が悪そう」


 強烈に明るいイマリの社交性を、鼻先であしらうサヨさんを思い浮かべる。実際のところ、私に対しても同じような対応なので、他人事とは思えないのだけれど。


「何その言い方、ホムラになら合ってるって感じじゃん」

「そう聞こえるのか。どれだけひねくれてるんだ」


 イマリの切り返しが心外ではあったけれど、悪い気はしなかった。確かに私とサヨさんの距離は、ここ数日のうちに驚くほど縮まったのだ。精神的な結び付きにしてもそうだし、ある意味ではお互いがお互いの弱みを握り合ったとも言える。


 しかしながらサヨさんの腹の底は、未だ見えない部分がある。手放しにサヨさんの全てを信用出来るほど、私は純真でも楽観的でもないつもりだ。何よりも私が懸念しているのは、サヨさんの計画の片割れであるテラとのコンタクトが未だに取れていないこと。


 私がテラとの面会を申し出る度に、サヨさんは言葉巧みに私の訴えを退けた。確かに電子牢に隔離されているテラとコンタクトを取るという行為が、並大抵でないリスクを背負っているというのは理解出来る。しかしDUMの心臓部コアコンピュータに干渉するほどの技術があるのならば、電子牢のセキュリティを外すことなど朝飯前なのではないか。門外漢アウトサイダの私がとやかく言えたことではないけれど、釈然としない消化不良の疑問が、しこりのように付着していた。


「いいなぁ七光りは。氷の国の魔女フロズンテンペストにまで特別扱いされて。私のパパとママも何か成し遂げてくれないかなー」


 いかにも頭の緩そうな台詞をぼやきながら、イマリは椅子に腰掛けたままで大きく上体を仰け反らせた。先ほどまでの完璧なテーブルマナーを台無しにするような行儀の悪ささえも、イマリの容姿をもってすれば意外な一面チャーミングに見えてくるから不公平だ。


 私にしてみれば、イマリこそ何もかもを持っているように思える。その美貌や頭の出来だけではなく、恵まれた家庭環境に心優しい彼氏、多少の好き放題を許してもらえるその人柄まで──私の持たざる物尽くしの彼女を、羨ましく思う瞬間は数限りない。


「ふわぁ……しかし本当に凄いわね。ほら、ホムラも見て?」


 欠伸を堪えながら勧めるイマリに従い、私は控え目に仰け反って中空を仰ぐ。視界を置い尽くす壮観な紺碧を全身で受け止めると、私の意識は海中深くへダイビングしたかのような高揚を覚える。


「うん──やはり悪趣味だが、悪くないかも」

「その悪趣味なお店に誘ったのはホムラでしょ?」


 意地の悪い口調に反して、イマリは満面の笑みを浮かべていた。その白い肌にも、青色の光のカーテンが絶え間なく揺れている。


「それにしても、人類の技術は本当に末恐ろしいわね。もちろん私は、将来を悲観ネガティブシンキングなんてしないけどさ」

「ん、技術って──水槽を作るスキルのこと?」


 尋ねる私へと視線を戻し、イマリは黙って首を横に振った。少し遅れて、小悪魔じみたあの笑みが宿る。


「水槽じゃなくてさ──ほら、生態系再生学アーステクノロジイは私の専門外だけど、この水槽の中に居る全部の水生生物が純正リアルだっていうのは、さすがに無理があると思うのよ。だってほら、鯨まで居るのよ?」


 狙い澄ましたかのようなタイミングで、私たちの卓上を大きな魚影が横切った。頭上に視線を戻すと、優雅に泳ぐ一頭の鯨の姿が目に留まった。畝須うねすの縞模様を、誇らしげに見せびらせながら泳ぎ去っていく。


「ん、じゃあイマリは、あの鯨が作り物だと思うわけね?」




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