【遺産──世界の上澄みに取り残された私】
EP08-01
「なんかホムラさ、ここ最近よそよそしくない?」
完璧なテーブルマナーとナイフ捌きで、
けれど今日は、少しだけ例外。
「それは気のせい。本当によそよそしかったら、食事に誘ったりしないだろ」
卓上のテーブルクロスに、淡い青色の光が波状に揺れた。イマリとの最後の晩餐にと私が選んだのは、上下左右360度全てが水槽に囲まれたレストランだ。
水槽という言葉では到底間に合わず、まるで自身が海底に沈められたかのような心細さすら感じる圧倒的スケールは、
以前、何かの
「ホムラが奢るなんて言い出したらさ、余計に怪しいわけよ。浮気でもしてるんじゃないの?」
「人をとんでもないケチみたいに言わない。そして私はまだイマリの彼氏じゃない」
「ふーん。でもあれね、ご馳走してもらっといて悪いけど、青色って食欲が湧かないものね」
イマリの意見には全く同感だった。見渡す限りのディープブルーの片隅で、拳大にも満たない小魚たちが回遊魚に呑まれる姿が目に留まる。人工的に再現された生態系の球体──その中心で優雅な食事を嗜んでいる私たち。これが滑稽じゃなければ、一体何を滑稽だと笑えるだろう。
「私の貯金の心配ならしなくて良いのよ。だってほら、アリスの
アリスの
サヨさんの衝撃の告白から、早くも九日が過ぎた。"衝撃の告白"という言葉が陳腐に聞こえてしまうほど、重大であるまじき
サヨさんは私に告げた通り、あれから七日後に
──つまり平和そのもの。まるで全てが夢。
しかしこうしている間にも、アリスの
──あなたとプライベートで顔を合わすのはこれで最後。
サヨさんの口真似をしながら、イマリにそう言ってみたくなる衝動に駆られる。それこそ「私、
イマリの
「そういえば、アリスへの
「おそらくはまだだと思う。サヨさんも
抜け抜けと答える私は、サヨさんがそもそも
「
「そうだな。
あらかたの食事を終えて振り返ると、野菜料理と肉料理ばかりだったということに気が付いた。海洋を模した生態系の中心で、魚料理を提供するのはさすがに悪趣味が過ぎるということか。
「サヨさんって、何考えてるか分かんないところがあるわよね。
「はは、確かにイマリとは相性が悪そう」
強烈に明るいイマリの社交性を、鼻先であしらうサヨさんを思い浮かべる。実際のところ、私に対しても同じような対応なので、他人事とは思えないのだけれど。
「何その言い方、ホムラになら合ってるって感じじゃん」
「そう聞こえるのか。どれだけひねくれてるんだ」
イマリの切り返しが心外ではあったけれど、悪い気はしなかった。確かに私とサヨさんの距離は、ここ数日のうちに驚くほど縮まったのだ。精神的な結び付きにしてもそうだし、ある意味ではお互いがお互いの弱みを握り合ったとも言える。
しかしながらサヨさんの腹の底は、未だ見えない部分がある。手放しにサヨさんの全てを信用出来るほど、私は純真でも楽観的でもないつもりだ。何よりも私が懸念しているのは、サヨさんの計画の片割れであるテラとのコンタクトが未だに取れていないこと。
私がテラとの面会を申し出る度に、サヨさんは言葉巧みに私の訴えを退けた。確かに電子牢に隔離されているテラとコンタクトを取るという行為が、並大抵でないリスクを背負っているというのは理解出来る。しかしDUMの
「いいなぁ七光りは。
いかにも頭の緩そうな台詞をぼやきながら、イマリは椅子に腰掛けたままで大きく上体を仰け反らせた。先ほどまでの完璧なテーブルマナーを台無しにするような行儀の悪ささえも、イマリの容姿をもってすれば
私にしてみれば、イマリこそ何もかもを持っているように思える。その美貌や頭の出来だけではなく、恵まれた家庭環境に心優しい彼氏、多少の好き放題を許してもらえるその人柄まで──私の持たざる物尽くしの彼女を、羨ましく思う瞬間は数限りない。
「ふわぁ……しかし本当に凄いわね。ほら、ホムラも見て?」
欠伸を堪えながら勧めるイマリに従い、私は控え目に仰け反って中空を仰ぐ。視界を置い尽くす壮観な紺碧を全身で受け止めると、私の意識は海中深くへダイビングしたかのような高揚を覚える。
「うん──やはり悪趣味だが、悪くないかも」
「その悪趣味なお店に誘ったのはホムラでしょ?」
意地の悪い口調に反して、イマリは満面の笑みを浮かべていた。その白い肌にも、青色の光のカーテンが絶え間なく揺れている。
「それにしても、人類の技術は本当に末恐ろしいわね。もちろん私は、
「ん、技術って──水槽を作るスキルのこと?」
尋ねる私へと視線を戻し、イマリは黙って首を横に振った。少し遅れて、小悪魔じみたあの笑みが宿る。
「水槽じゃなくてさ──ほら、
狙い澄ましたかのようなタイミングで、私たちの卓上を大きな魚影が横切った。頭上に視線を戻すと、優雅に泳ぐ一頭の鯨の姿が目に留まった。
「ん、じゃあイマリは、あの鯨が作り物だと思うわけね?」
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